
花合歓や補陀落(ふだらく)といふ遠きもの・・・・・・・・・・・・・・・角川春樹
いつも散歩というかウオーキングというか、の道の途中に合歓の木が一本ある。
ネムの花は、これからが丁度、花どきである。
この木はマメ科ネムノキ属。本州、四国、九州および韓国、台湾、中国、さらに南アジアに広く分布するという。
落葉高木で高さ6~9メートルに達し、枝は斜めに張り出して、しなやか。葉は羽状に細かく分かれた複葉で、夜になるとぴたりと合わさる。
そのゆえに葉の睡眠として「ネム」の名がつけられた。この図鑑の説明を読んでから、実際の木を見てみると、まさにその説明の通りである。
この句の作者・角川春樹は角川書店社長だったが、麻薬所持で検挙され禁固刑に処せられ、社長を辞めさせられ、弟の歴彦氏が後を継いだ。
父親の角川源義も俳人だったが、彼・春樹も名のある俳人で多くの句集を持つ。句集一冊ごとに作風が替わるという異色の俳人だった。
俳句作りにおいて、初句からずらずらと事物を叙述するというのは初心者のすることであって、
5、7、5の各部を「二物衝撃」のもとに配置するというのが現代俳句の面白みである。
この句でも「花合歓」と「ふだらく」との間に直接の関係はない。それを一句の中に、句の中の宇宙として組み立てる面白さがある。
「ふだらく」というのは、むかし海彼のかなたに浄土を求めて僧侶などが渡海した故事を指すが、熊野信仰というのは、これに深く関連する。
「合歓の花」というのは、そういう浄土への想いに関わるような気にさせるものかも知れない。
芭蕉の句に
象潟や雨に西施がねぶの花
というのがあるが、「合歓」の花は、そういう悲運の女性を象徴するもののようで、この二つのものの取り合わせが、この一句を情趣ふかいものにした。
合歓の花については多くの句が詠まれている。少し引いてみよう。
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総毛だち花合歓紅をぼかしをり・・・・・・・・・・・・川端茅舎
雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・・・・・三好達治
銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
どの谷も合歓のあかりや雨の中・・・・・・・・・・・・角川源義
合歓に来る蝶のいろいろ花煽・・・・・・・・・・・・・星野立子
合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・・・・・安住敦
花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・・・・・飯田龍太
合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・・・・・森澄雄
合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・・・・・森賀まり
合歓咲くや語りたきこと沖にあり・・・・・・・・・・・・橋間石
風わたる合歓よあやふしその色も・・・・・・・・・・・・加藤知世子
山に来て海を見てゐる合歓の花・・・・・・・・・・・・菊地一雄
花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・・・・・大串章
葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・・・・・福田甲子雄
霧ごめの二夜三夜経てねむの花・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
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私にも合歓を詠んだ歌がある。第二歌集『嘉木』(角川書店)に
夕されば仄(ほの)と咲きいづる合歓の香に待つ人のゐる喜びがある・・・・・・・・木村草弥
この歌は、この歌集の「つぎねふ山城」の章の「夏」に載る。「待つ人」とは、もちろん妻のことである。
その妻が亡くなった今となっては、一層想いは深いものがある。
念のために、その一連を引用してみよう。
若き日の恋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
咲き満ちて真夜も薔薇(さうび)のひかりあり老いぬればこそ愛(いと)しきものを
夕されば仄と咲きいづる合歓の香に待つ人のゐる喜びがある
はまなすの丘にピンクの香は満ちて海霧(じり)の岬に君と佇ちゐき
茎ほそき矢車草のゆれゐたる教会で得し恋いつまでも
むらさきのけぶる園生の遥けくてアガパンサスに恋の訪れ
幸せになれよと賜(た)びし鈴蘭の根が殖えをりぬ山城の地に
原爆を許すまじの歌ながれドームの廃墟に夾竹桃炎ゆ
ガーベラに照り翳る日の神秘あり鴎外に若き日の恋ひとつ
百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと
藤房の逆立つさまのルピナスは花のいのちを貪りゐたり
しろじろと大きカラーの花咲きて帆を立てて呼ぶ湖の風
これらの歌は、それぞれの花の「花言葉」に因む歌作りに仕立ててある。それぞれの花の花言葉を子細に調べていただけば、お判りいただけよう。
もう十数年以上も前の歌集だが、こうして読み返してみると、感慨ふかいものがある。「合歓の花」からの回想である。
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