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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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福岡伸一『動的平衡』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
福岡②

──新・読書ノート──

     福岡伸一『動的平衡』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・木楽舎刊2009初版2012/05/01第14刷・・・・・・・・・・

昨日、『生命と記憶のパラドクス』を載せたのだが、この本は余りにもエッセイ的であり過ぎたので、ここに『動的平衡』のエッセンス部分を引いておく。

可変的でありながらサスティナブル
カレティジアンに対する新しいカウン夕ー・フォースとして、私は今、二つの可能性を
考えている。一つは生命が本来持っている動的な平衡、つまりイクイリプリアムの考え方
を、生命と自然を捉える基本とすることである。
生命とは何か?
この永遠の問いに対して、過去さまざまな回答が試みられてきた。DNAの世紀だった
二十世紀的な見方を採用すれば「生命とは自己複製可能なシステムである」との答えが得
られる。確かに、これはとてもシンプルで機能的な定義であった。
しかし、この定義には、生命が持つもう一つの極めて重要な特性がうまく反映されてい
ない。それは、生命が「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」
という古くて新しい視点である。
二十一世紀、環境の世紀を迎えた今、生命と環境をめぐる思考の中にあって、この視点
に再び光を当てることは、私たちに様々なヒントをもたらしてくれる。
生命力分子レベルにおいても(というよりもミクロなレベルではなおさら)、盾環的でサス
ティナブルなシステムであることを、最初に「見た」のはルドルフ・シェーンハイマーだ
つた。DNAの発見に先だつこと一〇年以上前(一九三〇年代後半から一九四〇年にかけて)
のことだった。この、生命観のコペルニクス的転回は、今ではすつかり忘れ去られた研究
成果である。
日本が太平洋戦争にまさに突入せんとしていた頃、ユダヤ人科学者シェーンハイマ—は
ナチス・ドイツから逃れて米国に亡命した。英語はあまり得意ではなかったが、どうにか
二ューヨークのコ口ンビア大学に研究者としての職を得た。
彼は、当時ちょうど手に入れることができたアイソトーブ(同位体)を使って、アミノ
酸に標識をつけた。そして、これをマウスに三日間、食べさせてみた。アイソトープ標識
は分子の行方をトレ—スするのに好都合な目印となるのである。
アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼気や尿となって
速やかに排泄されるだろうと彼は予想した。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化
管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部
となっていたのである。そして、三日の間、マウスの体重は増えていなかった。
これはいったい何を意味しているのか。マウスの身体を構成していたタンパク質は、三
日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられ、その分、身体を構成していたタンパ
ク質は捨てられたということである。
標識アミノ酸は、ちょうどインクを川に垂らしたように、「流れ」の存在とその速さを
目に見えるものにしてくれたのである。つまり、私たちの生命を構成している分子は、プ
ラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズ
ムの中にあるという画期的な大発見がこの時なされたのだった。
まったく比喩ではなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなけ
ればならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。そして、さらに重要なのは、
この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保って
いるということだった。
個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミ
クロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない
のである。

「動的平衡」とは何か
生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換
えられている。身体のあらゆる組繳や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され
続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数力月前の自分とはまったく別物にな
っている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間
にはまた環境へと解き放たれていく。
つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表
現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけで
はなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一
時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は
変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」という
ことなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありようをダイナミック・ス
テイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概念をさらに拡張し、生命の均衡の重要性をよ
り強調するため「動的平衡」と訳したい。英語で記せばdynamic equilibrium (equi =等し
い、librium =天枰)となる。
ここで私たらは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命と
は動的平衡にあるシステムである」という回答である。
そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴
とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存して
いるのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造で
はなく「効果」なのである。
サスティサブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サスティ
ナブルなものは常に勛いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の
中にある。サスティナブルは流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平
衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を
作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的•制度的に保存し
たり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
サスティナフルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保
ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって
「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。

多くの失敗は何を意味するか
シェーンハイマーは、それまでのデカルト的な機械論的生命観に対して、還元論的な分
子レベルの解像度を保ちながら、コペルニクス的転回をもたらした。その業績はある意味
で二十世紀最大の科学的発見と呼ぶことができると私は思う。
しかし、皮肉にも、このとき同じニューヨークにいた、ロックフェラー大のエイプリー
によって遺伝物質としての核酸が発見された。そして、それが複製メカニズムを内包する
二重らせんをとっていることが明らかにされ、分子生物学時代の幕が切つて落とされる。
生命と生命観に関して偉大な業績を上げたにもかかわらず、シェーンハイマーの名は次
第に歴史の澱に沈んでいった。
それと軌をーにして、再び、生命はミクロな分子パーツからなる精巧なプラモデルとし
て捉えられ、それを操作対象として扱いうるという考え方がドミナントになっていく。必
然として、流れながらも関係性を保つ動的な平衡系としての生命観は捨象されていった。
ひるがえって今日、外的世界としての環境と、内的世界としての生命とを操作しつづけ
る科学・技術のあり方をめぐって、私たちは重大な岐路に立たされている。
シェーンハイマ—の動的平衡論に立ち返って、これらの諸問題を今一度、見直してみる
ことは、閉塞しがちな私たちの生命観・環境観に古くて新しいヒントを与えてくれるので
はないだろうか。
なぜなら、彼の理論を拡張すれば、環境にあるすベての分子は、私たち生命体の中を通
り抜け、また環境へと戻る大循環の流れの中にあり、どの局面をとっても、そこには動的
平衡を保ったネットワークが存在していると考えられるからである。
動的平衡にあるネットワークの一部分を切り取って他の部分と入れ換えたり、局所的な
加速を行うことは、一見、効率を髙めているかのように見えて、結局は動的平衡に負荷を
あたえ、流れを乱すことに帰結する。
実質的に同等に見える部分部分は、それぞれが置かれている動的平衡の中でのみ、その
意味と機能をもち、機能単位と見える部分にもその実、境界線はない。
遣伝子組み換え技術は期待されたほど農産物の増収につながらず、臓器移植はいまだ決
定的に有効と言えるほどの延命医療とはなっていない。ES細胞の分化機構は未知で、増
殖を制御できず、奇跡的に作出されたクロ ーン羊ドリーは早死にしてしまった。
こうした数々の事例は、バイオテクノロジーの過渡期性を意味しているのではなく、動
的平衡としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように、
私には思えてならない。
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この本は啓蒙書でありながら、結構手ごわいものなので、こんな形で「切り取り」するのは危険だとはわかっているが、一応、引いてみた。
この本は2009年に出されているし、その後ES細胞やiPS細胞の分野で画期的な研究の進展があったので、これらの成果は、すぐに取り入れられるだろう。

いずれにしても生命現象を「動的平衡」と捉えたことは、彼の理論の根幹であるから、これからの理論的発展を注視したい。
敢えて、昨日に続いて採り上げる所以である。





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