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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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永田和宏『歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子 闘病の十年―』・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

  永田和宏『歌に私は泣くだらう』─妻・河野裕子 闘病の十年―・・・・・・・・・・木村草弥 
            ・・・・・・・新潮社2012/07/20刊・・・・・・・・・ 

この本は新潮社の読書誌「波」に連載されたもので、私は毎月それを読んでいた。
本書は、それに加筆、修正を加えたものである。
著者は科学者だけあって、極めて率直に、赤裸々に、淡々と描いているが、人によっては書きすぎという人もあろう。私は率直なのが好きなので違和感はない。
奇しくも8/26夜十時からNHKBSプレミアムで「うたの家族」─歌人・河野裕子とその家族─というセミドキュメンタリーが放映された。
内容は、この本に書いてあることと同じだと感じた。
ドラマ仕立ての部分は、和宏=風間杜夫、裕子=リリーなどが演じたが、関西弁(永田夫妻は二人とも滋賀県出身で京都育ち)が下手なのが残念だったが、まあまあこんなものだろう。
「ガン」患者は増えたとは言え、その闘病の苦しさとか病状の推移などは世間一般には知られていない。
私は亡妻の介護に数年かかりきりだったし、私自身も前立腺ガンの治療を受ける身だったので、治療体験もしたし、ガンについての勉強もした。

この本の中で終末期の痛みを取るために「麻薬」を増やすかどうかという条がある。
麻薬にも色々の種類があって「モルヒネ」だけとは限らない。「オキシコンチン」という名の麻薬もある。
麻薬は鎮痛効果は確かにあるが、患者を「眠らせ」「麻痺させ」て大人しくさせる薬である。
介護する家族とのコミュニケーションは著しく阻害される。えてして医者は、これらの麻薬を使いたがる。
そんな局面に私は再三直面してきた。また医師が単独と言うのはあり得ないから、複数いる場合には、彼らの間の考え方の相違にも振り回される。
私も物事は率直に言ったり、書いたりするので、それらの一端は私の第一詩集『免疫系』(角川書店)に描いておいたから参照されたい。
この本や放映の中で永田和宏も言っているが、乳がんは転移しやすいガンで、お二人がとても忙しかったとは言え、乳がんに気づくのが遅かった、のは夫の責任でもある。
夫婦としての性生活が、もっと濃厚であれば乳がんの「しこり」は、もっと早く見つけられた筈である。

これらを拝見して私は、「マスコミというのは非情で、怖いもの」だと痛感した。
東日本大震災関連で言えば、現代詩の世界でも和合亮一の『詩の礫』などをめぐる本の出版の取り合いなどにも同じような様相が見られる。
彼らは今「売れるもの」を探しているハイエナみたいな存在なのである。マスコミと付き合うには、それらによる被害も勘定に入れておく必要があるだろう。
もともと有名人にはプライバシーは無いものと覚悟すべきなのだが、今どき河野裕子の本などを出せば必ず売れる、ので大手出版社のみならず、こうして放送局も飛びついて企画をたてる始末である。
東京人の「体裁を良し」とする人たちと違って、関西人はもともと「率直、本音で生きる、開けっ広げ」だから、私などには違和感はないが、ご感想はいかがだろうか。

この結社「塔」はドイツ文学者の高安国世によって創刊された。今や会員数も千人を超えたようで、短歌結社として不動の地位を築いた。
特に、若い人が多いので注目されている。
今をときめく短歌結社としては、いくつかあるが、例えば「かりん」の馬場あき子さんなども、若い、才能のある会員には、どんどん歌を作らせ、評論を書かせ、短歌マスコミにも彼、彼女らを売り込み、成長させてゆく。
今や大新聞の歌壇などの選者も、そういう弟子たちが活躍する時代になってきた。
永田夫妻なども、その典型であって、がむしゃらに弟子たちを育てて来られた。今いちばん勢いのあるのが「塔」だと言われている。
高安先生には私は大学で第二外国語としてドイツ語を一年間教わった。文法とか履修科目はいくつかあるので他に数人の先生にも習ったうちのお一人である。
私は、そのころ「短歌」については関心がなかったし、先生も授業中は短歌のことは何も話されなかった。
先生は母親の影響で「アララギ」から出発され、戦後、いくつかの新勢力──「未来」などが枝分かれするような形で発足したが「塔」も、そんな一流派だった。
高安国世は「主知的リアリズム」を標榜した。
彼については、このブログでも採り上げたことがある。
先月末に私の第五歌集『昭和』読む会を、「塔」選者の三井修氏のお世話で開いていただいたが、私は以前から「塔」会員には知り合いが何人か居る。
河野裕子さんは角川短歌賞の受賞者だが、この頃は「コスモス」所属だった。
永田和宏氏と結婚されたし、高安先生から「永田くん後を頼む」と言われて後継者になられた旦那を支えて、結社の所属も替えて、お二人で「塔」を大きくして来られたのである。
Wikipedia河野裕子Wikipedia永田和宏 ← 二人のついては、ここに詳しい。

以下、新潮社の読書誌「波」八月号に載る記事を引いておく。
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     戦後を代表する女流歌人と讃えられた妻に、突然、乳癌の宣告。
     夫も二人の子も歌人の一家は強い絆で闘病生活を支え合う。
     しかし過剰な服薬のため妻は不信と懐疑にとらわれ、夫を罵倒し続けた挙句に失踪してしまう。
     そして再発……が、結局は歌い続けることが家族を再び一つにした。
     没後二年、初めて明かされる、あの日、あの時。

「波」 2012年8月号より

『歌に私は泣くだらう』刊行記念特集

  ◆川本三郎/詩神が二人に近づいた時
  ◆梯 久美子/妻に捧げた長大な挽歌、相聞歌

          川本三郎/詩神が二人に近づいた時

 妻を失なった夫は泣いていい。
 その涙から書かれた素晴しい亡妻記である。長年寄り添った妻、歌人の河野裕子の発病(乳癌)から死までを見届けた夫が悲しみを抑え、妻との最後の日々を振り返ってゆく。
 何よりもまず後悔がある。あの時、ああすればよかった、こうすればよかった。生き残った者は先きに死んでいった者に詫びるしかない。無力だった自分を責めるしかない。
 二〇〇〇年、妻がはじめて癌を告知された日、診察を終えて病院から出て来た妻が思ったより明るい表情だったのを知って夫は安心する。しかし、あとで妻がその日のことを書いた随筆でいかに打ちのめされていたかを知り、愕然とする。それに気づかなかったとは。
 手術の日、夫は最後まで付添わず仕事で出張に出た。いまそのことが「あまりにも思い遣りに欠けたことだったと言わなければならない」。
 妻は癌と闘っている。それは充分に分かっていても、夫は仕事で、学会へ短歌関係のイベントへと忙しく出てゆかざるを得ない。癌を患う妻と健康な夫。分かり合っている夫婦のあいだにもどうしても溝が出来てくる。
「しんどがる私を置いて出でてゆく雨の中に今日も百の朝顔」という妻の一首に触れ、夫はまたしても愕然とする。「なぜもっと早くこの一首に萌しはじめた河野の不安、不満、不信に気づいてやれなかったのか」。
 長年、いい家庭を築いてきた夫婦であっても連れあいが癌という死に至る病いを患った時、亀裂が生じざるを得ない。夫だからといって妻の心をすべて分かる筈がない。
 ある時から妻の精神状態が悪くなる。夫に当たる。言葉にはならない怒りをぶつけてくる。「しんどい、もう死にそう」と訴える。それが繰返される。「私のほうがそうとうにまいってしまった」。
 怒りが爆発すると「あんたら、寄ってたかって私を殺そうとする」とまで言うようになる。ついには「あんたのせいで、こうなった」とまで責めるようになる。
 夫としてつらいだろう。妻の苦しみが分かるだけにいっそうつらい。家族みんなが普通の生活をしているのに、自分だけが置き去りにされている。女性にとって乳房を取るだけでも苦痛なのに、この「置いてきぼり感」が妻を追いつめてゆく。
 夜中に包丁を持ち出して夫に迫ることさえあったというから修羅場である。仲のいい夫婦にこんな惨劇があったのかと衝撃を受ける。夫もついに感情を爆発させ、ものを投げつけたこともあった。こんな夫の一首に慄然とする。「この人を殺してわれも死ぬべしと幾たび思ひ幾たびを泣きし」。
 しかし、徐々に嵐はおさまってゆく。精神科医、木村敏の治療がよかったせいもあるが、何よりも妻にも、夫にも、歌というかけがえのないよすががあったからだろう。
 歌という形式が、荒々しい感情、生ま生ましい激情を抑制する。心を歌に託すことで自分を客観視出来る。
 歌を作り続けることによって妻は自分を取り戻す。いや、死を見つめながら歌を詠むことで、新しい自分を獲得してゆく。嵐を乗り越えたものの澄んだ境地だろうか。再発後のつらい日々のなかで妻に「静かに凪いだ水面のような精神の安定」が訪れる。「死というものを考えに考え、おかしくなるほどに真剣に考え抜いた末に、彼女が辿りついたある種の精神の高みなのであった」。
 死にゆく者はある時、仏様のようにきれいな顔になる。それはこの「精神の高み」のためかもしれない。
 最後が近づいた時、夫は決断を迫られる。医師からモルヒネの量を増やしたらどうかと言われる。夫は考えた末に、それを拒絶する。確かにモルヒネを増やしたら苦しみは減る。しかし眠ってしまい妻は歌を作れなくなってしまう。夫は苦渋の末、歌を選ぶ。
 残酷な決断だったろう。しかし、それがあったからこそあの胸を打つ秀歌――、「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」が生まれた。「私が自分の手で、この一首を口述筆記で書き残せたことを、涙ぐましくも誇りに思う」。
 共に秀れた歌人である夫婦の凄絶な「精神の高み」に粛然とする。この歌はおそらく神様から与えられたものだろう。その瞬間、詩神が二人に近づいたのだ。  (かわもと・さぶろう 評論家)


           梯 久美子/妻に捧げた長大な挽歌、相聞歌

 本書を読む誰もが、河野裕子という女性に圧倒され、魅了され、泣かされるだろう。配偶者を失った人の手記を読むと、たいていは遺された者の悲しみに共感して涙することになるが、本書の読者を泣かせるのは、先に逝った河野の、葛藤と痛みに満ち、それでいて圧倒的な輝きを放つ晩年の姿である。
 一昨年の八月に六四歳で亡くなった河野裕子は、最年少の二三歳で角川短歌賞を受賞、以後、歌壇のスターであり続けた。〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉〈ブラウスの中まで明かるき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり〉などの青春の歌、〈子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る〉といった母としての歌など代表作は枚挙にいとまがない。
 ふだん短歌に縁のない女性たちも、彼女の歌を読めば、そこに自身の人生を重ね心を動かされる、そんな歌人だった。
 本書には、河野が乳癌を告知されてから、闘病、転移、そして死に至るまでの日々が綴られている。圧巻は、癌が見つかって手術をしたのち精神が不安定になり、怒りの発作を起こして狂乱する河野と、そんな妻に戸惑い傷つき、自身も狂気の淵をのぞき見ることになる永田自身を描いた章だ。
 自分がこんなことになったのはあなたのせいだとなじり、朝まで罵りの言葉を浴びせつづける。睡眠剤で朦朧としたまま包丁をテーブルや畳に突き立てる。永田氏の周囲に女性が居ることを許さず、娘が高校生のころ、その髪を撫でたことを持ち出して不潔だと罵ることもあった。あなたも撫でられて喜んでいたではないかと、娘を責めることまでしたという。
 その当時、島尾敏雄の『死の棘』ほど身につまされる小説はなかったと永田氏は述べている。『死の棘』は、夫の浮気をきっかけに妻がヒステリックな発作を起こすようになり、ついには夫婦で精神病棟に入院するに至る私小説である。
 ミホ夫人の狂乱の原因は夫の浮気だが、河野の場合は「置いてきぼり感」ではなかったかと永田氏は書く。乳癌によって女性としての自信を失い、再発の恐怖もある中、夫はこれまでと同じように外へ出て行く。学者としての仕事もあり、また、歌集の受賞が相次ぐなど、歌人としてもまさに脂が乗った時期だった。置いていかれ、見放されることへの恐怖から、「あなたのせいだ」と責任を認めさせることで夫を縛っておきたかったのではないかと述べている。
 私は『死の棘』に描かれたミホ夫人に興味を持ち、生前、評伝を書く目的で数度にわたってインタビューをしている。没後に発見された『死の棘』時代のミホ夫人の日記なども読んできたが、確かにミホ夫人の発作は河野のそれと非常によく似ている。他人の目のあるところでは、直前までの狂乱が嘘のように、急にまともになるところもまったく同じだ。本書には、耐えきれなくなった永田氏が、テレビに向かって椅子を投げつけ、廊下を走ってトイレのドアを蹴破り、後ろから止めた息子の肩にすがって身も世もなく泣く場面が出てくるが、ほとんど同じことを島尾敏雄もやっている。
 しかし河野裕子と永田和宏の夫婦には、島尾夫妻と決定的に違う点がある。二人の間に歌という回路があったことだ。河野はどんなに荒れているときも、発表前の歌稿を永田氏に見せたという。まともな会話が成立しないときも、歌によって夫婦はつながり合うことができたのだ。
〈あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて 河野裕子〉
 途方に暮れた永田氏が妻を抱きしめたまま泣いたときのことを詠った歌だ。「後年、この一首を見たとき、私は、それまでの彼女の錯乱にも似た発作と激情の嵐、私への罵言のすべてを許せると思った」と永田氏は書いている。修羅の日々にあって、互いの歌が互いを支えたのである。
 そして、死の床で夫が書き取った永訣の歌。死去以来、数えきれぬほど引かれた歌だが、何度でも引用しよう。
〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子〉
 愛する人の声を、その人がもういない世界に響かせる。それは、自らも歌人であり、命がけで歌を作るとはどういうことかを知っている永田氏にして初めて可能なことだったろう。本書はその全体が、妻に捧げた長大な挽歌であり、相聞歌であるとともに、歌人・河野裕子の見事な評伝である。  (かけはし・くみこ ノンフィクション作家)

「立ち読み」も出来るので、お試しあれ。



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