FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202008<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>202010
目の前の風を見ている四月馬鹿 ・・・・・・・・・・・・・大西泰世
DSCF4380ぼやき川柳大会
 ↑ 地方での「ぼやき川柳大会」のひとこま

──初出・2007/03/30 Doblogを再構成──
     
     目の前の風を見ている四月馬鹿 ・・・・・・・・・・・・・大西泰世

大西泰世は「川柳」作家ということになっている。
ただし、平井照敏編の「現代の俳句」には俳人として扱われている。
また平成5年の「新潮」10月臨時増刊『短歌・俳句・川柳101年、1892~1992』というアンソロジーでは「川柳」作家として句集『世紀末の小町』から20句が採録されている。
1949年兵庫県姫路市生まれという人である。
掲出の句は『世紀末の小町』に載るもの。
四月馬鹿という季語があるから俳句とも言えるが、大西は上に挙げたアンソロジーの中の「座談会・短詩型文学 百年のパラダイム」の中で(吉本隆明、三枝昂之、夏石番矢と大西との4人)こう言っている。

<川柳は季という考え方が根本的にないんです。だから百合を詠もうが、菊を詠もうが、それは季語ではないんです。
---私は、川柳と俳句とどう違うんだと訊かれたら、最近は、作者の名前でしか区別する方法はもうないのではないかということにしているんです。>

この議論は面白いが、きりのつかない話でもある。
最近の川柳作家は、いわゆる「いかにも川柳」というような句は作らない。
私の知人にも川柳作家がいるが、言わば「前衛川柳」っぽい作品が主流を占めている。
それらの作品については資料もあるので、日を改めて書くことにする。
つまり、短歌、俳句の世界では、もう30年以上も前に「前衛」が大流行りだったが、川柳の世界は、おくればせながら、いま前衛の時代が盛んである、ような印象を私は受ける。

大西泰世の句に戻ろう。
この句の独自性は「目の前の風」というフレーズが使われていること。このような捉え方をした人が、いままでにいただろうか。
風そのものは、目に見えない。風に吹かれて何かの物が揺れるとかするので、風を認識するのである。
あるいは、肌に当たる風を感受するとか、ということである。
これを<目の前の風を見ている> という捉え方は、独自的で、鋭い。

無題大西泰世

以下、大西の句を俳句か川柳かの詮索抜きに引用してみる。

 火柱の中にわたしの駅がある

 逢いたくて生まれる前の石を積む

 ちちははの枕のように夕焼ける

 ブランコの揺れているのは暗号か

 なにほどの快楽(けらく)か大樹揺れやまず

 縄とびの縄を抜ければ九月の町

 男は他郷の赤いポストにあこがれる

 形而上の象はときどき水を飲む

 仮りの世のなぞなぞを解く寒椿

 蒼天や父に尋ねる火のゆくえ

 わたくしの骨とさくらが満開に

 藤棚の下で死んでもいいと言う

 現身へほろりと溶ける沈丁花

 黙契や鬼百合の脈ゆっくり打つ

 つぎの世へ転がしてゆく青林檎

 ひまわりの一群がくる夜の河

 号泣の男を曳いて此岸まで

 月の夜へけものを放ち深く眠る

 風のうしろで小さな神とすれ違う

 約束の数だけ吊るす蛍籠

 如月にうつくしく死ぬ生殖器

 すこしだけ椿の赤に近くなる

 わが死後の植物図鑑きっと雨

 水系へ溶け入りそうに樹下のひと

因みに、終りからの2句は『現代俳句ニューウェイブ』というアンソロジーに入っている。
こうして見て来ると、大西本人にとっても、俳句か川柳かというジャンル分けは訳が判らなくなってくる、ようではないか。

今ここに引用した句のなかでは、私の一番好きな句は

 なにほどの快楽(けらく)か大樹揺れやまず・・・・・・・・・・・大西泰世

である。読んだ後に、強く残るものがある。
---------------------------------------------------------------------------
時実新子
 ↑ 時実新子
すでに採り上げたが、川柳界に新風を吹き込んだ時実新子が2007/3/10に亡くなったが、
2007/3/13付けの読売新聞(大阪)夕刊に
柳人 時実新子さんを悼む 「読者を圧倒した赤裸々な女性性」
という大西泰世の記事が掲載されていた。
私は彼女が時実新子の、いわば弟子であったことは知らなかったので、下記に転載しておく。

<月夜の籠に悪い女が吊ってある>
もう三十年以上も前に、この一句を私に見せてくれたのは、読売新聞姫路支局の記者だったSさんだった。
当時川柳も俳句も知らなかった私は、「川柳ってこんなに人間を生々しく詠めるものなのか」と驚きに打たれた。
「これは時実新子という人の川柳や。あんたのすぐ近くに住んでる人や」とSさんが連れて行ってくれたのは、我が家から二百メートルほど先の通い慣れた文房具店だった。
店先に近い三畳ほどの部屋にその人は座っていた。時実新子さんは私にとって『近所の文房具店のおばさん』だったのだ。
それでも帰りには「句を作って持っていらっしゃい」と、思いもかけぬことになってしまう。
ひょんなことから川柳なる文芸に出会ってしまった私だったが、時実先生が『川柳展望』という柳誌を立ち上げようとされていた矢先でもあり、家も近くて便利だったことから色々とお手伝いさせていただくようになった。
<ねぎ坊主つんつん生きて今日は雨>
近くに居れば居るほど見えてくるものも、見てはいけないものもある。
時実新子という作家を巨きく見せているであろうカリスマ性が明に暗に、さまざまな表情を見せる。
そして先生にとって被害者は常に自分自身であったのだ。
よく泣く人であった。句を涙の中から生み出す人であった。
<木の花の科は逢うても別れても>
その赤裸々な女性性は読む者を圧倒しながらも理解し易い一面であり、だからこその時実人気であったとも言えよう。
明治、大正期の女性柳人たちは、自身が男でないことを悔むかのように、つぶやくような声で詠んできた。
自らを<悪い女が吊ってある>と朗々と詠み上げた現代を代表する女性柳人は、今、花園で先人たちとどのような川柳談話を交わしているのだろうか。(川柳作家)

時実新子については私の「時実新子についての旧記事」に詳しい。
-------------------------------------------------------------------------
この記事は、2007/03/30付でDoblogに載せたものを再構成した。掲出句と日付も替えた。
今日、四月一日は「エイプリル・フール」(四月馬鹿)の日なので、たまたま大西泰世の句にあったのでアップするものである。
もっともエイプリル・フールという「人をかついでもいい」という風習は、糞まじめな、アイロニーを解さない日本人には定着しなかった。

なお、大西泰世はNHK大阪のラジオ番組で、視聴者から投稿を募る「ぼやき川柳」番組に定期的に出演している。
キャスター・佐藤誠とのやりとりも絶妙。BKプラザでの公開収録であり人気がある。
3fb00888e9f9f458fba3b975270a57b6ぼやき川柳

コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.