
春の蛇口は「下向きばかりにあきました」・・・・・・・・・・坪内稔典
坪内稔典は昭和19年、愛媛県生まれ。立命館大学卒で、高校時代から「青玄」に投句。
昭和63年から「船団」を発行、現在に至る。京都教育大学教授を定年退官して現在は京都市内の仏教大学教授。
掲出の句のように、言わば、ナンセンス句のような、人を食ったような句を得意とする。
公園などに行くと、水呑み場には「上向き蛇口」があって水が呑めるようになっている。この句は、恐らく、そんな場面を見て考え付いたものであろう。
蛇口は下向きばかりには飽きたから、だから、こうして「上向き」の蛇口になっているのです、ということである。
俳句は575と短い17字しかないから、いま説明したようなことは省略して仕舞ってある訳である。
こうして見てみると、一見、何の工夫もない、さりげない句のように見えるが、周到に計算し尽くされた作句であることに気付くだろう。
どちらかと言うと、「現代川柳」が、こういう形の川柳が多い、と言えば判りやすいか。
ただ教育者だったので、論は達者で、いくつかの評論集『俳句──口語と片言』 『正岡子規──創造の共同性』などがある。その他『辞世のことば』など。
最近は佐佐木幸綱の「心の花」の同人になり、歌人としても存在を主張している。問題児である。
以下、坪内の句を引くが、それを見ていただけば、どんなものか、よくお判り頂ける。
「甘納豆」シリーズの句の連作なども有名である。
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桜咲く桜へ運ぶ甘納豆
花冷えのイカリソースに恋慕せよ
春の坂丸大ハムが泣いている
春の風ルンルンけんけんあんぽんたん
一月の甘納豆はやせてます
二月には甘納豆と坂下る
三月の甘納豆のうふふふふ
四月には死んだまねする甘納豆
五月来て困ってしまう甘納豆
甘納豆六月ごろにはごろついて
腰を病む甘納豆も七月も
八月の嘘と親しむ甘納豆
ほろほろと生きる九月の甘納豆
十月の男女はみんな甘納豆
河馬を呼ぶ十一月の甘納豆
十二月どうするどうする甘納豆
桜散るあなたも河馬になりなさい
水中の河馬が燃えます牡丹雪
魚くさい路地の日だまり母縮む
父と子と西宇和郡のなまこ噛む
バッタとぶアジアの空のうすみどり
十月の木に猫がいる大阪は
がんばるわなんて言うなよ草の花
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
N夫人ふわりと夏の脚を組む
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↑ 坪内稔典氏
ネット上に載る「至遊」氏のサイトを転載しておく。
坪内稔典を読む (一)・・・・・・・・・ 至遊(しゆう)
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まぁ我々凡人からみると分らない人である。堂々たる俳論を読むと、もうこの世界の大家の風格だが、何と私より六つも若い。稔典は(としのり)と読むが、ネンテンさんでも十分通用する。その桁外れの俳句をいくつか先ず紹介すると、有名な句に
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
がある。「ぽぽのあたり」がどの辺かは想像するしかない。「たん」と来て「ぽぽ」だから下の方なのか、蒲公英の「花」の下の方、すなわち首のあたりなのか、それは議論しても始まらない。一生懸命考えて詠んだ句か、ぱっとできた句なのかも知らないが、できたら遊びで詠んだ句であって欲しい。
「ぽぽ」は勿論火の燃える音の擬音でもある。そうなると「たんぽぽ」そのものが実物というより、言葉だけのものになってしまう。この「たんぽぽ」を「蒲公英」と漢字で書いたら、何の面白みもなくなってしまうのである。結構この句は有名で知っている人が多いが
たんぽぽのぽぽのその後は知りません
という句を(多分後で)詠むところまでくると、遊び心の典型だろう。俳句は元々は遊び心が旺盛だった。だから今でもこんな句に出会うとほっとすることがある。多分色んな人から最初の句で質問が行ったことであろう。それへの返歌みたいなものである。
坪内稔典には他にもシリーズで遊んでいる句がある。甘納豆である。
一月の甘納豆はやせてます
二月には甘納豆と坂下る
三月の甘納豆のうふふふふ
四月には死んだまねする甘納豆
五月来て困ってしまう甘納豆
甘納豆六月ごろにはごろついて
腰を病む甘納豆も七月も
八月の嘘と親しむ甘納豆
ほろほろと生きる九月の甘納豆
十月の男女はみんな甘納豆
河馬を呼ぶ十一月の甘納豆
十二月をどうするどうする甘納豆
ここまで来ると無理矢理に詠んだとしか思えない。もっとも私なども期限に追われて大てい無理矢理詠んではいるが、ここまで遊んではいない、というか遊べない。一月から十二月まで追ってくると、時には人生を感じさせるような感覚もある。でも十二月を「どうするどうする」と言われると江戸時代の年末の掛取りのようで、年が越せるの越せないのという落語めいた世界に引きずられ、そうするとやっぱり一生ではなく一年かなと思う。
その中で圧倒的に有名なのが三月である。暖かくなってきて思わず頬が緩んできたという感じか。思わず「うふふふふ」と含み笑いが出てしまうような気候である。これだけが有名なので、こうして通しで見ることは仲々ない。でもこれは同時に発表されたものの筈で、句集でもきちんと並んでいる。甘納豆を女の一生と読めば、十月・十一月以外は何となく分りそうな句になっている。
何故十一月に河馬が出てくるのかと思っていたら、どうもこの人は河馬が好きらしい。句集の中に河馬がやたらと出てくる。
正面に河馬の尻あり冬日和
ぶつかって離れて河馬の十二月
秋の夜の鞄は河馬になったまま
など数えればキリがない。「かばん」が「かば」になったまま、というのは「ん」が足りない、すなわち未完成なのか、それとも膨らんだまま置かれているのか、この辺にくると河馬には飽きてくる。
ではこんな句ばかり詠んでいる人かというとそうではない。
N夫人ふわりと夏の脚を組む
などは「ふわりと」なんてオノマトペを使ってあるから、どちらかというと気の利いた軽さを出していて、中間に位置しているかも知れないが、
法隆寺までの緑雨を大股に
夢殿を出てから一人青嵐
なんていう句もちゃんと詠んでいる。どんな順序で紹介しようか。「どうするどうする」というところで、一拍置いて次回とする。
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今日、四月十五日は妻・弥生の祥月命日である。
昨年に七回忌を営んだので、ことしで丸七年が経過したことになる。
死なれたときには、どうなるかと思ったが、ようやく私も一人暮らしが板についてきたようである。
今日は私一人で妻を偲ぶことにする。
札幌に住む妹の克子さんから「生花」のお供えを贈っていただいた。仏前に供えて御礼申し上げる。
海溝に盲(めし)ひたるごと喪の四月・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
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