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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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天野律子歌集『空中の鳥かご』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
天野

──新・読書ノート──

     天野律子歌集『空中の鳥かご』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・砂子屋書房2012/03/10刊・・・・・・・・

天野律子さんは、先だって亡くなった米満英男氏の夫人である。
米満英男氏は先にも書いたように、私が兄事していた親しい歌人だった。
その夫人である天野律子さんには、私は会ったこともないし、角川歌人名鑑にも掲載がないので何も分からない。
お齢も分からない。
今まで米満さんと前衛短歌はなやかなりし頃から行動を共にして来られたようだが、米満氏の蔭にあって、歌も『黒曜座』に主として発表されてきたらしい。
今までに歌集『空庭』1999/02
      詞歌集『水の上の鎖』1999/05
      歌集『青漠』2007/04          
を出されていて、この本が第四歌集ということになるようだ。2003年から2011年までの428首を収録する。
図版の「帯」に載る文章が、読み取れると思うので、見ていただきたい。
このお二人の会話の「やりとり」は、夫婦して歌人であるということの典型が見てとれるような、ほのぼのとしたものである。
この本は一ページ三首組みで総数428首という多くの歌を収録するが、ここに書き抜こうとすると苦労するほど佳い歌がたくさんある。
「あとがき」によると、
<2007年6月、夫が突然の手術を受け、以後その闘病に付き添ってきた。・・・・・・
 第一章に2007年12月発表以前のものを、それ以後を第二章にまとめた。>とある。
米満氏は二月に亡くなられたので、この本をご覧になることは出来なかった。詳しくは私の当該記事を見てもらいたい。
以下、私の好きな歌をいくつか引きたい。

*汗ばみて思念がゆらぐ片隅の鏡のなかの雲の昏乱
*百年の孤独といへる焼酎を胃の腑におさめて なほうづくまる
*遠雷を肴に冷酒ひとり酌む家猫いよいよ老いを深めぬ
*足らぬのは言葉ではなくたとふれば海ゆく風の振り向く気配
*机上には砂漠も運河もあらざれど鉛の兵隊トテチテタッタ
*争ひて花うばひあふ幼な子の指は花粉の黄に染まりたり

Ⅰ、の初めの方から引いた。
米満さんも酒が好きだったが、天野さんも酒好きらしい。
そして終わりの二首は、恐らく「孫」が遊びに来たときの情景だろう。そんな子供たちが来ないときには「猫」が友だったらしい。 猫の歌が多い。
一番はじめに引いた歌は「雲の昏乱」という小項目名になっていて、いわく訳ありげに、私には見える。一種のエロスか。

*雲の髪なびきつつ消ゆ南南東はるか熊野は紺青の闇
*身の裡の記憶の傷をせうせうと秋の流水濯ぎゆくらむ
*百合の種子熟れゆく庭の中央を耳聾猫が悠然と来る
*暗闇の夜空の裏の銀泥のはつか軋みて季節が移動す
*わたくしの息を浄めて洗へるは冬の先ぶれ川にたつ霧
*<わたくし>と言ふは無名の謂ならむ一人称の平らぎ無明
*燃えあがるその瞬間を待つてゐる河原の石のながき願望

過ぎゆく外界の事象を、よく観察して歌に表現されている。 しかも、それは多分に「比喩」的である。
「川霧」は秋から初冬にかけて発生することが多い。 「比喩」も的確な「写生・観察」から始まる。秀逸である。

*かたはらに狂喜のごとくうづくまる存念ありて春の酣
*伝ふべき言葉を鎖して蔵ひ置くそのうち芽吹くか季なし桜の
*罅の入る手鏡つつむうす紙にかつて記されし言葉の痕跡
*春雷の去りたる坂を野良猫の小太郎侍尾を立てて往く
*突風の上りゆく坂ふむふむとまことしやかに猫の見送る
*ぎくしやくと老いてゆくらむ夏の浜それはさうだと波の咳く
*このことは言ふてはならぬと空蝉の背中の裂け目を雨だれが打つ
*かのやうにあるべしとしも雨脚はあなたの存念断つがに激し

私は「春」が好きではない。「春の酣」には圧倒されるからである。 だから私は春の季節には「鬱」になる。
「狂喜のごとくうづくまる存念」とか「伝ふべき言葉を鎖して」「言葉の痕跡」「ぎくしやくと老いてゆくらむ」「このことは言ふてはならぬ」
あるいは「存念断つ」というような作者の選択したコトバに、私は反応する。

*ふうはりと風のスカート膨らませかつての噂が寓話につかまる
*一杯の椀に掬へる風の嵩呑まむとするに何のさへぎる
*首振りの虎の玩具の首振りをいとほしむのか野良猫タマは
*冬帽子まぶかに被り幼きがかくんかくんと雪を蹴りゆく
*青空の奥より哭き声降りてくるわが誕生日きさらぎ朔日
*自祝にと冬薔薇一枝瓶に挿すうべなふべしと雪降るあした
*どの色の鳥を飼はうか真夜ふかく醒めて虚空の鳥かごを観る

題名の「空中の鳥かご」は、この歌から採られている。
米満氏の<短歌って、何だ>という問いかけに、作者の天野さんが<空中の鳥かご>と答えた、という。
禅問答のようでもあり、極めて前衛的な「比喩」的な受け答えと言えるだろう。

*結末はかういふことかといつぽんの沢の古木を藤が締めをり
*饒舌な足音ばかりが下りくる不眠の舗道の七折れ階段
*舌といふうごめくものを何喰はぬ顔に収めて聞き役につく
*すでにいまはその時にあらず慰撫さへもそつぽをむきてするり過ぎゆく
*たしかめるよすがもなくてただただにただよひゆける季の存念
*念入りにコーヒーを淹れ端座せり午前三時の窓あけ放ち
*日常の傍辺にありて飲食の器とならぬガラス壺愛づる
*影として庭を横切る過去の夢かくしてひとは老いてゆくのか
*酔ふことは醒めゆくことよ秋の夜半くらくら瑠璃の酒壺を盈たさむ
*まず一献にごれる酒をたつぷりと盈たさば朱盃虚空を映す

<看取り>というのは苦労の絶えないものである。 私もほぼ十年間、亡妻の癌の闘病に伴走してきた。
私は、この間は五七五七七という短歌の韻律に浸りきれなかった。散文詩を作ることで終始した。その成果は詩集『免疫系』に結実したが。。。
天野さんは、見事に短歌の韻律で、この間を詠い切られた。 お見事である。ここに引いた十首ほどの歌に見事に集約されたというべきだろう。
まだ米満氏は存命中であるから、「比喩」のオブラートにくるみながら、巧みに詠われている。

*どのやうな結末あるのか残されてたわわに朽ちゆく金柑のあり
*この真夜を凍りゆくらむ甕の水ひとつの断念呻きゐるとぞ
*ひだまりの欠伸のごとくしなしなと来るはずのない結語を待ちぬ
*靄だちて私の家の一隅はまるであらざる仮説の現世
*濃き酒をゆるゆる注がばわが内腑ゐずまひ整へ粛然と在る
*3Bの鉛筆がない このやうな些末なことを話題に選ぶ
*もういいかここらあたりで地図帳を閉ぢてしまはむ 出口はどこだ
*目的地があつたはずだがさてそこはこの世の奥の黄泉平坂

痛々しいまでに、看取りと自身の内面への描写がつづく。
引きだしたらキリがない。 そろそろ鑑賞も終わりにしなければならない。

*蝉殻をみつしり納めし紙箱を両手に捧げ幼きが来る
*石蕗の黄の花群れて真夜を咲く醒めゐるべしとの寓意に従ひ
*人生が終はると言ふてあのひとはいつしんふらんに湯浴みしてゐる
*それごらんしたり顔した風が言ふあの歳月が見つからなくて
*起き立ちて不眠の夜を散歩する虹の尻尾を追ひゆくやうに
*絶え間なく崩れゆくものたとふれば空の奥処を落下する滝
*ああそしてあなたもわたしもこのやうになしくづしといふ救済を享く
*一対の耳をそよがせ君は佇つ言葉を棄てて朝の窓辺に
*てのひらに夕陽を容れて差し出せばあなたは確と頷てゐる
*黄のてふてふ黒のてふてふそれらのみ訪れる庭しんかんと昼

はじめに書いたように採りたい歌が多すぎて散漫になったかも知れない。
これらの歌の中に、私は米満英男氏の姿を追い求めている。 つまり天野さんの歌は、ここ数年の二人の「生きざま」を活写したということである。
一人(いちにん)の死を巡って、歌が華やぐ、とは哀しいことだが、文学としては秀でたことと言わなければならない。
佳い歌集を読ませていただき感謝申し上げる。 お力落しなく、ご消光くださるようお祈りいたします。 (完)


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