↑ すり鉢と「すりこぎ」
長年のうちに短くなりし分われらは
食みしやこの擂粉木(すりこぎ)を ・・・・・・・・・・安立スハル
昨日、宮柊二を採り上げたついでに、私の先師・安立スハルを選んだ。
先生の名前は、スハルという特異なものだが、本名である。
お父上が日本画家であられたので、こういう命名になったらしい。
京都のお生まれだが、中年以降は岡山市に住いされた。
若い頃から結核で、結婚はされず独身。2006年に亡くなられた。
私は若い時から短詩形に親しんで来たが、現代詩の方にいたのだが、たまたま新聞歌壇に投稿したものが、採用され、短歌の道に入るようになった。
読売新聞(大阪)の夕刊の歌壇の選者を安立さんがしておられ、親しく選評に接するようになった。その縁で「コスモス」にも入会したものである。
昨日の宮の歌と、今日の安立さんの歌を比べてみると、「生れたければ生れてみよ」と「われらは食みしやこの擂粉木を」という発想に、私は師弟としての似通ったものを認めざるを得ない。一般の歌詠いの発想とは、一肌違った自在な詠いぶり、とも言えようか。
安立さんは、私に「歌というのは、こういう風に詠まなければならない、というようなことは、何もないのです」と、よく仰言った。私も勝手な人間なので、その言葉は身に沁みた。
そんな安立さんと、「コスモス」からの出発であったが、何しろ自作の歌が1首か2首しか載らない。
コスモスは大きな結社で掲載するスペースが限られているのだ。そんなことで、もっと歌を多く載せてくれる結社を求めて私は「未来」誌に移ることになる。
安立さんとは、師として以後も礼を尽して来たが、晩年はひどいヘルペスを病まれて結社とも音信を絶たれて私の方へも音沙汰もなかったが、先に書いたようにお亡くなりになった。
以下、少し歌を引いて終わりにしたい。
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一つ鉢に培へば咲く朝顔のはつきり白しわが座右の夏
金にては幸福は齎されぬといふならばその金をここに差し出し給へ
自動扉と思ひてしづかに待つ我を押しのけし人が手もて開きつ
家一つ建つと見るまにはや住める人がさえざえと秋の灯洩らす
瓶にして今朝咲きいづる白梅の一りんの花一語のごとし
青梅に蜜をそそぎて封じおく一事をもつてわが夏はじまる
くちなはにくちなはいちご村の子に苗代苺赤らむ夏ぞ
若さとは飢か四時間面(おもて)あげず列車に読みて降りゆきし人
見たかりし山葵の花に見入りけりわが波羅葦僧(はらいそ)もここらあたりか
島に生き島に死にたる人の墓遠目に花圃のごとく明るむ
もの書くと重荷を提ぐと未だ吾にくひしばる歯のありてくひしばる
今しがた小鳥の巣より拾ひ上げし卵のやうな一語なりしよ
一皿の料理に添へて水といふもつとも親しき飲みものを置く
本といふ「期待」を買ひて歩みゆく街上はけふ涼しき風吹く
有様(ありやう)は単純がよしきつぱりと九時に眠りて四時に目覚むる
悲しみのかたわれとしもよろこびのひそかにありぬ朝の鵙鳴く
大切なことと大切でないことをよりわけて生きん残年短し
踏まれながら花咲かせたり大葉子もやることをやつてゐるではないか
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