FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
草弥の詩作品「桂の月」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
img_1493601_42647926_2桂離宮
127944817585616315456_IMG_1944桂離宮
dsc17173b桂離宮 松琴亭から
↑ 松琴亭から古書院と月波楼を望む
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──草弥の詩作品──(78)──<後水尾院>シリーズ(4)

      桂 の 月・・・・・・・・・・木村草弥

桂川の水面に涼やかな秋風と月が巡って来た。
桂川の川水を引いた池の水面に満月が映っている。
古書院の縁側から張り出した竹箕子の<月見台>に
八條宮智忠親王たちの観月の宴が催されたのだ。
ここ桂の地は古くから貴族の別荘地として知られ、
古くは藤原道長の別業が営まれていた。
近くの松室には<月読神社>があり、桂という地名も
中国の<月桂>の故事から来ている。
八條宮家初代の智仁親王によって桂山荘の基礎が築かれ
<古書院>は一六一五年頃に竣(な)ったと言われる。
八條宮家二代の智忠親王は<新御殿> などを付加され、
今宵、後水尾院をお招きになったのだった。
回遊式庭園の桂川から水を引いた池には築山や洲浜、
橋、石灯籠が配され、茶屋の松琴亭、賞花亭、笑意軒、
月波楼が黒い影となって佇んでいる。

後水尾院は、すっかり寛がれ

   河波に月のかつらのさほさして
        明くるもしらずうたふ舟人

   明けぼのや山本くらく立ちこめて
          霧にこゑある秋の川水

と歌を詠まれた。
松琴亭の唐紙の雲母(きらら)刷りの紋様が光線の射し方によって
様々に変化するのにも興味を示され、職人は誰かなどと
お聞きあそばされた。
後水尾院は四代の帝にわたって絶大な院政を敷かれ、
また色好みとしても知られている。

    身にそへて又や寝なまし移り香も
          まださながらの今朝の袂を

    待ちいでてかへるこよひのつれなさは
            ひとり見はつる有明の月

などの恋の歌を残された。
この頃、徳川幕府は慶長二十年(一六一五年)に
「禁中並公家諸法度」を発するなど朝廷の行動全般を支
配するようになった。それに対する怒りと諦めとが、
ないまぜになった御生涯であったろうか。

   芦原やしげらば繁れ荻薄
      とても道ある世にすまばこそ

   世の中はあしまの蟹のあしまとひ
         横にゆくこそ道のみちなれ

これらの歌に、院の想いの一端が、かいま見える。

e0048413_19442227桂離宮
b81cfaa6092005eb53e8984f458c5a17桂離宮
img52c0a41dzikczj桂離宮
9433332桂離宮「笹垣」
 ↑ 外構の笹垣

-------------------------------------------------------------------------------
アンソロジー
↑ アンソロジー『詩と思想詩人集2012』(土曜美術社刊)← 538名の現代詩作家を集めたものである。
私の、この作品は、この本に登載したものである。今日、発刊されたので表紙を出しておく。

私の詩作品もさることながら、桂離宮の見事な佇まいの写真を、ご堪能あれ。
私の詩の場面の時代には「桂殿」と宮中では呼ばれていたらしい。
「桂離宮」と称されるようになるのは、明治以後に宮内庁が所管するようになってからである。
昔は金がなくて、荒(すさ)びようがひどかったようである。


コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.