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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の詩作品「後水尾院の御放屁」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
詩と詩論
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(75)──<後水尾院>シリーズ──(1)
  
        後水尾院の御放屁・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ──世の中は気楽に暮せ何事も
                      思へば思ふ思はねばこそ    後水尾院──


     修学院村にも若葉の初夏が訪れた。
     お忍びで後水尾院が供ぶれも少なくお越しになった。
     時しも田植の時期で、山荘の周囲の棚田では
     早乙女が一心に稲の苗を植えていた。
     水張田には蛙がころころと盛んに鳴いていた。
     何人かが横一列になって、こちらに丸い尻を向けて
     ひたすら苗を植えていた。
     この頃、軽口の「笠句」というのが
     庶民の間で流行りはじめていて

         かしましや こらへかねてぞ田へつぶて

     という句を院は存じておられた。
         ははあ、この光景は正にこの句そのものじゃな、と
         心の中で呟かれたものである。

     刈り込まれた松並木の狭い道を辿って、
     院は上御茶屋の隣雲亭にお着きになった。
     眺望が開け、眼下に浴龍池、遠景に借景の山並が拡がった。
     ここは眺望を目的とした簡素な作りで床も棚も無い。
     六畳の一ノ間、三畳の二ノ間と六畳間の三室だけからなる。
     院はうっすらと汗ばまれた肌を拭われた。

     つい先日、八條宮のお招きで院は桂山荘に遊ばれた。
     そこでご覧になった襖などの唐紙の紋様が、
     陽の移ろいにつれて様々に変化するのを堪能されたのだった。
     今日は、その唐紙を作った唐長(からちょう)の当主を呼んでおられて、
     雲母(きらら)刷りの原料のことなどを聴かれた。
        因みに唐長は創業寛永元(一六二四)年。今に続く本邦
        唯一現存する唐紙屋である。現当主・千田堅吉は十一代
        目にあたる。修学院に工房を構える。創業からのデザイ
        ンの板木が六五〇本も伝来するが、それらの伝統を受け
        つぐと共に、現代的なデザインも旺盛に取り入れて創作
        している。

     見はるかす池に張り出した木々の枝先には
     モリアオガエルの卵塊が、いくつもほの白く点っていた。
     院は胸をはだけて、ごろりと横になられて寛がれ
        やよ唐長や、許せよ、
        貴(あて)は、ちと、おいどの埃を払いとうなったわ、
     と仰せられて、ぷぉ~と
     豪快に御放屁(ごほうひ)あそばされた。   
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この詩は<後水尾院>シリーズの初めてのものとして発表したものである。
月刊詩誌「詩と思想」2012年7月号に載ったものである。 本日発売されて私の手元にも届いたので披露する。
制作の順序は不同で、いずれ一冊の詩集にまとめるときに「順番」は決めることになる。
すでにシリーズ二番目の作品も送稿済みで八月には出て来ることになっている。
全体では二十数篇の詩を束ねたものとなる予定である。
原文は、もちろん「タテ書き」であり「ルビ」も振ってあるが、ここでは振れないのでカッコ内に入れて表示したし、傍点(・)も「下線」で代用してある。
なお、「朕(ちん)」という天皇が自らのことを表現する人称代名詞のことだが、この言葉は「公式」の場面で使われるものらしい。
私的な、平生の暮らしの中では、天皇も「余」などと言われたらしいが、これも考えてみれば文章語である。
豪放磊落な後水尾帝のことであるから、或いは「貴(あて)」などと言われたかも知れないと思い初出では「朕(ちん)」だったのを改作した。
もっとも「御所ことば」については調べてみたい。
因みに下々でも、自分のことを「わて」「あて」とか言うのも、御所言葉が移ってきて使われていたとみられるからだ。
例えば「おみおつけ」という味噌汁を指す言葉があるが、これも元はれっきとした御所言葉なのである。
「汁」は「つけ」と言われたが、これに丁寧語の接頭語「お」を、ご大層にも三つもくっつけたものである。
御所言葉の本は堀井令以知のものなどいくつかあるが、天皇が自身を、どう呼ばれたか、などは分からない。
だから私の書いたものは私の独断である。
今回のものは暫定的なものであり、改作する余地がある。


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