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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥詩作品「後水尾院の側近──中院通村の歌」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
380px-Nakanoin_Michimura中院通村像
 ↑ 中院通村像(京都大学総合博物館蔵)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──<後水尾院>シリーズ──(17)

      後水尾院の側近──中院通村の歌・・・・・・・・・・・木村草弥

中院通村 (なかのいんみちむら) 天正十六~承応二(1588-1653) 号:後十輪院
通勝の子。母は細川幽斎の娘。
後水尾天皇の側近として働く。右近中将などを経て、慶長十九年(1614)、参議に就任。元和三年(1617)、正三位・権中納言。同六年(1620)、従二位。同九年(1623)、武家伝奏(武家に対して朝廷の窓口となる役職)となる。寛永六年(1629)、権大納言。同年、後水尾天皇が譲位すると、翌年、右大臣二条康道とともに謀議に参与し罪を得、武家伝奏を免ぜられて江戸寛永寺に幽閉された。寛永八年(1631)、正二位。同十二年(1635)、天海和尚の訴えにより赦され、京に戻る。正保四年(1647)七月、内大臣に任ぜられたが、同年十月辞任した。承応二年(1653)二月二十九日、六十六歳で薨去。

古今伝授を受けた歌人として評価が高く、天皇御製の添削を命じられたほどであった。家集『後十輪院内府詠藻』には、1600余首が収められる。
また、父・通勝の源氏学を継承し、天皇や中和門院などに対してしばしば『源氏物語』の進講を行っている。
世尊寺流の能書家としても著名で、絵画などにも造詣を見せるなど、舅の細川幽斎に劣らぬ教養人であった。日記に『中院通村日記』がある。
将軍家光に古今伝授を所望されて断ったという逸話がある。
後水尾院への奏覧本と推測されている家集『後十輪院内府集』(『後十輪院内大臣詠草』『内府詠藻』とも。
続々群書類従十四輯・新編国歌大観九所収)に千六百余首を残す。

以下には『後十輪院内府集』より十首、『新明題和歌集』より一首を抄出した。  春 4首 夏 1首 冬 1首 雑 5首 計11首


元日雨降りければ

ひと夜あけて四方の草木のめもはるにうるふ時しる雨の長閑(のどけ)さ   (後十輪院内府集)

【通釈】大晦日から一夜明けて、周囲の草木の芽も張る春となって、潤う時を知る雨が降る――その雨ののどかなことよ。

【補記】雨が降った正月元日の作。「めもはる」は「目も張る」と「春」を言いかけている。

【参考歌】紀貫之「古今集」
霞たちこのめも春の雪ふれば花なき里も花ぞちりける

遠山如画図

色どらぬただ一筆の墨がきを都の遠(をち)にかすむ峰かな   (後十輪院内府集)

【通釈】彩色をほどこさない、たった一筆の墨で描いたかのように、都の遠くに霞む峰であるよ。

【参考歌】後柏原院「柏玉集」
墨がきのただ一筆の外なれや雨おつるえをわたる白さぎ

簷梅

春の夜のみじかき軒端あけ初(そ)めて梅が香しろき窓の朝風   (後十輪院内府集)

【通釈】春の短か夜が軒端に明け始めて、梅の香が白々と感じられる、窓辺を吹く朝風よ。

【補記】結句「園の朝風」とする本も。

【参考歌】徽安門院「光厳院三十六番歌合」
吹き乱し止みがたになる春雨のしづくもさむき窓の朝風

静見花

朝露もこぼさで匂ふ花の上は心おくべき春風もなし   (後十輪院内府集)

【通釈】朝露もこぼさずに美しく映えている桜の花の上には、気にかけるような春風も吹いていない。

【補記】『新明題和歌集』では上句「朝露にそのまま匂ふ花の上は」。

【参考歌】肖柏「春夢草」
こころだに花にみださじ露ばかり梢うごかす春風もなし


夏旅

あつからぬ程とぞいそぐのる駒のあゆみの塵も雨のしめりに   (新明題和歌集)

【通釈】まだ暑くない内にと急ぐのだ。乗っている馬の歩みが起こす塵も、雨の湿りに鎮まって。

【補記】『新明題和歌集』は宝永七年(1710)刊、当代の宮廷歌人の作を集めた類題歌集。編者は不明。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」「玉葉集」
ゆきなやむ牛のあゆみにたつ塵の風さへあつき夏のをぐるま


落葉

山風にきほふ木の葉のあとにまたおのれと落つる音ぞさびしき   (後十輪院内府集)

【通釈】山風と争って落ちた木の葉のあとで、その上にまた自然に落葉する音が寂しいことである。

【補記】山風がやんだ静けさの中、ひとりでに落ちる葉の音に、ひとしおの寂寥を感じている。元和四年(1618)閏三月の当座詠。

【参考歌】後伏見院「風雅集」
をかのべやさむき朝日のさしそめておのれとおつる松のしら雪


旅友 公宴聖廟御法楽

たれとなく草の枕をかりそめに行きあふ人も旅は親しき   (後十輪院内府集)

【通釈】誰となく、かりそめに行き遭う人でも、旅する時は親しく感じられる。

【補記】第二句「草の枕を」は、野宿するとき草を刈って枕にしたことから「刈り」と同音を持つ「かりそめに」を導く枕詞として用いる。言うまでもなく旅と縁のある語句でもある。

薄暮雲

暮れにけり山より遠(をち)の夕日かげ雲にうつりし跡の光も(後十輪院内府集)

【通釈】昏くなってしまった。山の彼方の夕日が雲に映じていた――そのなごりの光も。

【補記】元和年間の月次歌会での作。

暁鐘

初瀬山をのへのあらし音さえて霜夜にかへる暁の鐘   (後十輪院内府集)

【通釈】初瀬山の峰の上から吹く嵐の音が冷たく冴えて、鳴り響く暁の鐘も霜夜へ逆戻りしたかのように寒々と聞こえる。

【語釈】◇初瀬(はつせ)山 奈良県桜井市。長谷観音のある山。泊瀬山とも。山寺の鐘が好んで歌に詠まれた。

【補記】元和三年(1617)二月二十二日、摂津の水無瀬宮での法楽(法会のあと、詩歌を誦するなどして本尊を供養すること)における作。第三句「春さえて」とする本もある。

【参考】「山海経」
豊嶺に九鐘有り、秋霜降れば則ち鐘鳴る

庭苔

まれにとひし人の跡さへ庭の面はいくへの苔の下にむもれて   (後十輪院内府集)

【通釈】稀に訪れた人の足跡さえ見えず、いま庭の地面は幾重の苔の下に埋もれている。

【補記】元和三年(1617)の作。

懐旧

我が身には何ばかりなる思ひ出のありとてしのぶ昔なるらん   (後十輪院内府集)

【通釈】我が身にはどれほどの思い出があるというので、かくまで昔を思慕するのだろうか。

【補記】元和五年(1619)の月次歌会での作。作者三十二歳。

【参考歌】源通忠「続拾遺集」
橘のにほふ五月の郭公いかにしのぶる昔なるらん

王朝和歌あるいは堂上和歌と呼ばれる、この頃の歌は、今の短歌のような叙景、抒情もリアリズムではなく、「本歌」と呼ばれる昔の歌を引き添えて詠む手法である。
上の解説で「参考歌」などとして書かれている歌を下敷きにして作られている。

上記の中にもある中院通村が「武家伝奏を免ぜられて江戸寛永寺に幽閉された」時に後水尾院が詠んだ歌を見つけたので、以下に披露する。

     八月中旬の比(ころ)、中院大納言 武家の勘当の事ありて武州にある比、つかはさる

   思ふより月日経にけり一日だに見ぬは多くの秋にやはあらぬ

   秋風に袂の露も故郷をしのぶもぢずり乱れてや思ふ

   いかに又秋の夕をながむらん憂きは数そふ旅の宿りに

   見る人の心の秋に武蔵野も姥捨山の月や澄むらん

   何事もみなよくなりぬとばかりを此秋風にはやも告こせ

信頼していた通村を気遣う院の気持ちが、よく出ている。



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