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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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高旨清美歌集『無限カノン』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
無限カノン


↑ バッハ「無限カノン」動画

──新・読書ノート──

     高旨清美歌集『無限カノン』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・ながらみ書房2006/10/28刊・・・・・・・・・・

この歌集を恵贈されたが、もとより私は音楽には疎いのでネット上で調べてみて、バッハ「無限カノン」の曲を聴いてみた。
この歌集は音楽にも造詣のふかい著者による静謐な一集である。
この本の題名は

  みどり濃き谷よりひびくうぐひすのさへづり〈無限カノン〉となりて

の歌に由来するという。
帯文には

   <人との間柄よりも深く自然とまじわる。
    たとえば、淡寂ともいうべき愛にそそぐ猫や鳥、
    柔らかなアイデンティティーによる〈自分らしさ〉
          へのこだわりが、きわだつ。>

と書かれている。
これは編集者のキャプションであるが、一集の性格を、よく要約していると思う。
この本は1995年から2005年までの作品424首を収めている。
J・S・バッハの「音楽の捧げもの」の中に「無限カノン」という一曲がある。
カノンとは日本語で書くと「追復曲」というように或るパートが際限なく続けられることを指す音楽用語である。
著者は「あとがき」で書く。

<バッハのその一曲は声部(パート)が繰り返されたあと、ふと途切れかのように終るのであるが、
 私にはそれが「永遠」を示唆しているように聞えてくるのだ。>

このフレーズは「無限カノン」を、よく表現し得ていると思う。
以下、私の目に止まった歌を引く。

*あかつきを目覚めて聞けり新都心よりひびきくる街の潮騒
*自転車を二度盗られて乗る三台目のにぶく光れる灰色のボディー
*継母と子の相克ふかき「身毒丸」藤原竜也のこゑ大人さぶ
*棘なくて香りの薄きこと親し木香薔薇の絡まる垣根
*耳の中の傷が癒えをり届きたるカードを壁に飾れる聖夜
*地下鉄の地上口より吹き入りてくる風今朝は沈丁花のにほひ
*〈リリウム・アウラートゥム〉山百合の学名を知りぬ雨の家居に
*真夜に聴く「羊は安らかに草を食み」J・S・バッハわれを養ふ
*薄幸の女人の名前とどめたるマルガリータをグラスに満たさむ
*わたくしをテレーズ・デスケイルゥーと言ひし人 澱む記憶の淵よりたてり
*夏の陽の傾きかけてなほ暑し「マルコ受難曲」を聴くと急ぎぬ
*憂き日にもたのしき日にも人集ふ〈アルペジオ〉のドア閉ざされつ

Ⅰ、から引いてみた。音楽に造詣が深い作者として曲名が、よく出てくる。
またカタカナ語の使用にも嫌悪感はないようだ。
作者は新宿に住まいする。そういう「都市の憂愁」みたいな感覚が歌の中にも滲み出しているようだ。
そして、歌の行間に、作者の深い教養が潜んでいるようだ。

*旧約が繰り返す燔祭につひに馴染めぬひとりかわれも
*自が打ち首をかかへて百歩あゆみしとふ聖人伝聞く雪の夕べに
*ふくらかといふものもはや失せながら猫とわたしと歳重ねゆく
*シャ・ノワール、からす猫なる君の名の変哲なき「クロ」をかなしむ
*日こど夜ごと釈迦の母の名呼ばふなり摩耶は私の老い猫にして
*猫嫌ひ来客だから寝室にひつこんで午後は眠るとしよう
*女とはすなはち「生む性」さのみとは思はねばはるか青き山なみ
*ひとり遊びか否かは知らず手首の縄口にてほどく男 芝生に
*ハモニカの宮田東峰かの人を知れる世代の髪のしろがね

Ⅱ、から引いてみた。この人はクリスチャンかも知れない。
「燔祭(はんさい)」については一般には分かりにくいかと思うので、少し説明しておこう。こんなエピソードである。
<イサクの燔祭(-はんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって今日でも讃えられている。>
自らの子供を生贄(いけにえ)に捧げる、などという残酷なことは極めて「一神教」的な理解であり、さればこそ作者は「馴染めぬひとりかわれも」と詠んだのだろう。
そして作者は極めて「猫好き」らしい。私は六番目の歌に詠われる「猫嫌い」の人物である。

*道端に捨てられありし長椅子に今宵ホームレスが深深と眠る
*家猫のみな老いづきてしんかんとベランダ越しに午後の日の差す
*あの頃はアラビックパンが売られゐし街角 幾人もイラン人がゐて
*ひよどりがベランダに来て鳴きをりぬ 戦はじまる、悲しみの聖母(スタバト・マーテル)
*わが猫と預り犬と近づきて眠れり互みに陣地守りつつ
*J・S・バッハの生誕たたふ日本にくれなゐふかき椿咲く春
*春毎に聴く受難曲わが日日のけして正しく清くあらねば
*部屋隅にリボン細りて掛かりゐる夏帽子あり人はかへらず
*新参の野良二匹ふえ古参野良二匹消えたり水無月の過ぐ
*怠惰とも恵みとも思ひ熟睡する机に仕事積み上げしまま
*東京を出づることなく四季めぐる明日は真白きスニーカー購はむ

Ⅲ、より引いた。新宿のホームレスなどの光景が時代とともに詠まれている。
悲しみの聖母(スタバト・マーテル)については、私は2000年ミレニアムの年にエルサレムで原初のものを見た。
「悲しみの聖母」とは、わが子キリストが磔刑に処せられて遺体となって戻ってきた際のマリアのことである。
「スタバト・マーテル」というラテン語は西欧では、よく知られている言葉である。絵画にも度々描かれる。
総体に、この作者の歌には生活感は淡い。
私が音楽に関心があれば、もっと突っ込むのだが今は詮無いことである。
バッハの曲はメロディアスではなく、単調なリズムのように受容することが出来て、現代音楽に馴染むので近来、採り上げられることが多い。
この歌集の題名のように、読後感は無限につづくようである。
この読後感の中で、不十分ながら、これで鑑賞を終わる。
因みに作者は1946年生まれ。 恵贈に感謝する。

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