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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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入江敦彦『秘密の京都』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
秘密

──新・読書ノート──

    入江敦彦『秘密の京都』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・・・新潮文庫平成20/06/01刊・・・・・・・・・・・

先に紹介した本と同じ著者による「京都本」である。
「まえがき 京都の四季を散歩するなら」を引いておく。
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       秘密の京都


まえがき 京都の四季を散歩するなら


 春は葵橋。水汀に花の集うとき

 花見がしたいんだけど、京都らしい桜の名所ってどこですか?
 そやねえ、やっぱり円山公園あたりがよろしんちゃいますか?
 返事しながら京都人は目が泳ぐ。よそさんから訊ねられる《京都らしさ》ほど京都人を困惑させるものはない。
問いが“京都らしいお寺”なら、金閣寺でっしゃろねえ? と、“京都らしいお菓子”なら、おたべがええんかなあ? と、付加疑問形で答えて曖昧に微笑んでいる。
 がっかりを絵に描いたような質問者の顔が見える。落胆もわかんなくはないけれど、昔はよかった。
よそさんは何の疑問も挟まずに円山で桜を観賞し、金閣寺を回って、おたべをお土産に帰っていったものだ。
《京都らしさ》を発見したがるよそさんはいったいなにを期待しているのだろう。
「それやったら、ええとこがありますわ」と、交通の便がよく人が少なく“京都人だけが知っている”アナ場、カクレ家、
ツウの店に手引きしてもらえると本気で思ってるのだろうか。
 そんな期待に根拠などないが、なんとなく京都にはそういった“秘密の花園”が隠されているような気がしてしまうのもあながち理解できなくはない。
千年の古都的イメージ戦略の成果かもしれない。
またこの都市の住人たちがいかにも腹にイチモツ呑んでいそうな印象なので、よそさんは余計「なんかありそー」と勘繰る。
それゆえありきたりの返答に「なあんだ」と肩を落とすのである。
 しかし、たとえば洛中の春を歩きながら、観光地でもなんでもない場所で、そこらの煙草屋で番をしているジーサンや買物かごを下げているようなオバサンをつかまえて、
こんなふうに訊いてみるといい。
「このあたりに、どこか桜が綺麗なところをご存知ありませんか」。彼ら彼女らは喜んでガイドブックには載っていない情報を提供してくれるだろう。
魔術師のように手をひらめかせ、思いも寄らない景色を出現させてくれるに違いない。
 もし誰かが花の盛りにその質問をしてくれたら……そうだなあ、私なら「葵橋」を挙げるだろうか。
「ついでに近所の『ふたば』で豆餅買わはったらええわ。ほんで食べもって(食べながら)上のほう見てみよし。最高え。
あ、恵方とちゃうし笑わいでもええよ」。
 出雲路橋の向こう、遠くに溶ける北山の稜線。ドラマティックに広い空。空を映す賀茂川の浅い流れ。
洲に枯れ残った葦原から慇懃な足取りで歩み出る五位鷺。そして両岸を覆う庇のように堤防に咲き競う桜、桜、桜の並木。
それぞれのリズムで花陰を散歩する人。ベンチに座って対岸の花を楽しむ人。自転車に乗って肩越しに眺める人。
豆餅の穏やかな甘さと、しっとりしっかりした歯ごたえ、鼻腔を抜ける塩気を含んだ赤エンドウの香ばしさが目の前にある風景と一体となり、
葵橋の上のひとときはきっと忘れられないものになるはずだ。
 葵橋から見渡す桜のパノラマは、町家や社寺といった判り易い記号がないという点で京都らしいとは言えないのかもしれない。
「はんなり」や「雅」といった形容詞とも無関係。ただ、そこには京都人にとって極めて京都を感じる“らしさ”がある。
京都にしかない美が象嵌されている。
そういった京都人にとって京都的な情緒、この土地でしか京都人が感じられない安寧、いわば《京都人らしさ》とでも表現するべき感性を宿した景色を、
他のどんな美観よりも彼らは愛する。
だから、京都人は京都らしさには不案内でも《京都人らしさ》のある場所の情報なら数え切れず持っている。
そして――そして、それを人に教えたいと思っている。
 基本的に京都人は京都に詳しい。マニアといって構わない。ただし彼らの知識はふだん散歩する範囲に限られることも多い。早い話が近所しか知らない。
『オズの魔法使い』のドロシーみたいに「おうち(の辺り)が一番」と信じているのだ。
が、またその自信を裏付けるようなえもいわれぬ美しさが露地の懐に、無名の祠に、路傍の昏がりにさえ何食わぬ顔で息づいていたりするのも本当なのだ。
 さて、私も京都人ではあるが、散歩の範囲がもう少し広い。子供のころから放っておくと際限なく歩いてしまうクセがあった。
なので、くだんの質問を京都駅のあたりでされたら「梅小路公園」などを教えてさしあげることもできる。
 梅小路といえば蒸気機関車館が有名だが、ここには建都一二〇〇年事業のなかで唯一の成功例と公言できる九千平米にも及ぶ池泉回遊式庭園があるのだ。
有料の場所も充分に二百円の価値はあるし、レストラン『ん』も悪くない。
けれど、白眉は東側の大きな芝生広場。周囲が森林風の散歩道になっており、山桜、八重桜、紅枝垂れこき混ぜて配され、なんとも風流なのだ。
暗くなると足元からライトアップされて夜桜も楽しめる。
「やはり野に置け、れんげ草」と同じ理由で、京都人によって丹精され改良が重ねられてきた桜は人間の暮らしに近い環境で、
人間の手で整えられた場所でこそその魅力が増す。
 阪急嵐山線『松尾駅』なども、いい例だろう。
松尾大社そのものも桜の名所だが、プラットフォームを真綿でくるむように咲く花のなかに葡萄茶色の電車が滑り込むさまは夢の中の情景めいて平和である。
遠くに真朱の鳥居が浮かんでいる。この場を去ることを惜しむようにゆっくりと乗降する人々はみんな幸せにみえる。「今宵逢ふ人、みな美しき」か。
法外な値段をふっかけられたので写真が撮れずお見せできないのが残念だ。
まあ、大阪人の電鉄会社だから仕方がなかろう(撮影に立会う阪急社員の交通費を請求されたのは驚いたケド)。
 ともあれ満開の季節だからといって利用客から別料金を取ることは(たぶん)ないだろうから、松尾参詣の際は阪急をお薦めしたい。

(中略)

 京都時間はランダムに流れているので相対化が難しい。具体的には京都人の“食”による季節認識などが理解しやすい例かもしれない。
 江戸っ子が初鰹を食べて初夏を寿いだように、旬の食材で季節を感じるのは全世界共通。
だが、京都人はこの数が異様に多い。
さらにはそこに元旦の雑煮や端午の節句の粽といった儀式的に暦の役割を果たす味覚が加わり、まさしく京都は食によって時間が移ろう。
つまり折々の恵みを舌に乗せることによって京都人は四季を感じるだけではなく能動的に季節を決定するのである。
 ゆえに「去年は夏がなかったわ。鱧、食べへんかったもん」なんて勝手なことを言う京都人がいてもおかしくない。
もし天変地異かなにかで、ある夏に鱧が一匹も捕れなかったとしたら、その年、京都時間では夏は存在しなくなってしまう。
実は鱧という魚は秋でも大変に美味なのだが、そんなこたカンケーないのである。
 まあ夏は鱧でなく加茂茄子やわらび餅で降臨させることも可能だが、京都人が秋を迎えるには何を措いても栗を食さねばならぬ。
そして最高の秋をと願うなら迷わず『中村軒』へ行くことだ。
 壺庭が美しい中村軒は、桂離宮から川沿いに歩いて三分もかからない。
一年のほとんどを京都で過ごしていた頃は節目節目に伺って、こちらでその季節を迎えるならいだった。だが、とりわけ秋は頻繁になった。
まだ夏の気配が残る時期に、落し文、菊慈童、月見だんご、うさぎ薯蕷。秋たけなわに栗もち、栗ちゃきん、栗大福、栗あんころ。
冬が兆すころ、栗むし羊羹、柿羊羹、黒豆大福、亥の子餅。少なくとも三度は中村軒の和菓子を味わい、京都時間で季節の深まりゆくを追っていた。
 むろん、いちどでもここの栗ちゃきんを口にすれば、それに秋を招喚するだけの力が秘められていることは誰にでも納得できる。
時代のついた黄瀬戸みたいにしっとりした栗餡を口にふくめば、それはさらりとほどけ、暖かな甘味がふわり広がる。
遠くの焚き火の煙が風の悪戯で届いたように、絞ったあとに軽くつけられた焼き目がふと香ばしく鼻先を掠める。
目を閉じれば、ついさっき見た桂離宮外苑の綾錦が浮かぶ。「あ、いま、秋が来た」。きっと誰もが実感するだろう。
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この人の文章は名文である。 そりゃ、エッセイストと自称するからには当然だろうか。
この本には「洛北を歩く」とかの項目ごとに綺麗な写真が挟んである。ヴィジュアル的にも読んでいて楽しい。

「目次」

まえがき 京都の四季を散歩するなら
洛北を歩く
洛西を歩く
洛中を歩く
洛東を歩く
洛南を歩く
あとがき リアリティの歩き方
所在地リスト
解説 酒井順子

ところで、この人の名前のローマ字表記の仕方だが、ヘボン式ではなく「Ilye Athico」 になっているのに気づかれただろうか。
ヘボン式ローマ字では、外国人は正しく発音してくれないからである。
日本人でも「あ・つ・ひ・こ」と、一字一字区切って発音することはない。日本語は「子音と母音」で一つの発音になっている、というのは誤解である。
彼が「敦」を「At」と表記しているのには感心した。「彦」も「hico」である。私も英語には詳しくはないけれど、この表記の仕方には教えられる。
ただし、フランス式ならば、当然、別の表記になることを了承されたい。
蛇足だが、書いておく。


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