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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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なんじゆうねん/くりかえすわたしの飲食は/宿を借り継いでたどる/刺客の渡世に似る・・・・・・・・中西弘貴
飲食

──新・読書ノート──

     飲食・・・・・・・・・・・・・・・中西弘貴

  きまって夜ふけ
  火を熾す
  時を定めた隙間を裂いて
  飢えの尖端がのぞく
  およその記憶をたぐり寄せ
  なにを煮炊きの火を炊くか
  もくもくと米を磨ぐ
  なんじゆうねん
  くりかえすわたしの飲食は
  宿を借り継いでたどる
  刺客の渡世に似る
  闇を裂いて
  熾す火は
  断じて秘すべきものだが
  なおもたどらねばならない道のりの  
  測りがたい陰影を照らす
  密かな点火だ
  椀に飯を盛る
  開かれた魚は
  けんめいに菜をかたどる
  その手順の果て
  添えた箸は無銘の刃
  どれほど多くのものを手に掛けたか
  もはや突つかれようもなく
  ついに行きついた
  骨だけの姿を
  心うちに包みこんで
  平然と
  切っ先をすすぎ
  わたしの刺客は
  境界を超える

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この詩は中西弘貴の詩集『飲食』(おんじき)2007年8月1日編集工房ノア刊に載るものである。
この詩集は2008年度の第19回富田砕花賞を受賞している。
この詩集には全部で27篇の作品が収録されているが、題名の通り「飲食」にまつわることが詠まれている。
因みに、この表紙のカットも作者の手によるものである。
中西は詩人の右原厖と終始行動を共にされた人らしいが、同氏の死を悼んだ詩が収められているので書き抜いておく。

          埋める・・・・・・・・・中西弘貴
                       二〇〇一年十月一日
                       右原厖 長逝 

     思いのほか
     細く小さな流れだった
    
     栗原川に佇んで
     いちじくの木をさがした
     その木の下
     ははの遺髪と     
     呪詛と狂気のうらがえしの書 バイブルを
     ひそかに埋めた と
     あなたが語るその一点

     けれども
     見つけることは出来なかった
     どうして気づかなかったのか
     九十年を
     楕円盆地の大和にあって
     あなたが指さす一本の いのちの木は
     ラ・カンパネラが鳴り響く
     はるかに遠い
     岩石砂漠のどまん中だった

     いちにちを いちねんとし
     せんねんを まんねんとし
     一本の木の値の闇深く
     あなたが打ち込み埋めたものは
     声には出さず無頼と呼び
     ことばに印さぬ流亡のかたちだ

     哀しいことがおこりました
     寂しいことになりました とは
     もはやいうまい
     裸電球の下で
     生のウィスキーを流し込み
     埋められたものをさがしている
     手もとどかぬあなたの面影を
     想っている

         * 二行 右原厖『それとは別に』収録の「いちじくの木の下で」から  
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「右原厖」については私は何も知らないが、ネット上を検索すると「日高てる」さんの文章が出てきて、その中にこんなことが書いてある。

<私が関西に住み、同人詩誌「爐」「BLACKPAN」にて育ち詩人小野十三郎に示唆を得たことは大きい。従ってこの文もそれらが中心となることを了とされたい。
 私は大阪文学学校木曜日昼間のチューター日高てるです。主に専科、研究科を担当しています。
 大阪文学学校は詩人小野十三郎によって創設されました。昭和29年(1954)です。
 初代校長小野十三郎が平成8年(1996)10月8日逝去されましたので現在は詩人長谷川龍生が二代目校長です。
 私は、今ここで文学学校以前の小野十三郎について話したいのです。それにより小野十三郎の生き方や詩の方法論がいっそうよくわかると考えるからです。それは戦争中でした。小野さんは東京を引き払って大阪に居を定められた頃にはじまります。私たち「爐」のなかま、「爐発行者にして編集者 冬木康(本名 辻研一)、エンジニア右原厖(本名 中井愛吉)、森本一三男(森本六爾という民族学の弟君がいた)、福廣武好、日高てるの五名は阿倍野区阪南町の小野宅をはじめてお訪ねした事は忘れられない。小野さんに私たちの文学観や詩について私見を述べたり小野さんのお考えを拝聴し胸ふくらませて帰宅したのは半世紀前のことです。
「爐」は大和八木(今の橿原市)から発行されていてはじめ「フェニックス」といって不死鳥を意味した命名でしたが(昭和15年11月1日創刊)日支事変もひどくなり外国語をはばかり38号をもって「爐」と改題(昭和17年12月8日)。その頃は鉄筆にガリ版でした。やがて93号より活版印刷としました。日本文芸家協会の配給の紙をもらい大宇陀の朝日堂にて印刷、ここは後に同人となった詩人 吉川仁の父君の印刷所でした。>

これによると、右原厖は奈良の人で、本職はエンジニアだったらしい。
その後、昭和三十年に詩誌「BLACKPAN」を創刊する。
中西氏は、その頃の同人なのであろうか。
もう一篇、作品を引いておく。
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      駅・・・・・・・・・中西弘貴

      ここを過ぎて
      旅立つ人に
      その意志を問う
      ふたたび降り立つこと
      ありやなしやと
      駅は
      その先にも後にも
      点綴する広大な闇を内包するから
      ぜんしんで
      その意志を問う

      旅立つ人は
      この位置で
      しばしとどまり
      はげしく漂い
      やがて
      意を決して
      ここを過ぎてゆく
      駅はすべての列車が通過したあと
      位置を変えず
      固有の名称をみずから絶ち
      一切の灯を落して
      仮象のものに変貌する


      
                    
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