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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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八十歳にひとつきをあまし/ひとにほこれるものは何もなく/おのれにほこれるものは/運だ・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(3)再掲載・初出Doblog2005/11/10

     意外になが生きして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     八十歳にひとつきをあまし
     ひとにほこれるものは何もなく
     おのれにほこれるものは、
     運だ。
     あれ、
     これ、
     それ、
     をさけることはできた。
     そのくらいのことか。
     そしてときに
     おやじの復讐と
     感じることがある。
     突然に
     演説をはじめるときなど。

     概してしゃべりすぎる。
     はなしたりないおやじを
     私は内にもっている。

     八十八歳まで生きて
     最後の十五年、
     言葉をうしなった彼は
     まだはなしたりなかった。
     それが突然にわたしのなかで
     エンジンがかかる。

     ばからしいことだが、
     仕方がない。
     親不孝者のわたしには、
     このくらいしか、
     不孝のつぐないはない。
     他に何か?

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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全80ページという掌篇詩集とも言えるものだが、約10篇くらいのカミングズ、オウエン、エズラ・パウンドなどの「訳詩」と思われる詩を含んでいる。
また「北アメリカの先住民オマハ」の儀式の祝詞みたいなものも訳されている。
「本のなりたち」という、あとがきみたいなもので
・・・・・自己批評は、批評のむずかしい領域で、年をとるにつれ、作者本人のもうろくにあとおしされて、さらにむずかしくなる。
 これは、自選詩集ではない。
 ある日、黒川創がこの詩集をおくってきた。それに、私が前から考えていた題をそえた。
 「もうろくの春」は、私が編むことのできる詩集をしのぐ。そのことがうれしい。
 もっとも小さい出版社の出発にさいして、一言、おいわいの言葉を。
 2002年10月5日─────鶴見俊輔

と書いてある。これで、この詩集が2002年に編まれたことが判る。
だから今年で九十歳になる。
「おやじ」というのは雄弁な自由主義者の政治家だった「鶴見祐輔」である。
雄弁家でありながら、晩年に「言葉」を失った父の代りに自分が「おしゃべり」だと書いているのは「親孝行」ではないのか。




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