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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の詩作品「お車返しの桜」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
mikuruma2御所御車返しの桜
dd1383ed1e44f7f99c3b8a383508ca1b車返し桜接写②
7ce68ceb20b94944364111c97f2aaf1f車返し桜接写①
↑ 御所御車返しの桜
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(77)──<後水尾院シリーズ>(3)

     お車返しの桜・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

京都の人々の憩いの場として、普段はひっそりとしている御所も、春と秋の一般公開期間には沢山の観光客が訪れる。
東西700m南北1300mの広大な敷地の中には、様々な樹木が植えられて、どれも手入れが行き届いている。
3月になると、まず梅林が春の訪れを告げる。続いて梅林の隣の桃林が満開になり、4月には桜が春の主役になる。
御所は枝垂れ桜が多数植えられていることでも有名で、北側にある枝垂れ桜はどれも枝振りが大きく、見ごたえがある。
芝生の上に腰を下ろして、ゆっくりと桜を楽しむことが出来る。
御所の中でもっとも有名な桜と言えば「御車返しの桜」だろう。
御所、宜秋門の斜め前にある、御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)。

     一重と八重がまざって咲くめずらしい桜である
     そのあまりの美しさに 後水尾天皇が
     御車を引き返させて 再びご覧になったことから
     「御車返しの桜」と呼ばれるようになった

     後水尾院は 別に花見をしたかったわけではない
     「修学院山荘」の出来上がり具合を見届けに行きたいと
     思って牛車に乗られたところだった
     院は 松の木に特別の関心を抱いておられた
     上御茶屋へ行く途中の松並木の刈込みの仕方にも
     あれこれと指図をなされた
     普通は松を低く刈込むというようなことはないのだが
     小径(こみち)を歩いて上ってゆくときに
     周りの景色がよくみえるように との意図であった
     牛車は山荘の入口までしか乗っては行けないので
     後は歩くしかなかった

因みに、いま山荘と書いてみたが、当時は「修学院殿」と称(よ)ばれていた。
ましてや「離宮」などと呼ばれるのは明治以後のことである。
樹木は毎年少しづつ大きくなる。刈り込んでも造営当初とは大きくなりすぎてしまった。
つづいて因みに、ここの池や樹木などの管理は佐野藤右衛門が請け負っている。
佐野籐右衛門(さの とうえもん)は、庭師の名跡。京都・嵯峨野にある造園業「植藤」の当主が襲名する。
籐右衛門は、天保3年(1832年)より代々、仁和寺御室御所の造園を担ってきた。
当代の第16代 佐野籐右衛門(1928年(昭和3年) ~ )は、日本の造園家、作庭家。
祖父である第14代籐右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し、「桜守」としても知られる。
京都府立農林学校卒業。造園業「株式会社植藤造園」の会長。桂離宮、修学院離宮の整備を手がける。
パリ・ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに協力して造る。
1997年(平成9年)、ユネスコからピカソ・メダルを授与された。
1999年(平成11年)には、勲五等双光旭日章を受章。
2005年(平成17年)には、京都迎賓館の庭園を棟梁として造成。
豪放な振舞いで知られ、この迎賓館の造成中も宮内庁の役人の干渉がひどい、と
「さあ、休みや、休みや」と職人を引き揚げさせたエピソードが伝えられる。

 院は山荘に着かれ 隣雲亭で一休みして こんな歌を詠まれた

  <やよひ山咲きおくれむもうらみじや花を卯月のぬさとたむけむ>

  <見し春のつつじをうつす山水のただ松青き夏になりゆく>


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