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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ふくしまを思ひゐる間に山に立つ虹後しさりはかなくなりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村島典子
晶0005

──村島典子の歌──(11)

    ふくしまを思ひゐる間に山に立つ
           虹後しさりはかなくなりぬ・・・・・・・・・・・・・・村島典子


「晶」77号2012/2月号に載る村島さんの歌の一連を引いておく。

          虹を連れゆく・・・・・・・・・・・・・村島典子

 ゆふがほが秋のまひるま一つ咲き昨日のやうな去年のやうな

 木の臼にゆふべの雨のみづあふれ山の時間へわれを誘(いざな)ふ

 見下ろして日ごと数ふる渋柿の実のけさは百個を超える

 芽吹きそろふ柿の嫩葉のやはらかく目に撫でゐたりし晩春のころ

 神の眼にといふにあらなく五月より渋柿の実を目守りたるわれ

 はや紅葉してありにけり一本の実生の渋柿、壮年のひと木

 柿は柿の春夏秋冬を全うす 鴉の播きしひとつぶの種

 躊躇ひはいづこより来つはてさても振り返りざま転びたりけり

 バスを降りむと踏み外したる右足は左手首に助けられたり

 コスモスが揺れてゐたのだ道端のどこかに人の眼差しをして

 呼びかけよ呼びとめよ秋の日は風景の崖へ人をいざなふ

 虹の橋ふたつくぐりて会ひに来つ近江安曇川しぐれふるなか

 虹めざし一つくぐればまた一つ小さき虹の山すそに立つ

 安曇川の芸術村へたどりゆくわが乗るくるま虹を連れゆく

 白鬚神社の鳥居立つなり湖の面に銀のしぐれのきらめく水に

 ふくしまの建屋の上にたつ虹を、かなしきことを思ふしまらく

 ふくしまを思ひゐる間に山に立つ虹後しさりはかなくなりぬ

 ふたつ虹くぐりて過ぎき高島の勝野はるけく濡れそぼちあり

 新旭今津マキノとたどりゆくマキノ新浜しぐれてあらむ

 近づけば消えゆく虹の紅葉の山の間に美(は)しみづの化身は

 ときどきは亡父亡母もまじりゐてどこまで行きても旧き村道

 このままずつと眠らせよと懇願す車中に友は疲れはてけり

 『富士日記』また読みかへす人は生きやがて死にゆくを諾はむため

 年賀状舞ひ戻りきぬ一年の無音おそろし生死のいかに

 本人が死んでしまへば如何せむ生たしかむる手立てなきわれ

 無言にて逝きたるや人ふるさとの黄泉平阪こえてゆきしか

 男童の三人つれて犬つれてわれ新年の墓地をめぐりぬ

 かさこそと音たて黄葉踏みしめて生きの緒は土の上を過ぎたり

 粉砂糖ふりかけしやうとふ形容の陳腐なれども新年のやま

 発見はつねに鮮やぐ陽の射して「雪は水色なのだ」と言ひき
                       *武田百合子

 指先の皸ひどく朝の顔ゴム手袋に洗ひてみたり

 ゴム手袋にシャボン泡立てこの朝愉しきひと日はじまらむとす
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東日本大震災から一年になるので、敢えて「ふくしま」に因む歌を掲出してみた。
村島さんの歌には、よく読書の成果の句が引かれているが、これも歌を引き立てていて秀逸である。
「読書人」として、これらは必須のことであるからである。
佳い歌群をお見せいただいた。
この「晶」誌に載っている他の人の作品にも、しみじみとした良い歌がある。

 
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