K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の歌・ 新作「ゴッホの耳」12首・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌六月号
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の歌<草の領域>──(74)

       ゴ ッ ホ の 耳 ・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
         ・・・・・・・・・角川書店月刊誌「短歌」6月号掲載・・・・・・・・・

     白鳥の帰る頃かもこぶし咲き白き刹那を野づらに咲(わら)ふ

     三椏(みつまた)の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

     沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

     誰に逢はむ思ひにあらず近寄ればミモザの花の黄が初々し

     生憎の雨といふまじ山吹の花の散り敷く狭庭また佳し

     白もくれん手燭のごとく延べし枝(え)の空に鼓動のあるがに揺るる

     松の芯が匂ふおよそ花らしくない匂ひ──さうだ樹脂(やに)の匂ひだ

     ひと冬の眠りから覚めたか剪定した葡萄の樹液したたり止まぬ

     天上天下唯我独尊お釈迦様に甘茶をかける花祭 ひとすぢに生きたい
    
     チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

     <チューリップの花には侏儒が棲む> といふ人あり花にうかぶ宙(そら)あり

     ブルーベリージャムを塗りゆく朝の卓ワン・バイ・ワンとエンヤの楽響(な)る

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かねてから角川書店「短歌」編集部からの投稿依頼があり、提出済みの新作の歌が、本日発売の「短歌」誌2012/06月号に掲載されたので披露しておく。
これには安いが原稿料が支払われる。
こうして横書きに載せるしかないが、原文は縦書きで、日本語の表記として「趣き」のあるものである。
大きな書店の店頭には配本されているので、「立ち読み」でも、ぜひ読んでみていただきたい。
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この歌を見た私の友人・玉村文郎君から、下記のような手紙をもらったので披露しておく。
彼は国語学というより「日本語学」の権威である。
『日本語学を学ぶ人のために』という著書もあり、中国などでも活躍する有名な人である。(同志社大学名誉教授)
私はいろいろ教えてもらって、以前に「ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は」の記事を書いたことがある。参照されたい。
持つべきものは「友」である。
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はや水無月に入り、紫陽花が咲き始めました。
あっという間に今年も半ば近く過ぎ、驚いております。
角川の『短歌』誌に掲載されました「ゴッホの耳」の短歌ありがたく拝読いたしました。

自然のたたずまい、人生のことを鋭く描かれた十二首、おもしろく共感を覚えました。
文語調あり、口語調あり、混ざりありで、いろとりどりですが、
「三椏の」と「沈丁の」について、少し感想を述べさせてもらいます。

A:三椏の ①「春くればゆゑ」の部分
文語では「春くれば」のように、已然形で表現しますと
<確定条件>になりますので「春くればなり」もしくは
「春来たるゆゑ」あるいは「春さりしゆゑ」(万葉風)
にした方がよかったと考えます。
②「紙漉きの村に」は、字余りですので(ダメというわけではありませんが)
定型のリズムの方が好もしいと考える小生には、「村に」→「村」
もしくは「紙漉き村に」としたくなります。
B:「沈丁の」の第五句
「生きなむ」は「生きむ」よりも少々間接的な感を伴うと思います。
「今を生きむ」とすると強すぎるでしょうか。
堀辰雄の誤解による「いざ生きめやも」(『風立ちぬ』)
正しくは「生きざらめやも」です、などを連想しました。

歌詠まざる散文的思考による感想ですので、気になさらぬようお願いいたします。

今年は、いつも気温乱調、多雨、五月も雨がよく降りました。
くれぐれも、ご自愛くださいますよう、お願い申します。 妄言多謝。
     六月二日         玉村文郎
  
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