K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「魂は痛みを越えて」── 木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・武藤ゆかり
りいふ

   魂は痛みを越えて──木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・武藤 ゆかり
             ・・・・・・歌誌「りいふ」6号 2012/07 所載・・・・・・・・・
 
 『昭和』は木村草弥の第五歌集である。『茶の四季』『嘉木』『樹々の記憶』『嬬恋』に続き、二〇一二年四月一日に角川書店より発行された。
前作から九年の歳月を経ており、四百九十首を収めている。著者は昭和五年生まれ。
「生涯の大半を『昭和』という年号と共に過ごしたことになるので、この歌集の題名を『昭和』とすることにした」とあとがきに記されている。
詩人でもあり、『免疫系』『愛の寓意』という二冊の詩集と、他に紀行歌文集三冊を出版している。他にも何らかの著書があるかもしれない。
 本書の構成は順番に「昭和」「順礼」「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」「プロメーテウスの火」である。
各章の冒頭には他の歌人の歌が一首掲げられ、章全体を暗示する構成となっている。最終章は短歌ではなく、東日本大震災に触発された長歌と散文である。
 
一、 旅行と歴史を詠う

 学生時代に仏語仏文学を専攻した著者の国際色豊かな一面を物語る第二章「順礼」から見ていきたい。
なお、章の番号はローマ数字のみであるが、便宜上本稿ではこのように表記する。

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程
  順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため
  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る
  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

 ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつで、スペイン・ガリシア州の州都サンチアゴ・デ・コンポステーラ。
フランス側からは四本の主要な道がピレネー山脈を越え、聖地へと続いている。
「順礼は心がすべて」と歌う木村草弥にとって、行程は単なる観光旅行以上のものであるだろう。
草や雨や風と一体となり、無辺の大地を一歩一歩あゆむ人の群れ。作者が注目するのは人や風物ではなく、自らの心の内である。
海外では気候風土の違いからか、日本的な抒情を保ちつつ平常心で歌うのは難しいが、この一連は見聞中心の旅行詠とは違う、深いおもむきを宿しているように思う。
なお、作者は「順礼」と表記するが、「巡礼」との違いは何だろうか。
「順」には道理、したがう、素直、穏やかなどの意味があるので、ただ巡り歩くだけではなく、物事の道理を究めたいとの含意があろうか。

  金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
  ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
  ロシアから来たる香具師(やし)らが売りつくる「壁」とふ破片一つ五マルク
  ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
  シュプレー川の青みどろ浮く川の面に緑青の屋根うつす大聖堂

 冷戦の最中に東西ベルリンを分断し、多くの犠牲者を出した後、一九八九年に破壊されたベルリンの壁。
作者は一九九〇年夏、ちょうど東西ドイツ統一直前にこの地に立ったようだ。
過去を糾弾したり、壁の消滅を歓喜したりする表層的正義感からは遠く、複雑な歴史の一こまを大観する態度がここにある。
苦難を口にしない市民や、壁の破片を土産物にする香具師(やし)、芸術家の描いた風刺画などに状況を語らせている。
逃亡を企て射殺された最後の人、クリス・ゲフロイに思いを馳せた歌もある。

  心臓を納むる聖十字架教会見ゆ、生きては祖国に帰れざりしショパン
  をちこちの塔に鳴り出づる鐘の音にプラハの街は明け初めんとす
  夏霧の途切れて蒼き水見ゆるカレルの橋はヴルタヴァ川に架かる
  強き酒トカイ・ワインにほろ酔ひてジプシーの楽チャルダーシュ聴く
  皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 人間は戦争に翻弄され、思想に身を投じ、考えてもみなかった人生を送る。
東欧の町を眺める作者の目には、重層的な時間が画像処理のレイヤーのように映り、その耳には悲哀の旋律が辻音楽師のアコーディオンのごとく響くのではないだろうか。
外国の地名や固有名詞の入った歌を多く抽出してみたが、いずれも素直な韻律に乗せており、片仮名のストレスを感じさせない。
「くらやみに悪夢のごとし」と詠うビン・ラディンの一首は、世界を震撼させた男の最期を短歌に刻印したもので、同時代を生きる我々に忘れ難い印象を残す。

  黒き顔、緋の胴体、白き胸のシンガのゐたる都の由来
  京都にてオートバイ隊の演習をわれは見てゐし昭和十五年
  ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき
  使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  フィリピンの出稼ぎメイド処刑せるリ・クワンユウの裔(すえ)信念曲げず
  米少年むちたたき百の刑罰はファー・イーストの儒教の教へ
  夫への永遠(とは)の操の証とて額に赤き印(しるし)つけたり
  ケンタッキーフライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに
  イングリッシュを公用語とせるシンガポール話す抑揚は福建なまり
  ムルタバなるお好み焼風のもの旨しアラブ人街のムスリムフード

 獅子の都シンガポールを訪れた時、第二次世界大戦を知る作者の胸中は大きく波打ったに違いない。
ゴム林を走っているオートバイを見て、少年の日に見たオートバイ隊の演習を想起する。
大戦が勃発し、当時イギリスの植民地であったマレー半島とシンガポールは日本軍によって陥落。
列強から解放された一方で、運命を狂わされた現地人の数は計り知れない。
「半島(マレー)を攻めき」「みな撃たれしといふ」と、判断を交えない抑制された口調で詠われ、静かな意志が読み手の側に染み出してくる気がする。

二、 地震と原発を詠う

 第六章「プロメーテウスの火」では、長歌の韻律に乗せた木村草弥の詩的感受性がより際立っているように思われる。
あとがきに「私は被災者でもなく、したがって臨場性には欠けるので、この歌集を編むに際しても、せめて同時代に生きた者として歌集に留めて記録したい」と記している。
むしろ遠方から状況を観察し、主情に客観性を加えた歌にいい作品がある場合があって、東北ほどではないにせよ、被災地に暮らす本稿の筆者にすれば忸怩たる思いである。
各長歌の冒頭に他の歌人の一首が置かれる。長歌と呼応関係にあるので併せて引用する。

  —─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし 福島泰樹—─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何を思ひて 死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を

  ─—騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら 佐々木六戈—─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

  ─—黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も 春日真木子—─

  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食べず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつはら)に!

  ─—余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す 米川千嘉子—─

  三陸の 死者と生者を 憶(おも)ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ

 これが長歌の全文で、以後散文が続く。作者はなぜ、五七五七七の短歌形式ではなく、長歌の形で詠嘆したのだろうか。
恐らく短歌も作ったであろうが、未曽有の大震災に直面した時の心情に最もふさわしかったのが、長い気息と独特のうねりを持つ長歌だったのかも知れない。
また、核種の名称や半減期なども克明に記述したい場合は、短歌では字数が足りない。
俳人が短歌を選び震災を詠んだように、歌人もまた、津波が堤防を越えるごとく、馴染んだ定型の枠を打ち破り、慟哭を存分にあふれさせたのではないか。
冒頭の三首の、姿整った名歌と共に鑑賞することで、この大事件の衝撃と作者の煮えたぎる感情が相乗効果を持って迫ってくる。

三、 昭和と人生を詠う

 木村草弥の真骨頂のひとつは、大小の自然を見つめながら、縁ある人々へ愛の波長を声低く送るところにあると思う。
もうひとつの味わいは口語自由律短歌である。
第一章「昭和」には歌自身がうきうきと散歩するような感じの作品が混じっていて、しがらみを取り去った軽みと、少年のみずみずしいまなざしを感じる。

  空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける
  ああ秋の風船の快さ 少年はしばし虫を捕る
  見上げる空には何もなくなつた ヘリコプタが一機とび去つた
  ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ああ昆虫少年には夢がある 展翅板に載る秋の黄蝶よ

 この一連は「昆虫少年」と題されている。
口語短歌とは、発した言葉をそのまま記述したものではないとの、歌人の美意識が現れているような作品群である。
文学を経由した詩語と言い回しを大切に扱う、独特の甘やかな味わいが顕著だ。一行の詩とはこのような作品を言うのだろう。
口語自由律短歌はあと数首あるのみで、歌数としては少ないが、本集の一角を成しているのではないだろうか。

  祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 長歌と散文を除く歌集の最初と最後を飾る歌である。
薄闇に揺らめく魂が、祈るような気持ちで人生という危なげな橋を渡ってゆく。
もうじき陸にたどり着こうというのに、摑もうとしたものの正体は知れない。
そして我が身を育んできた偉大なる地球はもろく壊れそうである。
人間と地球は等しく弱い、痛々しい生命体であるとの洞察。命の始まりと終わり、その間にさまざまな出来事があり、思いがあり、別れがあり、一生がある。

  どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
  白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
  一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
  みたりめを身ごもりをりし妻はるか胡麻の花淡く咲きゐたりけれ
  放たるる心に寝れば短夜の夢美しく果てなかりけり
  しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
  わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
  闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蟬は啼くなり

 第一章ほか「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」から引いた、ルビや記号、片仮名のない作品である。
歌うためにはどれだけの言葉と表記法を手に入れなければならないのだろう。
夢に花に山吹に、空海に土に蟬。歌人木村草弥の、ここにひとつの回答がある気がする。歌に自らを歌わせて本稿の締めくくりとしたい。 (完)


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