K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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『昭和』を読む会─記録抄・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
昭和

     『昭和』を読む会─記録抄・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・2012/07/28 於・東京ルノアール池袋西武横店マイスペース・・・・・・・・

三井修氏のお世話で、表記の会が開催されて二十人余の人々に来ていただいた。
厚く感謝するとともに、その会の抄録を記しておく。
録音したのだが不十分だったので、三井氏の指名による評者のレジュメのコピーを中心に、まとめるので了承されたい。
これらはスキャナで取り込んだが、どうしても「文字化け」が生じる。大方は修正したが、もし洩れているものがあれば指摘してほしい。修正します。
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 評者① 山本登志枝(晶)

木村草弥歌集『昭和』を読む会 平成24年7月28日     山本登志枝

多様性
〇表現 定型.非定型 枕詞.俳句.外国語
ああ昆虫少年には夢がある展翅板に載る秋の黄蝶よ (24)
〈青蛙おのれもペンキぬりたてか〉ひくりひと息やはらかき (107)
         *芥川龍之介
灯(ともし)してさざめくごとく金魚売る大和の町の水蒼(あを)みたり (108)
額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ(127)
フ—コ—は「思考の台座」と名づけたがエピステ—メ—、白い裸身だ(197)

〇素材花•小動物•妻・母・氷河・スワジランドのオークル・昭南・ベルリンの壁・
ショパン・バッハ・ヤン・フス•.額田王・シルヴィア・プラス・
絵画.志野焼・マイセン・ミトウ—ナ・夢違観音

よろこびが悲しみとなり苦しみも一つ增えたりゴッホの「夜空」(16)
母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて(22)
オークル的な「血の永遠」のあとに超越的な「意識の光」の時代(26)
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き(62)
うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく (128)

時空とわれ

〇存在
どの橋を渡ってみても存在論を抱へて行き来するばかりなり(12)
順礼は心がすべて歩きつつ自が何者か見出ださむため(44)

〇歴史
落日の真っ赤に染めし平原を駆け抜けたりしマジャ—ルの馬(73)

〇自然を聴く
しゃくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり (111)

〇生と死
もはや視力矯正かなはぬ目借り刻ねむりの刻と思ふたまゆら(37)
日常の一歩向うの月光(かげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ (116)
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間(125)
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ(152)
われわれはひととき生きてやがて死ぬ白い紙子の装束をまとひ(198)
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評者② 北神照美(塔)

   木村草弥第五軟集『昭和』を読む   北神照美

1、昭和という時代への憧憬
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橘渡りゆく 11
身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋 12
白魚を呑みたるゆうべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ  14
クレソンの花のみくまり人の世に師弟のえにしの水が流れる  22
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬  32
懸命にわらび伸びれば空がある山の麓に茶工場がある  35
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり  37

2、巡礼 旅のうた
銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程 43
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり  49
ものなベて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏  50
金髮のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す  55
ブラジャ—とビキ二の農婦が大鎌を振り牧草(くさ)刈るドイツの夏は  66
干し鳕を天井より吊り帳簿置けるハンザ商館往時傯ばす  79

3、詩人の心 恋心 若々しい精神
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵をしろく灯りぬ  95
との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措く 108
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ  11
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス) l37
藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳憶ひいづるよ  15
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麵の茹で加減  15
真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず 17
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光それはあなただ 19
振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな  19

4、社会的な視野
『沈黙の春』を思へばこの地球あやふしと啼くか今朝の鶯  54
プロメ —テウスの「第二の火」と もてはやされし「原子力の火」が  20
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   評者③ 小澤京子(パニア)

    木村草弥歌集『昭和』を読む    小澤京子

旅行詠を読む
◊歌枕・・・・平安中期には枕詞•歌詞の解説書や、全国各地の名所を書き集めた書物の
       ことをいつたが、その後は、和歌の題材として詠まれる名所そのものを指
       すようになった。諸国の名所も当時は単なる名所ではなく、古い社を擁す
       る信仰の中心地であった。それが拡大解釈されて、現代では歌を詠むとき
       に各自が体験にもとづいて個別の思いをもっている場所とか、それに付随
       する物体や人物、動植物から自然現象などが、やがて大勢の人に共通し固
       定化されたものとなった。 (『短歌鑑賞.批評用語』田島邦彥)

※国内
川湯五首 (27ぺ—ジ〜)
・和歌山県田辺市本宫町川湯—文字通り川原からもくもく立ち上る湯けむり
・〈小砂利かき分け川湯をたたへ、石を枕に月を見る〉川湯小唄
三井寺(大津市)十一首 (109ぺージ〜)

•さみだるる心に電車をやりすごす弾まざる身のァレキシシミア
.この大寺つつみ込むがに樟の芽は山を揺らしてぞめき初めたり

他に北海道、奈良、京都など

※国外
スペイン十首 (4 3ぺージ〜)
•春くれば辿り来し道巡礼の朝(あした)の色に明けてゆく潮
・わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
・サンチアゴ・デ・コンポステ—ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

ドイツ三十五首 (55ベ—ジ〜)
・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
・ヒロシマの原爆ド—ムのごとくしてウィルへルム教会廃墟を残す
・門上の勝利の女神と力ドリガは統一なれる菩提樹を見放(みさ)く
・イシユタル門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

東欧三十一首  ポ—ランド、ハンガリ—、チェコなど (67ぺ—ジ〜)
•時ならぬ「ァヴアンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌
・カナレット描きし風景そのままに復元されたる街を歩みぬ
・ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし〈別れの曲(しらべ)〉
・ヴルタヴァの流れはカレル橘をゆきさざめくごとく 〈わが祖国〉響(な)る
・強き酒トカイ•ワインにほろ酔ひてジプシーの楽チヤルダーシュ聴く
・落日の真っ赤に染めし平原を駆け抜けたりしマジャールの馬

ノルウェー 十四首 (78ぺ—ジ)
・押されたるべルゲンの入国スタンプはべルゲンの家をかたどりてあり
・人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
・しぐれたるグリ—クの墓に佇めば〈ソルべ—グ〉流るる幻聴に居る

シンガポール 二十九首 (83ぺ—ジ)
・腕くみて自(し)が築かせし港べを睥睨すなりラッフルズ像
・チュ—インガム煙草を持込み不可としてリ・クアンユウ統ぶる芥なき都
・野の鳥に餌与ふるを禁ずとふ条例きびし、されど鳥啼く
・ケンタツキ—フライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに
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 評者④ 小圷光風(塔)

  木村草弥歌集「昭和」を読む。     小圷(あくつ)光風   二〇一二年七月二十八日

作者は豊富な教養と経験で様々なモチーフを扱う。欧州世界、京都周辺、また、草花や小動物を観察したり、
亡妻への愛を詠い、不変の真理を追究したりする。ときには、男性とは対極の存在である女性というものを詠う。
作品の物理的特徴を挙げれば、輪郭の克明さということだろうか。
特に気に入った作品を抽出してみたが、あらためて振り返るとだいぶ偏っている。旅行詠が少ない。「東欧紀行」
(五九頁から)を例にとると、歴史的事実や人物、楽曲名などを詠い込むことが叙情性をかき消す結果となった歌
もあるようだ。連作集「東欧紀行」として評価すべきものなのだろう。
老境とは薄明を静かに歩むもの、という先入観をもっていたが、作者はなかなか意気軒昂である。ウェブサイト
では「木村草弥の詩と旅日記のぺ—ジ」を運営し、いまも文芸と哲学のなかを生きている。

 I 昭和
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橘渡りゆく  11
道ならぬ未知にさ迷ふ春の夜のわが熟睡の夢の細道 29
まみどりの宙(そら)を孕みし雨娃野あざみ色に黄昏は来る 30
まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢う 31
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春 玄冬 32
春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光をはなつ 33
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿遊びて 33
秋の蚊のしつこくまとはるあかときをめざめて君の寝息聴きおり 38

   作者はよく夢を見るようだ。静かに過去を捩り返る。本人の能動的な意志で振り返っているのではなく、
   脳が、本能が思い出を求めているのだろう。

 Ⅱ 順礼
順礼は心がすべて歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため  44
日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ 45
サンチアゴ・デ・コンポステ—ラ舂ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく 46
君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すじ 48
              *のれそれ—魚の穴子の稚魚
ものなベて光らぬものなかりけりのれそれは海を光らせて 夏 50
むささびに夢齧られし夏の木は榭液の饐えし香を漂はす 50
ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき 52
夏逝くとはっかなる香をとどめつつ葉脈透かせ蛍は果てぬ 52
すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき  53
人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ螨牛に久々の雨 54

「ベルリンの壁崩ゆ— 一九九〇年夏─」(五五ぺ—ジから)以降は欧州とアジアのショーウィンドウを見るよう
  ににぎやかだ。 歴史への造詣が相俟った旅の思い出集といえる。

 Ⅲ 花龍
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ  99
小鶏幾のちよとこいと鳴く藪を背に羅漠は独り笱に添ふ 100
激(たぎ)つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水 106
         *芥川龍之介
〈青娃おのれもペンキぬりたてか〉ひくりひくりと息やはら力き 107
との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措く 108
日常の一歩向うの月光(かげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ 116

   京都とその辺りの身近な生活詠に風流を感じる。「蜜蜂の欲情一シルヴィア•プラスの詩によせて」(117
   頁から)は斬新な取組み。一編の詩として読んだ。

 Ⅳ やってみなはれ(エトヴァス・ノイエス)
につこりと笑ひて裏切る女怖し見え隱れする人の思惑  125
死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれて肯ふ 126
じやがいもの花のはるかに目をやれば美瑛の果てに大雪山系 126
枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐっ 128
ある日ふと とうの昔に振り切った夢が出できてわれを覆ふも 129
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり  130
髮しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ 131
あかときの小用を足せる後にみる夢につづきのあるがおかしく 140
仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり 151
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ 152

   この章は一首一首に作者の心の漣が見えるよう。飽くなき闘争心を詠うかと思えば、夢の続きを追いかけ
   たり。 美瑛の眺めは沁みるほどくきやかだったことだろう。

 V エピステーメ—
かの女史住む住宅地すぎゆけば楢の並木の黄菜つもる  164
摘みくれし堇(すみれ)をはさむ旅の書は汝(なれ)が誠を忘れざるべし 174
ひたぶるに夏に溺れて競ひたる蝉死にたり短き生を 191
楓(かへるで)は赤く染まりて散りゆけり樹に季節(とき)の来て身軽になるらむ 194
老いてゆく不毛の日々を掬いとるひとすぢの光それはあなただ 195

   「妙子の画集」(179頁から)は亡妻の友人へのレクイエム。「七曜」(186頁から)は曜日の題詠集。
    こうした取組みを参考にしたい。

最後に
一般的な受け止め方として、昭和とは、天皇と戦争、経済復興の時代だと思うが、耿集「昭和」には不思議
と、その色彩が希薄である。作者は戦中戦後を、どう生きたのだろうか    (完)

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この後、三井氏から発言があったり、休憩したりして、出席者から短い評を賜ったが、録音状態がよくなく、ここには収録を断念する。
悪しからず了承をお願いしたい。
評者以外の出席者のお名前を列記して御礼に代えたい。

梓志乃(芸術と自由)。天野和子(塔)。石川一郎(角川学芸出版)。押切寛子(宇宙風)。小野雅子(地中海)。岸顕樹郎(装丁家)。小林サダ子(からの)。
清水麻利子(花実)。鈴木朝雄(ブログ友)。高旨清美(晶)。林広樹(塔)。春澄ちえ(塔)。日向輝子(綱手)。平田恵美(颷)。光本恵子(未来山脈)。
武藤ゆかり(短歌人)。吉浜みち子(国民文学)
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この会の中でも、みなさんから著者である私に聞きたいことがあったようであるから、ここで少し書いてみたい。

「ベルリンの壁」─1990年夏─の項の歌だが、
①ビルギュップ女史というのは東独の日本語通訳者だったが、東欧圏はなやかなりし頃は政界、学界、大企業などの重要な通訳者として活躍されていたらしい。
それが体制崩壊に伴い、仕事がなくなり、私たちのようなツアーのガイドをして食いつないでおられたのだった。
金髪の大柄な美女だったが、真夏のこととてノースリーブの上着を着ておられた。
壁などを説明されるときに「腋毛」が露わになるのであった。
一般的に共産圏、東欧圏では腋毛は剃らない。西欧でも、女権意識の強い人は「男の腋毛は良くて、女に剃れとはおかしい」という時期があったのである。
今では女の人で腋毛などを剃らない人の方が、むしろ珍しい。
女の人が「体毛」を剃るか剃らないかは古代から変遷があった。その時代が「父権」が強いか、「女権」時代かによっても異なる。
その時期の宗教支配のありようによっても異なった。
詳しく知りたい方は、身内だが木村重信の著作などに出ているので当たってみてほしい。
②「菩提樹」には世界的に見て二種類ある。
ドイツのベルリンのブランデンブルク門から続く大通りは「ウンターデン・リンデン」というが「リンデン」とは「ヨーロッパ菩提樹」のドイツ語である。
もう一つの菩提樹は「インド菩提樹」という種類の木で、この木は寒さに弱く、西欧や日本では育たない。この木の下で釈迦が悟りを開いたというエピソードが有名。
③ポーランドの首都ワルシャワに行くと観光名所として「旧市街」があるが、ここは第二次大戦のときに徹底的に破壊され瓦礫の山と化した。
たまたまカナレットのいう画家の精密な絵があるので、その絵を基にして、旧市街の街並みは復元された。これも有名な話。
④「ブラジャーにビキニの・・・」の歌があるが、牧草なども全部機械で刈り取るが、四角い畑の四隅などは機械では刈り残る。
それを農婦が大鎌で手刈りするのである。そのスタイルが日本では考えられないビキニとブラジャーということに驚いて歌にした次第。

「川湯温泉」の歌があるが、これは光本恵子さん主宰の「未来山脈」に出したときには「和歌山県田辺市」の記載はなかった。
その後、平成の大合併で、この地も田辺市に編入されて分かりにくくなってはと思って地名を書くことにした。
川湯は「川の流れの中から湧く温泉」で有名なところで、<川湯小唄>も現実に存在する。

「ジプシー」という言葉が「差別用語」ではないか、という指摘があった。
こういうのは世界的な流れであり、特に、非難の集中攻撃を受けるマスコミの自己防御の色彩が濃い。
たとえば「盲めくら」というのが問題があるというので代替して使われる「視覚障碍者」と言う言葉自体が、今では差別用語として独り歩きしているのではないか。
「視覚障碍者」という言葉が「差別語」に成り下がっている現状である。これは単なる「言葉の置き換え」に過ぎない。
「ジプシー」については会の中で三井氏から「ジプシー」とは「エジプト」という言葉から発している歴史的な発言があったが、彼らの民族が自らを「ロマ」と称しているのも私は承知している。
しかし「ロマ」にも、いくつかの流派があり、単一ではない。また「ジプシー音楽」という学問的なジャンルもあるのである。
それと同じことが「エスキモー」にも言える。今では「イヌイット」というように言われることが多いが、これも彼らの種族的な一流派を指す言葉に過ぎない。
私は第一詩集『免疫系』を出したときに、時の角川学芸出版の山口十八良氏から、それらのことを指摘されたが、私は上に述べたような反論をして私の原文通りの文章を押し通した。
これらはマスコミの自己防御、悪く言えば「自己保身」に過ぎないか、過剰反応と言わざるを得ない。
要は、著者が何もかも判ったうえで、自分で責任を取ればいいことなのである。
同じようなことが、今の世の中には、さまざまのところにある。
たとえば「東北の被災者を支えましょう」と一方では善人面をしていながら「被災堆積物ガレキ」の各地での処理には反対する。おかしいではないか。
これこそ現代の差別の最たるものである。
「自分で責任を取る」──これの逆の立場にあるのが「官僚」であり、彼らは「責任を取らない」。今そのことが厳しく問われている。
何らかの形で「行政」と関わったことのある人にはわかることである。私も伊達に齢を重ねていないので、彼らには再三「煮え湯」を呑まされてきたから判る。
私は全責任を取りますから編集者の方は安心してください。

他に「ケンタッキー・フライドチキン」の歌については、このブログに「正誤表」として四月に載せたので、ご覧あれ。
なお私は「旅行詠」という分類は採らない。たまたま旅先の歌というだけで、単なる紀行の歌にしたつもりは無い。
感銘を与えないとすれば、それは私の腕の未熟さ以外の何者でもない。

小圷氏は長文の鑑賞をしていただき感謝する。
この文の末尾に「作者は戦中戦後を、どう生きたのだろうか」とある。
ひとくちでは言えない命と引き換えのような過酷な戦中があり、私は十代の少年だったが、学校の勉強からは引き剥がされて軍需工場で旋盤工をしていた。
もともとは造船のリベット(鋲)を打つ器具を作る工場だったが、戦争が烈しくなり、米軍に船も沈められて造船も立ち行かぬようになって、
戦争末期にはロケット弾の部品を削ったりしていた。
航空母艦から発進してくる艦載機(グラマンなど)の「機銃掃射」に逃げ惑ったりした。ダダダッと連射してくる機関砲の弾の一発、一発の間隔が地上では数メートルになり、
命中すれば即死だし、間隔のあいたところに居れば、運よく生き延びられるということである。生死など文字通り「紙一重」ということである。
こういう辛い経験は誰も話したがらない。体験しなければ理解不能だからである。
原爆体験者しかりであろう。
「戦争」とは、どういうものか。
「徴兵令状」は当時は俗に「赤紙」と呼ばれたが、それは赤い紙に印刷されていたからである。
普通に生活している人に、或る日、突然「赤紙」が来て徴兵される。
残された女、子供に何の生活の保証もないのである。
自分が今日、急に徴兵される場合を想像してもらいたい。戦争末期には若い人が居なくなって、四十、五十の所帯持ちが徴兵されていった。
その頃は世の中に相互扶助の気持ちがあったからましだが、今みたいに核家族で、近所付き合いもない世相では、どうして生きてゆけるのか。
考えるだに恐ろしいことである。簡単に「戦争」なんて口走ってもらいたくない。
軍人のみならず、一般人(非戦闘員と呼ばれていた)も何百万人も死んだ。
敗戦後は、体制が崩壊したこともあって、秩序が乱れ、食糧事情などは戦中よりもひどかった。
私は田舎に住んでいたから街中の連中よりは「自給自足」できるだけ恵まれていたかも知れない。
私は昭和23年に大阪外語に入ったが、着ている服装は戦争中と同じカーキ色の軍服様の制服と戦闘帽だった。
大阪市内の学校は戦災で無くなり、高槻の淀川べりの工兵隊兵舎に間借りしていた。
国立の専門学校だったから、国有財産である旧軍隊の兵舎を提供されたのだった。
その頃は外語は東京と大阪しかなかった。
因みに書いておくと東京外語は、最初から国が建てたが、大阪外語は有志が建てて、国に寄付したものである。
中目悟という人が関西にも外語教育が必要だと説いて経済界などに寄付を募ったのである。初代校長は中目悟であったのは言うまでもない。
大阪外語の校歌は ♪ 世界を籠めし戦雲ようやく晴れて
          東の空に明けの明星ひとつ
          これぞ大阪外国語学校・・・・・ ♪
というもので、大正の第一次世界大戦後のことであった。

私の歌に野に棲む生き物の名前が頻出するのも「田舎」ゆえと知ってほしい。
こうして見てくると、私も伊達には齢を重ねては来なかったことが判り感慨あらたなるものがある。
「詩歌」というものは、すべてを語り尽くすものではなく、言外に読者に「想像」させるものが佳い。


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