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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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家原文昭歌集『踏水』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
踏水

──新・読書ノート──<家原文昭の歌>

     家原文昭歌集『踏水』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・ながらみ書房2012/07/15刊・・・・・・・・・・・

この作者については「カテゴリー」に収録してある通り前歌集について採り上げたことがある。

「あとがき」に
<平成十六年四月から十九年九月までの、三年半の作品四八二首を収めた。
 当初は六十五歳から七十歳となるまでの作品を収める予定であったが、
 初めての外国旅行で十七年の大晦日からイタリアに出かけて、
 行く先々で詠んだ歌を捨て難く大半を収めたので、
 年齢でいえば六十八歳半ばまでの作品となった。
 『宜春』に続く第七歌集であるが、小堀流踏水術を詠んだ歌があることから、
 歌集名を『踏水』とした。>

ご存じかと思うが「踏水」は「とうすい」と発音する。
京都市内の疎水べりを本拠とするスイミングクラブは「踏水会」と名乗っているが、この名前は水泳にまつわるものとして、よく知られている。
「小堀流踏水術」というのは立ち泳ぎなどの古式泳法の一派である。
先に引いたものにつづいて作者は、こう書いている。

<平成十五年七月に、九十歳の母親が畑で花を採ろうとして転倒し、左大腿骨転子間骨折をして入院した。
 手術、リハビリののち四か月余りで退院したものの、在宅介護が困難なことから翌年一月には介護付き老人ホームに入院している。
 母親に費やす時間などが軽減するなかで、土に親しみ、季節に随順する生活を続けていたが、
 この歌集を編みはじめた一昨年三月に母親が死亡。また、昨年二月には係わってきた牙短歌会主宰・石田比呂志の急逝に遭遇した。
 遺言により「牙」解散という運びにとなったが、事務局を担当していたことから、いささかの時間を費やした。>

と書いてあるので、ここに歌集のすべての経緯が書かれていることになる。

以下、私の目に止まったものを抄出したい。

Ⅰ、
*百合の木の大樹芽吹ける根元より拡がる芝生たんぽぽの花
*西行の書状を博物館に見て庭の八重咲くさくらへ歩く
*地下足袋の指におのずと力入る青竹の束背負いて行けば
*わが乗れる電車は揺れて竹煮草咲くところより本線に入る
*托卵をすでに終えしかほととぎす溜池脇の林に鳴けり
*虫食いの芙蓉若葉に青虫を狩ると蜂来る脚を垂らして
*窓枠の蠅取り蜘蛛に見られつつ人差し指のペン胼胝を削ぐ
*屋内に入りて羽化せし油蝉逃して殻を手の平に載す

Ⅱ、
*イタリアに入ればイタリアに従うとベッドメーキングに置く一ユーロ(ミラノ)
*スカラ座の前の広場に長衣着け沈思のさまのレオナルド像
*ドゥカーレ宮殿さまざまに並ぶ武具のなか鉄の貞操帯十キロを越ゆ(ヴェネツィア)
*昼を飲み夜を飲むワインのハーフボトル不味きビールを避けてぞ飲める(フィレンツェ)
*清貧というを思いてアッシジの敷石道を上りてゆきぬ(アッシジ)
*笠松の並木の道を車行くアッピア街道石畳道(ポンペイ)

Ⅲ、
*「兄です」と施設の人に言いながら歩行器の母がわれを見送る
*茂木という品種を施設の母が言う庭に生りたる枇杷持ち行けば
*石垣に吹き寄せられてたずきなし羽根破れたる紋白蝶は
*秋されば母の作りし網茸の鼻弾く辛子漬を食いたし
*歳時記に香附子の例句無きことを思いて畑に香附子除く
*甲冑を着けたる男プールにて踏みおり小堀流踏水術を
*伍長とは何かと従弟の子が聞けり戦死者叔父の墓に参れば
*寄生せる南蛮煙管に秋の日を少し当てむと茅を刈り込む
*土間に鳴く蟋蟀はわが貯えの玉葱などを食いて鳴くらし

この歌集の題「踏水」は

  <甲冑を着けたる男プールにて踏みおり小堀流踏水術を>

の歌から採られているが、この歌一首しかなく、しかも、この歌をもって、この歌集全体を表しているとも思えず、いかがかと思う。

以前の作者の歌には鋭い感性と批判精神が見られたが、この本では、すっかり叙景オンリーになってしまわれた。
Ⅱ、のイタリア旅行の歌も、ただ見ただけの趣のものが多い。
自分の見たものだけではない、資料にも当たった「心象」に迫る歌を詠んでほしかった。
以前の作者の歌を知るものとして残念である。

それに私は前から作者にも言っていることだが、歌集収録の期間のことである。
この本は先にも引いたように平成十六年四月から十九年九月までの歌を収録されているが、それから、もう丸五年も経っているのだ。
以前には本の上梓について、このように間隔を置いて「歌の熟成を待つのだ」という傾向が確かにあったが、
この程度のレベルの作品なら何年置いてみたところで熟成することもなかろう。一考してほしいところである。
この本と同時に恵贈された米川千嘉子氏の歌集『あやはべる』の「あとがき」には、同氏は直前までの作品を収録する主義だとある。
私も同じ考えの持ち主である。「現時点」での、氏の現実の姿が、ありありと見えるような歌が欲しい。
忌憚のない言葉を連ねたが、私の真意を汲み取ってほしい。
不十分ながら鑑賞を終わる。ご恵贈に感謝申し上げる。


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