FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
草弥の詩作品「徳川家光薨去に遣わされた歌」・・・・・・・・・・木村草弥
736px-Iemitu徳川家光
↑ 徳川家光像
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──<後水尾院>シリーズ──(22)

      徳川家光薨去に遣わされた歌・・・・・・・・・・木村草弥 

徳川第三代将軍・徳川家光は慶安四年(一六五一)四月二十日に亡くなった。享年四十八歳。
院の中宮・東福門院和子は秀忠の娘で、家光の妹である。

      将軍家光公薨去の時、女院御方へつかはさる 

   あかなくにまだき卯月のはつかにも雲隠れにし影をしぞ思ふ

   いとどしく世はかきくれぬ五月やみ降るや涙の雨にまさりて

   時鳥宿に通ふもかひなくてあはれなき人のことつてもなし

   たのもしな猶後の世も目の前に見ることわりを人に思へば

   ただ頼め蔭いや高く若竹の世々のみどりは色もかはらじ

「あかなくに」まだ飽き足りないのに。「まだき」早くも。「はつか」二十日と「はつか」=僅か、との掛詞。
「雲隠れにし」月が雲が隠れることを薨去の意味を重ねる。
「いとどしく」いよいよ。「かきくれぬ」悲しみで心が暗くなってしまった。「五月やみ」=五月闇。これも薨去に掛けてある。
三番目の歌の本歌は「亡き人の宿に通はば時鳥かけて音にのみ泣くと告げなむ」(古今・哀傷・読人不知)
             「山賎の垣ほに這へる青つづら人はくれども言伝もなし」(古今・恋四・寵)
五番目の歌「蔭」=家光のこと。「世々」竹の縁語「節よ」を利かせる。「若竹」は次世代の喩え。

「女院御方」とは、もちろん中宮・和子のことである。

ここで、徳川家に関連するものとして、下記のように引いておく。

   東照権現十三回忌につかはさるる心経の包み紙に 

   ほととぎす鳴くは昔のとばかりやけふの御法(みのり)を空にそふらし

   梓弓八島の浪を治めおきて今はたおなじ世を守るらし

寛永五年四月十六日に「東照権現十三回忌二十八品和歌」が成った。
ほととぎすも家康を追慕して鳴くだろう、という歌。
次の歌の「梓弓」は枕詞で、この歌の場合「八島」の「八」に「矢」の意が利いていて、それに掛かる。
「今はたおなじ」は本歌があり
本歌「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思ふ」(後撰・恋五・元良親王)

    柏の葉のかたしたる石を将軍家光公につかはさるとて

        色にこそあらはれずとも玉柏かふるにあかぬ心とは見よ

幕府とは、さまざまの争いの経緯があったのだが、禁裏を維持する金は、すべて徳川幕府に依存しているのである。
また中宮・和子との縁は断ち切れないので、時の経過とともに、徳川家に、院も心を許すようになられたのであろう。 



   
コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.