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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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宗鑑の雨の軸かけ五月尽・・・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫
1218693474山崎宗鑑


     宗鑑の雨の軸かけ五月尽・・・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

松尾芭蕉は、それまで流行していた「連歌」よりも、もっと短縮した「俳句」と言う形で、あらゆる事を五感で感じる儘を簡素簡潔に表現したので、
「俳句の祖」と崇められているが、その芭蕉よりも180年ほど遡って、「山崎宗鑑」と言う、これまた大小を捨てて、世捨て人となり、連歌を好み、
よって、連歌師の祖とまで言われる様になった人である。
もっとも、お断りしておくが「俳句」と言ったのは明治になってから正岡子規が唱えたもので、芭蕉自身は「発句」と言ったので、念のため。
掲出したのは彼の自刻による像と伝来するもの。
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山崎宗鑑(やまざきそうかん)について、ネット上から転載しておく。

 1465~1553(寛正6~天文22)室町時代末期の連歌師・俳人。近江佐々木氏の後裔。足利義尚に仕えた武士。本名を志那弥三郎範重ともいう。
山城国の大山崎惣中とのつながりで,洒脱な連歌・俳諧をつくったのでこの名あり。
飯尾宗祇や荒木田守武らとも親交があり,かつ柴屋軒宗長とともに山城薪の酬恩庵で俳諧の連歌を競ったりしている。
そして新文学としてのジャンルに定着した。
晩年の1540年ごろの編で『犬筑波集』と称する「俳諧連歌抄」には著名な専門連歌師の俳諧も収録されていたが,
素朴で生命力をもつ生々とした作品は,山崎宗鑑らの大山崎惣中の戦国に生きる自治的惣中の背景から即興性をもつ濶達な作風をつくっている。
座結合の文学のはしりといっていい。
讃岐国観音寺の興昌寺一夜庵で没する。旅に生きた,そして宗鑑流の書風の祖ともいわれる。
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別の記事には、こう書かれている。

山崎宗鑑句碑と霊泉連歌講跡

山崎宗鑑は室町時代の連歌師で、近江国志那(現在の草津市)の出身です。
もとは九代将軍義尚に仕える武士でしたが、その主人の突然の死に無情を感じ身分を捨てて風狂の道に入り、この大山崎にきたのが30歳のころでした。
それ以後、この地で人生の大半を過ごすことになりました。
 若い頃から連歌になじみ、反骨精神と滑稽を身につけていた宗鑑は、八幡宮社頭での月例連歌講と、
ここ舟橋川畔の観音堂にあった霊泉連歌講の二つのリーダーとなり、当時の大山崎の神人・商人の俗なエネルギーに後押しされて、
雅の道の連歌を離れ、俗の世界の俳諧を推奨するようになりました。その結果の選集が『犬筑波集』です。

 天王山登り口にある句碑の

    〈うずききてねぶとに鳴や郭公〉

という句は、「卯月が来て声太く鳴いているのはホトトギスですよ」という表の意味の他に
「根太(=腫瘍)が疼いてきて泣いているホトトギスさんよ」という裏の意味をこめた俳諧で、
親しかった伊勢の神官の荒木田守武が根太にかかっていたのを揶揄したものと言われています。
 この句碑の側の解説立札にはもう一つ宗鑑の句〈風寒し破れ障子の神無月〉が載っていますが、これは歴史資料館に展示されています。
この句も、破れ障子=紙がない=神無しと掛けた言葉遊びです。
 
所在地 大山崎町大山崎上ノ田1 JR山崎駅東の踏切北側
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掲出の句は、洛西の「光明寺」で詠まれた、とだけ判っているが、上の記事に引いた「大山崎」とは近いので、この寺に彼の「雨」の軸があるのかも知れない。
作者の後藤比奈夫は大阪の人だから、この寺の「軸」を見た、ということは可能性として大変高いと言えよう。
「五月尽」とは、五月末日のことである。

作者の後藤比奈夫は大阪の人で、父親は後藤夜半といって、親子ともに高名な俳人であった。
本名日奈夫。大正6年大阪生まれ。神戸一中・一高を経て昭和16年阪大理学部物理学科卒。
昭和27年父夜半につき俳句入門、「ホトトギス」「玉藻」にも学ぶ。同29年より「諷詠」編集兼発行人。
同36年「ホトトギス」同人。同51年父の没後「諷詠」主宰。昭和62年より俳人協会副会長など歴任。

2006年度の第40回蛇笏賞(角川文化振興財団主催)の受賞者である。彼の句集「めんない千鳥」(ふらんす堂)に与えられた。賞金は100万円。

作者の句の中で、私の好きな句を挙げる。

 齢(よはひ)にも艶といふもの寒椿・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 首ながききりんの上の春の空

 蛞蝓(なめくじ)といふ字どこやら動き出す

 十景の一景も見ず牡丹見る

 数珠玉をさはにつなぎてまだ軽し

 日本語の優しすぎたるゆすらうめ

 サングラス掛けて妻にも行くところ

 雲は行き懸大根はとどまれり

 花了へてひとしほ一人静かな

 光らねば冬の芒になり切れず

 真弓の実その他心を開くもの

 睡蓮の水に二時の日三時の日

 瀧の上に空の蒼さの蒐り来

 鶴の来るために大空あけて待つ

 東山回して鉾を回しけり

 年玉を妻に包まうかと思ふ

 白魚汲みたくさんの目を汲みにけり

 矢のごとくビヤガーテンへ昇降機

 涅槃図に赤が使はれすぎてゐし


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