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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・石部明」川柳作家・石部明が死んだ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
石部
 ↑ 第二句集『遊魔系』─2002/02/28詩遊社刊

──新・読書ノート──

   「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・・・・・・・・・石部明」
       ──川柳作家・石部明が死んだ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


川柳作家で、連句作者であり、精細な批評家でもある小池正博氏のサイトを読んでいて、石部明が死んだことを知った。
ここには、こう書いてある。 ↓
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10月27日(土)、石部明が亡くなった。享年73歳。
昨年11月に倒れて、入院・闘病生活を続けていたが、退院して自宅療養していると聞いていたので、訃報の衝撃は大きかった。
28日に岡山県和気町までお通夜に行く。

29日の葬儀に私は仕事の都合で出席できなかったが、参列した方々のブログによってそのときの様子がうかがえる。
弔問は「一般」「川柳関係」「建設関係」に分かれ、会場に入りきれないほどの参列者があった。樋口由紀子が弔辞を読んだ。
樋口の弔辞は参列者の涙を誘ったようだ。樋口自身も震えていた。
出棺のとき、くんじろうは「アキラッ」と叫び泣き、その声は確かに棺の中まで届くように感じられたという。

石部明の本名は石部明(いしべ・あくる)であるが、川柳界では明(あきら)で通していた。
『セレクション柳人・石部明集』から略歴を紹介しておく。
1939年1月3日、岡山県和気郡に生まれる。
1974年から川柳を始め、「ますかっと」「川柳展望」「川柳塾」「ふあうすと」「川柳大学」などの同人・会員として活躍した。1998年、「MANO」創刊、2003年「バックストローク」創刊。実作者としてはもちろん、川柳界のリーダーとしても大きな存在であった。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『石部明集』がある。
また「第3回BSおかやま川柳大会」の対談「石部明を三枚おろし」では、時系列に従って石部の川柳人生が語られているので、詳しいことはそちらの方をご覧いただきたい(「バックストローク」31号収録)。

『川柳総合大事典・第1巻・人物編』(雄山閣)の石部明の項は私が書かせていただいたのだが、そこでは次のように述べている。
「その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う」
このような評価の仕方でよかったのかと思うこともあり、石部本人からは何のコメントもなかったが、人づてに聞いたところでは、「川柳の伝統の批判的継承者」というフレーズが気に入ってもらったようだ。

石部は座談の名手で彼のまわりには常に談笑の輪ができたが、過剰なサービス精神は彼自身を疲れさせることもあっただろう。彼はけっこう複雑な人物であり、心の中ではさまざまな思いが渦巻いていたことだろう。
私が最後に彼と会ったのは、今年4月のBSfield岡山川柳大会の翌日で、岡山労災病院にお見舞いに行った。そのとき彼は思ったより元気で、川柳界のあれこれについて語った。病室にいても各地の川柳の動向を気にかけていたのだ。

闘病生活の中でも体調の良い日はあって、「川柳カード」創刊号のために石部明は10句を書いてくれた。気迫のこもった石部らしい作品になっている。彼の川柳人生の掉尾を飾る川柳作品だろう。11月25日に発行予定の創刊号をお待ちいただきたい。
また、たぶん「MANO」で追悼号を出すことになるだろうが、いまは具体的なことを云々する気持の余裕もない。

ここで私はお別れの言葉を述べることはしない。石部明は私たちの心の中に生き続けているからである。「小池さん、あなたはそう言うけどね…」という彼の声は今でも聞こえてくる。お通夜のときに柴田夕起子に「何か言い残したことはなかったか」と尋ねると、そのような言葉はないということだった。彼はまだ死ぬつもりはなかったのである。石部明が川柳界に残したこと、成し遂げようとしたことは継承していかなければならない。
最後に『石部明集』の解説で壺阪輝代も引用している石部自身の句を手向けよう。

       死顔の布をめくればまた吹雪     石部明
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彼・石部明は、どんな病気だったのかと思って、彼のブログにアスセスしてみたら、昨年の発症時の記事があったので、下記に引いておく。 ↓
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昨年11月1日の突然の食道静脈瘤破裂と、発症時の転倒による脊髄の一部損傷による手足の痺れは、一命を取り留めたものの思いがけず長期の療養を必要とした。

そして、ほぼ治療も落ち着いた2月21日、検査入院の予定が、当日、食道静脈瘤の出血が発見され治療のための入院となる。病名―特発性肺線維症、肝硬変症、食道静脈瘤。

肝機能低下による腹水が認知されたが、抜くと体調の著しい低下が懸念され、利尿剤による治療が始まる。3月8日退院。

今度は腰臀部帯状疱疹発疹(何でつぎつぎこうなるんや・・)。通院治療も可能とのことであったが、一日5時間の点滴治療のため、3月13日同じ病院に入院。5日間の点滴治療を受ける。

点滴治療が終了した時点の3月21日、腹水収まらず2000ccの水抜き工事敢行。2時間かけて腹水を抜き、さらにそれを精製ろ過し、再度点滴によって身体に戻すという。

点滴によって再び身体に戻すとき、拒否反応のでるおそれがあるということで5分ごとに血圧を測りながらの点滴であったが無事終了。
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「食道静脈瘤破裂」とか「腹水を三リットル抜く」とか、深刻な症状だったことが判る。

川柳

もとより私は川柳も俳句も「実作者」ではないが、短詩形文芸として、このブログでも採り上げているし、ずっと以前に入っていた同人誌の企画で、
俳人、柳人(川柳作家のことを、こう略称する)と一堂に会したことがあり、小池氏や樋口由紀子氏にはお会いしたことがある。
小池氏は「連句」作家・批評家としても著名な方である。
ここに掲出した『現代川柳の精鋭たち』は図版でも見られるように西暦二千年に出たものであり、その中に石部明の句100句が載っている。
またはじめに掲出した第二句集『遊魔系』に載る作品も多くが、重複するが、前者は石部の自選であり、後者は樋口由紀子、倉本朝世の選による。
いくつか引いてみる。

 記憶にはない少年が不意にくる

 フラスコへ一滴たらす父祖の土地

 いもうとは水になるため化粧する

 水掻きのある手がふっと春の空

 春北斗指さすポルノ映画館

 栓抜きを探しにいって帰らない

 軍艦の変なところが濡れている

 彼岸花銀行員が家出する

 水だけで描く近親姦の朝

 春の服吊られたままに衰える

 死ぬということうつくしい連結器

 花札をめくれば死後の桐の花

 死者となり菊と菊との間に揺れる

 桃色になるまで月を撫でている

 どこからも見えて性器の睡る空

 君が代を唄う娼婦を「はる」という

 蜂起せよ癌病棟の月見草

 くちびるは鉄棒好きの少女です

 死者の髭すこうし伸びて雪催い

 ごしごしと渚で洗う毛の神話

 国境は切手二枚で封鎖せよ

 あかんべえしてするすると脱ぐ国家

私の恣意で引いてみたが、「現代川柳」というのは、こんなものである。
この本の編集の中心人物だった樋口由紀子は、この『現代川柳の精鋭たち』の「へんしゅう後記」で、
<本来、川柳は言葉の意味で屹立する文芸である。>と書いているが、ここに載る句は、みな前衛的な<否>意味、の作品である。
極論すると<ナンセンス>な、<意味を超越した>作品である。
それは難解な言葉を羅列した現代詩に似ている。
こういう作品が、一般的に受け入れられるか、どうかはギモンがある。
難解な、ひとりよがりな現代詩が、ひとにぎりの「仲間内」の文芸に終始しているのと似ている。仲間内のマスターベーションとも言える。

一番はじめに掲出した「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・・・・石部明」は小池正博氏の選んだものだが、これなどは素直な佳い句である。
一般的な、いわゆる川柳の作品が、常識的な<予定調和>的なものが多いので、それに対する<反・措定>としての現代川柳が在るというのは判るし、
また現代川柳作家が意識して<反・措定>と唱えることもあるので理解するが、その度合いが問題であろうか。
<一般の人には判らなくても、いいのだ>というのであれば何をか言わんやである。

『遊魔系』には、藤原龍一郎の「幽の昼悠の夜」という八ページにわたる解説が付いている。
少し引いてみる。

<石部明の目に映る世界には常に不安の翳が射しているように思う。
 その陰翳はこの時代の危機感の予兆であり、自己への鋭い内省の視力ともなっている。
 一句一句の作品のベクトルが、読者の心理の奥底へ向っている。
 その力をどれたげ受け止められるかは、読み手の感受性にかかっている。>
<「軍艦の変なところが濡れている」の句は、この作品集の中でも代表句となるべき一句ではないかと思う。
 軍艦とは何か?変なところとは何処か?濡れているのは何故か?読者はそんな疑問を連続的に抱かせられながら、この句の世界へ引き摺り込まれてしまう。
 それは黒い諧謔に満ちた不安の世界なのだ。何の寓意もない。それゆえに不安は増幅する。ここには純粋な作品世界が成立している。>

「軍艦の変なところが濡れている」の句が優れているのは間違いないが、<何の寓意もない。それゆえに不安は増幅する。>と言い切ってしまっていいのか、と私は思う。
藤原龍一郎の解説は、キレイ過ぎる。 石部の句は、万事が、こういう調子なのであり、それを<不安の増幅>と捉えるのはキレイゴト過ぎる。
「寓意」のオンパレードではないのか。

ここで参考までに、小池正博氏の発行する『週刊「川柳時評」』から、ひとつの過去記事を引いておく。 ↓
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2010年11月26日金曜日 石田柊馬の川柳史観
現代川柳の「いま、ここ」を明らかにしようとする場合、現在の短詩型文学の状況に目配りすると同時に、川柳の歴史的展開をも踏まえておくことが必要である。よく言われる言葉で言えば、共時性と通時性の切り結ぶところに川柳の現在があるのだ。そこで問われるのが川柳史観である。「川柳」という単一のものがあるのではなくて、史的展開をふまえた「様々な川柳の可能性」がある。川柳の「いま」を論じるときに、どのようなパースペクティヴをもって現代川柳を捉えているのかが問われることになる。
石田柊馬はそのような「川柳史観」を感じさせる数少ない批評家の一人である。今回は「バックストローク」32号に掲載された「詩性川柳の実質」をもとにしながら、石田柊馬の川柳史観について検討してみたい。
「詩性川柳の実質」は「バックストローク」に連載されている長編評論である。30号・32号では石部明論の形をとりながら、その背後に柊馬の川柳史観が明瞭に読み取れる。一人の川柳人を論じることが、現代川柳の史的展開を論じることとなるのは川柳批評の醍醐味と言ってよいだろう。
さて、柊馬はこんなふうに述べている。

「第一句集から第二句集への道程で、石部は主題を初発点にする書き方を心得つつ、言葉を初発点にする書き方に体重が掛かってゆく。川柳的な共感性の担保であった現実感が、書かれた句語の後追いをすることになる」

石部明の第一句集『賑やかな箱』から第二句集『遊魔系』への展開を、石田柊馬はまずおおざっぱに「主題を初発点にする書き方」から「言葉を初発点にする書き方」へと規定してみせる。「句語の後追い」とは何であろうか。意味があって言葉が書かれるのではなくて、言葉が先にあって意味があとからついてくるような書き方を念頭においていることは間違いない。したがって柊馬は次のように続けている。

「一句の意味性は、句の書かれたあとからついて来るものとなるので、川柳的な飛躍の錘であったリアリズムから作句が解放されたのである。意味性は、句語や言葉と言葉の関係性へ直感的に飛来してくる。つまり、まだ意味性や作者の思いを背負わされていない素の言葉、あるいは、言葉と言葉の関係性が作者のアンテナに触れてスパークする手応えが一句を創り上げる」

「意味なんてあとからついてくるのよ」とは本間三千子の言葉だと伝え聞いている。作品の意味は何かと問われて、本間は意味なんてあとからついてくるのだとタンカをきったのである。言葉には意味があるが、言葉は意味そのものではない。言葉は意味よりももっと広いものであるはずだ。「川柳の意味性」と言われているものは、川柳の持ち味を「言葉の意味」という一点に集中することによって強度なインパクトをめざす一方法だったのである。それを意味という一点に封じ込めてしまうことは、川柳の可能性を限定してしまうことになる。しかし、同時に「意味性」は野放図な「川柳的な飛躍」を制御するための安全弁の役割をも果たしていた。どこへ飛んでいくか分からない言葉の飛躍を制御するために、「意味性」の錘は有効だったのである。少なくとも従来の川柳はそういう書き方をされていた。
それでは「意味の錘」を外したとすれば、言葉はどこへ飛躍していくのだろうか。それはおそらく「言葉と言葉の関係性」の世界へ入っていくのである。

「前句附けというシステム、七七という問いに五七五で答えるルールを書き方の原初とする川柳では、言葉と言葉の関係性に敏感であったはずだが、およそ百年の近代化の中で作者の思いを書くことだけが重視されて、言葉との付き合いの自由を軽視する狭いリアリズムが横行した。しかし古川柳は折口信夫に言語遊戯と断じられるほど、川柳は言語との関係に自由であったはずなのだ」

このあたりから柊馬の川柳史観が明瞭になっていく。前句付をルーツとする川柳が「言葉と言葉の関係性」に敏感であったという指摘は新鮮である。川柳は雑俳の一種と考えられるが、雑俳のさまざまな形式は「言葉と言葉の関係性」によってのみ成立していると言っても過言ではない。それを「言語遊戯」として退け、「作者の思い」の表現に限定してしまったのは「川柳」の特殊事情であり、「近代」という時代の要請である。

「戦後の革新派が句会を嫌った理由には、ダンナ芸や膝ポン川柳などの俗物性への批判があったが、俗物性の中にも流れている言語遊戯の性状については思考の対象としなかった。河野春三の言う『人間諷詠』が川柳の近代化であったが、近代化のなかで書かれた佳作は、多くの場合、古川柳から受け継がれた人情という共感要素を現実から抽出したものであり、結果、私川柳の飽和に至って袋小路に突き当たったのであった」

河野春三が「川柳における近代」の代表的存在であったことは、現在の眼から見てますます明らかになりつつある。春三の近代とは川柳における「私」の確立であり、その実質が「人間諷詠」であったのだ。そこから「思いを書く」という川柳観へはわずかに一歩の距離にすぎない。
川柳は近代化を急ぐあまりに大切なものを見落としてきたのではないか。近代的自我の確立というテーゼは「思いの表現」に矮小化されたが、「私」の表現はもっと深く広い領域を含んでいる。石田柊馬の川柳史観をたたき台にして、さらに複眼的な川柳史観を構築することが後発の世代には求められている。
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この『遊魔系』は新本はないのでアマゾンの中古品で買ったので、「帯」は無く、したがって「帯」に載っていた「堀本吟」の文章は読めないのが残念。
『現代川柳の精鋭たち』にも彼女は荻原裕幸と共に解説を執筆しているので、旧知の仲でもあり、読んでみたかった。
いずれにしても、現代川柳界の一翼を担い、柳誌「MANO」「バックストローク」などで活躍した有力な戦士であったのは間違いなく、ここに、ご冥福を祈りたい。合掌。


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