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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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佐伯泰英『惜櫟荘だより』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
佐伯

──新・読書ノート──

     佐伯泰英『惜櫟荘だより』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 
             ・・・・・・・岩波書店2012/06/20刊・・・・・・・・ 

私の愛読書である「古着屋総兵衛」シリーズの著者・ 佐伯泰英が譲り受けた、元岩波茂雄の熱海の別荘「惜櫟荘」の改修にまつわるエピソードである。
先ず、岩波書店のホームページに載る文章を引いておく。
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      著者からのメッセージ     佐伯泰英

 熱海の一角に仕事場を設けて見えてきたものがある.
出版界の盛衰,日本の凋落,まるでジェットコースターに乗ったような小説家のあたふたぶりである.
岩波別荘惜櫟荘(せきれきそう)の番人に就いてみると,過去七十年余の歴史といやでも向き合わねばならなかったし,
建物の修復を通して,日本人の木造建築技術はやはり捨てたものではないとも分かりました.
修復中に東日本を大震災が襲い,原発があっさりと壊れました.
日本の先端技術と管理保守能力がもろくも露呈したのです.それでもわれら日本人の暮らしは続きます.
惜櫟荘を過去から未来へ継承し,保存するために何をなすべきか.
私の初のエッセイ集は,文庫が建て,文庫が守った惜櫟荘が主人公の物語です.
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■ 目次

文豪お手植えの……
仕事場探し
鮑と文庫
ティオ・玲二
五十八の原図
惜櫟荘解体
作家と教師
子のライオン
四寸の秘密
詩人と彫刻家
上棟式の贈り物
五十八の灯り
ベトナムへの旅
ホイアンの十六夜
一間の雨戸
画家グスタボ・イソエ
翌檜の門
書の話
児玉清さんと惜櫟荘
呼鈴と家具
自然の庭
遅い夏休み
修復落成式(一)
修復落成式(二)
松の話

あとがき

「目次」は、以上のようになっているが、その中から「文豪お手植えの……」の一篇を引いておく。

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  文豪お手植えの……

 十数本の松の大木に鳶が羽を休める岩波別荘が『惜櫟荘』と正式な名があることを知り,娘がインターネットで建物について書かれた本を買い集めて,
岩波書店の創始者岩波茂雄と建築家吉田五十八の,頑固と意地のぶつかり合いの末に生まれた作品であることを知った.
 わが仕事場の敷地より海側に一段下った惜櫟荘は,山桃や柿など木々に遮られて屋根がちらりと見えるばかりで,建物の全容は知れなかった.
七十年余の松籟を聞いてきた屋根は軽い弧を描いて,艶を漂わせて官能的であった.
 (見てみたい)
と希求するようになって数カ月後,惜櫟荘に庭師が入っているのを見て,親方に見せてくれませんかと声をかけてみた.
 「家は見せることはできないが庭ならいいよ」
という言葉に私と娘は初めて惜櫟荘を訪れた.まず海が目に入った.
 「ええっ」
と娘が絶句した.
わずかに距離が離れただけで海の風景が違っていた.松の枝越しに見える相模灘,その真ん中に初島が浮かんでいた.
視界を東に転じたら別の海が待っていた.真鶴半島の突端の三ツ石に白く波が洗う景色だった.
わが仕事場と惜櫟荘の間に,六,七メートルほど落差があり,また複雑な崖地をなすせいで,かようにも異なった景色を生み出していた.
 惜櫟荘の名の由来となった老櫟は,支え木に助けられて地上二メートルのところから直角に角度を変えて横に幹を伸ばしていた.
昔の写真で見るより幹は痩せ細っていた.筋肉を失い骨と皮だけの媼(おうな)の風情,平ったい幹の所々にうろを生じさせていた.植木屋の親方が,
 「隣にあるのが二代目の櫟」
と教えてくれた.初代が枯れることを想定して二代目が用意されたらしい.
 だが,私の目にはすくすくと育つ二代目より腰の曲がった初代櫟がなんとも好ましく,したたかに映った.
 惜櫟荘は雨戸が建て回されて内部の様子は窺うことはできなかった.
だが,見慣れた屋根と茶色の聚落壁が調和した簡素な佇まい,三十坪の建物が相模灘を眼下に従えて清楚にして威風堂々としていた.
雨樋を設けていないせいで,屋根の庇の景色がなんとも淡麗であった.屋根を流れてきた雨を雨落ちが受ける仕組みは,建物を実にすっきりと見せた.
 のちに岩波ホールの支配人岩波律子に聞いた話だが,ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ夫婦が惜櫟荘に一夜泊まった.
その翌朝,律子さんが訪ねると屋根から絹糸のように白く光って落ちる雨の帯越しの相模灘をワイダ監督は写生していたそうな.
 歌舞伎,長唄と江戸の芸能に通暁した吉田五十八の感性と信州人岩波茂雄の海への憧憬の結晶がそこにあった.
 ワイダは巨人と天才の志したものを直感的に察知したのだろう.

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これを読むと、佐伯泰英はエッセイの才も秀でたものであるのが、よくわかる。
「帯」文にある
<文庫が建て、文庫が守った>という部分は、一世を風靡した「岩波文庫」で儲けた金で、この山荘が建てられ、
今しも時代小説の「書下ろし文庫」の創始者・佐伯泰英によって、この山荘が修復された、という意味である。
佐伯泰英の、その意気やよし、と申し上げたい。 ぜひ、ご一読を。



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