
春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじゃくし)の
語尾活用を君は見るだらう・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
「蝌蚪」(くわと)とは「おたまじゃくし」のことだが、以前にも書いたが、この字は中国の上代に、竹簡に漆の汁をつけて字を書き、その字の形が頭が大きく尾が小さい、おたまじゃくしに似ているので、そう名づけられ、それを明治以降、俳人たちが「音読」利用しているものである。
私の歌は、「おたまじゃくし」の尻尾を、日本語の「語尾活用」と捉えて、いわば「比喩」的に表現したものである。一種のユーモアと受け取ってもらっても結構である。
歌としては、取り立てて、どうという歌ではないが、「比喩」表現を理解する人には好評だった。
歌作りでは、こういう「凝った」作り方を時としてやってみたくなるものである。
所詮は短歌も「歌遊び」「言葉遊び」であるから、さまざまの趣向を考えることが必要だろう。
こういう「言葉遊び」を理解しようとしない頭の固い人が往々にして存在するので、困るのである。
いかがだろうか。
「おたまじゃくし」は俳句の世界では「春」の季語で、歳時記には多く見られる。
先に引いたものと多少は重複するかも知れない。ご了承を。
川底に蝌蚪の大国ありにけり・・・・・・・・・・村上鬼城
蝌蚪の水わたれば仏居給へり・・・・・・・・・・水原秋桜子
流れきて次の屯へ蝌蚪一つ・・・・・・・・・・高野素十
枕べに蝌蚪やすみなき手術以後・・・・・・・・・・石田波郷
蝌蚪に足少しいでたる月夜かな・・・・・・・・・・長谷川双魚
蝌蚪つまむ指頭の力愛に似て・・・・・・・・・・金子兜太
吾のため歌ふ子蝌蚪の水昏るる・・・・・・・・・・佐藤鬼房
蝌蚪かくも群れて天日昏めたる・・・・・・・・・・桑田青虎
蝌蚪沈みゆけり頭を真逆さま・・・・・・・・・・大橋敦子
蝌蚪の水少年のなほ女声・・・・・・・・・・辻田克巳
蝌蚪生れて白き窓もつ文学部・・・・・・・・・・原田青児
心ざし隆々たりし数珠子かな・・・・・・・・・・大石悦子
散り散りの幼な馴染や蝌蚪の陣・・・・・・・・・・船平晩秋
蝌蚪離合集散のたび数を増す・・・・・・・・・・長田等
うたたねのはじめに蝌蚪の紐のいろ・・・・・・・・・・鴇田智哉
紐を出て紐に縋れる蛙の子・・・・・・・・・・木場瑞子
泡一つ置きに来て蝌蚪沈みけり・・・・・・・・・・江川虹村
やはらかき泥にくすぐりあうて蝌蚪・・・・・・・・・・高田正子
蝌蚪生(あ)れてまだよろこびのほかしらず・・・・・・・・・・和田知子
尾を振つて蝌蚪と生れたる嬉しさよ・・・・・・・・・・井上松雄
底深く動かぬ蝌蚪の生きくらべ・・・・・・・・・・谷口栄子
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