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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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照屋眞理子歌集『恋』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
照屋

──新・読書ノート──

     照屋眞理子歌集『恋』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・・角川書店2013/04/25刊・・・・・・・・・・

照屋真理子さんは、こういう人である。
1951年生まれ。成城大学文芸学部卒業。句誌「季刊芙蓉」代表。塚本邦雄氏に短歌俳句を学ぶ。
1980年サンデー毎日代表現代百人一首塚本邦雄賞、1981年短歌研究新人賞次席。
歌集『夢の岸』、『抽象の薔薇』、句集『月の書架』、『やよ子猫』。

そして今回の歌集『恋』は第三歌集ということになる。 この本は著者から贈呈された。

経歴から分かるように短歌と俳句を共に作るという珍しい方である。
先ず、この本に入る前に、俳句作品を引いてみよう。

     雪の弾  照屋眞理子

  影持たず母の在(い)ませる冬日向

  煮凝に透けて遙かな夕灯り

  帰らざる日やまなうらの初山河

  初夢やゆゑなく泣いて覚めにけり

  生るるまでをりし日の闇雪催

  雪女郎恋して溶けてしまひけり

  きぬぎぬや嘘美しき雪の庭

  にんげんは戦争が好き雪の弾

  ときどきは夢に咲(わら)ひもして冬眠

  春待ち星と呼びたき光ほの潤み

これらの作品はインターネット上の「週刊俳句」2013/02/10付けに載るものである。
また「裏ハイ」という──ほぼ毎日・正午更新●『週刊俳句』の裏モノ●another side of HAIKU WEEKLYの
2013年1月14日月曜日に下記のような記事が載っている。  ↓
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●月曜日の一句〔照屋眞理子〕 相子智恵

   梟の声するあの辺りが昔    照屋眞理子  句集『やよ子猫』(2012.12 角川書店)より。

こう言われると、そう思えてくるという、不思議な句だ。

梟が夜中の森で鳴いている。夢かうつつか、暗闇の中にいきなり放り出された読者は、何も見えず、何もわからない。
ただホオーホオーと鳴き声のする方へ目を凝らすうちに、ふと「ああ、あそこには過去があるのだな……」と、闇の中でなぜか得心するのである。

梟が夜行性で、異界へ引きずり込まれそうな、低くくぐもった声で鳴く鳥だから〈あの辺りが昔〉が、たいそうしっくりくる。
ほかの鳥ではこの味わいは出せないだろう。

本書には他にも
〈花中(あた)りすれば他界のよく見えて〉
〈生れたるも知らず欠伸の子猫かな〉
〈ゐない人はそつと座りぬ初座敷〉などの句があって、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」とでもいうような作者の感覚が貫かれている。

この感覚は作者の天性のものであると同時に、繰り返し出てくる亡き母の句――たとえば〈歌加留多夢に来るとき母若き〉などを思えば、
他界した母に会いたいという祈りの表れでもあるのだろう。
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因みに、私は、このサイトからの引用のかたちで、

   梟の声するあの辺りが昔・・・・・・・・照屋眞理子

の句を私のブログの2月次掲示板に一覧で載せたばかりである。
そして、3月月次掲示板には、続けて

   春待ち星と呼びたき光ほの潤み・・・・・・・・ 照屋眞理子

を載せたばかりなので、まるで符合するように、この歌集が贈られてきたので、いささか驚いている次第である。

また「検索エンジン─増殖する俳句歳時記」というサイトには下記のような記事が載っている。 ↓
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照屋眞理子

如月や閑と木の家紙の家

映画「裏窓」の原作者ウイリアム・アイリッシュの小説で「日本の家は木と紙でできているので、一本のカミソリがあれば侵入可能」とあるのを見つけたときにはずいぶん驚いた。
障子と襖を思えばおよそ間違いではないが、おそらく作家の頭には紙でできたテントのようなしろものが浮かんでいたのではないか。
たしかに煉瓦の家に暮らす国から見れば、木の柱と紙の仕切りとはいかにも華奢に思えることだろう。
子どもたちが襖や障子の近くで遊ぶことが禁じられていたのは、破いたり、壊したりしない用心だった。
表千家の茶室で扁平な太鼓帯にするのは「壁土をこすって傷つけないように」と聞いて、細やかな作法はこの傷つきやすい日本家屋によって生まれたものだとあらためて思ったものだ。
掲句に通う凛とした気配に、冴え渡る如月の空気のなかで、まるで襟を合わせたような神妙な面持ちの家屋を思う。
そして、その中に収まるきれいに揃った畳の目や、磨かれた柱を日本に暮らすわたしたちは思い浮かべることができる。
〈開かずの間いえ雪野原かも知れず〉〈この世にも少し慣れたかやよ子猫〉『やよ子猫』(2012)所収。(土肥あき子)
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また、もうすでにお馴染みの「東郷雄二・今週の短歌のページ」には第二歌集『抽象の薔薇』の詳細な書評が出ているので、先ず、それを引いておく。

   覚めてまたわが目とならむ双眼を
        しづかに濡らし今朝秋の水     照屋眞理子『抽象の薔薇』

 不思議な歌である。「このふたつの眼は目覚めたときにまた私の目となる」という。この不思議さは、当然次のような疑問を生み出す。では私が眠っているあいだ、この目は誰の目だったのか。それは私ではない誰かの目であり、夢を見ていた他者の目である。うつつの世を生きる私にとって、夜な夜な訪れる夢は他界であり、他界からうつし世に帰還したとき、この目はふたたび私の目となり、現実を見る目となるのである。この一首は、存在への理知的眼差しという照屋の短歌世界の特質をよく象徴している。

 照屋眞理子は1951年(昭和26年)生まれで、歌誌「玲瓏」所属。第一歌集『夢の岸』に続き、『抽象の薔薇』は2004年に上梓された第二歌集である。俳句もよくし『月の書架』という句集があるそうだ。塚本邦雄麾下に犇めく才人の一人だから措辞の巧みさは当然として、栞に文章を寄せた尾崎まゆみはもっと驚くエピソードを伝えている。照屋が初めて作り「サンデー毎日」の短歌欄に投稿したのが「二人には二人の孤独休息の戦士に揺るる夜の濃紫陽花」という歌で、二度目に投稿した「檻のうちを豹は歩めりひたすらに見らるるための暗き意志もて」が「塚本邦雄賞」を射止めたというのである。照屋に習作の時期はなく、最初から歌人照屋眞理子として出現したことになる。塚本はその才能を愛でて、「照る月に屋根もしろがね眞珠(まだま)なす理外の花を子らは夢みつ」という照屋の名前を折り込んだ折り句を作って贈ったという。

 こういうことはあるものだ。私は以前にFMラジオで、歌手・鬼束ちひろがまだ宮崎で高校生の頃、自宅のラジカセで作り放送局に送りつけたデモテープを聴いたことがある。そのテープから流れて来たのは、まぎれもなく鬼束ちひろの歌の世界だった。鬼束は徐々に自分の世界を獲得したのではなく、最初から100%鬼束ちひろだったのだ。才能とはこういうものである。

 『抽象の薔薇』を通読して、私は韻文を読む楽しみを満喫した。私が満喫したのは「歌のしらべ」である。「短歌とは究極のところ『うた』であり、『しらべ』である」(岡井隆『朝狩』序)のは事実だが、その事実を確かめることのできないものも現代短歌のなかにはある。しかし照屋の短歌は、読む者の心のなかに韻文のリズムを作り出す。そのリズムに乗せて、無のかなたから意味が運ばれて来る。それが心地よい。何首か引用してみよう。

 天頂をいま羽ばたきに星鳴らす白鳥座かも耳盲ひて聴く

 鳥になぞへ空に放ちてその後を知らざれば今日も風中のこころ

 野に得たる青きことばは野に返し人語の街に帰り行くかな

 閉づるまぶたのうちに覚めつつ眼球のはや知れる今朝天体の秋

 ふとも背に目の気配在りまたたかぬ大き片目よ空虚(むなしぞら)とふ

 五首目の「空虚(むなしぞら)」など、「わが恋は空(むな)しき空にみちぬらし思ひやれども行くかたもなし」(古今集恋一)を連想させる。

 照屋の短歌を読んであらためて思い知らされるのは、「短歌とは五七五七七の三十一文字ではない」ということである。もっと正確に言うと、「五七五七七の三十一文字」は短歌という韻文形式の必要条件ではあっても十分条件ではない。律の韻文がやむなく形を取ったのが「五七五七七の三十一文字」なのであって、「五七五七七の三十一文字」が初期条件として存在していたわけではない。この形式が日本語の音数律からしていかに不自然な形式であるかは、岡井隆が『現代短歌入門』で縷々と述べているのでよく知られたことだろう。

 短歌としての必要条件しか満たしていない歌と、十分条件まで満たした歌は、並べてみればそのちがいがすぐにわかる。照屋はもちろん後者であり、前者の見本としては例えば次のような歌がある。

 こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう  枡野浩一

 ローソンに足りないものをだれひとり思い出せない閉店時間

 奥村晃作は「マスノ短歌はなぜ厳密に三十一音で、字余りが起こらないのか」という興味深い疑問を投げかけた(『短歌ヴァーサス』1号)。奥村はこの問いに答えていないが、その答はかんたんで、もし字余りを起こすと、マスノ短歌はもはや「短歌」として読むことができなくなるからである。短歌の中に固有の韻律が感じられるときには、字余りや字足らずの破調は短歌形式にとって障害にはならない。五七五七七を墨守していなくても、韻律が全体をまとめ引き締める役割を果たすので、歌はばらばらに解体することを免れるからである。このとき歌は五七五七七という「外在的制約」によってまとまるのではなく、韻律という「内在的要因」によって凝集する。マスノ短歌にはこの内在的韻律がない。だから五七五七七が絶対に譲ることのできない最後の一線になる。マジノ線のようにここを突破されたら総崩れになるのである。「五七五七七の三十一文字」とは、指を折りながら音数を数える「数合わせ」のパズルではない。古今の名歌に字余り字足らずが多いこともよく知られたことである。

 ここに枡野の短歌を引いたことは本人の不名誉にはならないだろう。枡野は意図的に短歌固有の韻律を消し去って、「渋谷の電光掲示板に映ったときにおもしろい短歌を作りたい」と考えているからである。それはスーパーフラットなキャッチコピーのような短歌である。そのような短歌にとって短歌固有の韻律は、歌の内部に入り込むことを過度にうながすので、すみやかな意味の伝達を阻害し邪魔になるのだろう。

 さて、照屋の短歌に話を戻すと、際立った特徴がふたつある。「存在にたいする理知的懐疑」と、その結果として生まれる「短歌に詠われた世界の構造の複雑さ」である。前者を示しているのは例えば次のような歌である。

 皮膚一枚のうちそと淡く暮れゆくをいづれ空とふいづれを虚とふ

 ここにゐる! ここにゐるとき本当にわたしはかしこにゐないのだらうか

 手、足、首、骨、血潮、いつたいいくつの言葉で出来てゐるか「わたし」は

 けふはもう私は私を早仕舞してさてここに居るのは誰

 〈私〉の内と外は皮膚一枚で区切られているが、その外部と内部のどちらが虚でありどちらが実であるか、これが一首目の問いかけである。仮に私の感じる生々しい実感こそ真と観ずれば、外的世界は流転する現象世界にすぎない。しかし私の実感を外的世界の刺激が投射されたものと見れば、〈私〉は様々な刺激が流れ込む空虚な「場」にすぎなくなる。二首目は現実世界に暮らす〈私〉とは別に、もうひとりの〈私〉がいるかもしれないという。三首目は、〈私〉は実は「言葉」で出来ているのであり、もし言葉を失ったら〈私〉は〈私〉であり続けられるのだろうかという疑問だろう。

 これは言うところの「存在の不安」だろうか。いやそうではあるまい。照屋の短歌においては、〈私〉の実体性や唯一性や一貫性にたいする懐疑が繰り返し提示されているが、そのような疑いを抱く〈私〉は確固として存在しているからである。「疑う〈私〉」の存在は疑えぬとは、まさしくデカルトである。この一点において照屋の存在懐疑は、例えば次のような歌に見られる現代社会における人間存在の希薄感とは一線を画している。

 むらぎもの空白だけが液晶の画面に写り削除するべく  菊池裕

 定常化されてしまったみみなりのむこうもこちらも世界であると  中澤系

 存在にたいする懐疑は「入れ子構造の世界観」を生み出す。例えば次のような歌である。

 夢に鳥となりて夢見る人間(ひと)たりしむかしの夢のうすきまなぶた

 名付くれば消ゆるばかりをなべてなべて在りて在らざる夢の内外(うちそと)

 薄目して夢が私を見つつあらししばしを水に魚となりゐつ

 わが泪もて君をのごはむ水底の魚の睡りに降る雨のごと

 照屋の第一歌集の題名が『夢の岸』であったことからもわかるように、集中に「夢」がよく出て来る。またこれが「私が眠って夢を見ている」というような単純な構造ではない。一首目、「夢のなかで鳥になる」のはよくあることである。しかしこの一首は「夢のなかで鳥になった人間が、その世界でまた夢を見ている」とも読める。また三首目では「私が夢を見る」ではなく、「夢が私を見る」と主客転倒が起きている。四首目で水底で眠る魚はどうやら夢を見ているのだが、その夢のなかでは雨が降っている。魚の外側には水があり、魚の見る夢のなかにも水があるという構造である。私はこの歌を読んで良寛の作と伝えられている次の歌を思い出した。この歌は仏教の宇宙観を表わしているそうだ。

 あわ雪の中に顕ちたる三千大世界(みちおほち)またその中に沫雪ぞ降る

 照屋の歌が単に現実を生きる〈私〉を詠うのではなく、〈私〉が〈私〉であることの懐疑を弾機として入れ子構造の複雑な世界を立ち上げていることが、照屋の歌に奥行きと広がりを与えている。読者は照屋の歌を読むときに、迷路を辿ってちがう世界にふっと出たような、あるいはジェットコースターに乗せられて上下の感覚をなくしたような、酩酊と昂奮を味わうのである。

 まだ言い残したことは多い。歌に詠み込まれた「原口統三」「藤田敏八」「若松孝二」「プロコル・ハルム」などの固有名詞は、時代を共有した者としては懐かしい。また「摂津幸彦うつつは知らね茜さす真昼の空に降る星の声」は、平成8年に49歳の若さで他界した俳人摂津幸彦への挽歌だろう。摂津は次のような秀句を残している。

 南浦和のダリヤを仮のあはれとす
 南国に死して御恩のみなみかぜ
 少年の窓やはらかき枇杷の花

 つい先日も同じく俳人の田中裕明が45歳の若さで鬼籍に入ったのも惜しまれる。俳句をたしなむと長生きするのではなかったろうか。これに限らず『抽象の薔薇』には死者を思う歌が多い。

 死者に死者のつれづれあらむときをりを帽子目深に白日を来る

 八月は死者の見る夢こぼれては陽の揚羽月のおほみずあを

 このごろを死者に親しくわがあればなべてうつくし現し世のこと

 死んでしまつたあなたと忘れてゐた私と風化したのはどちらか 桟橋に腰掛けて

 最後は珍しく大幅な破調の歌だが、死者は記憶のなかで永遠に風化せず、むしろ風化してゆくのは生きている私たちの方だという認識は苦い。しかし死者を詠うときも、照屋は過度の湿っぽさや暗さに流れることがない。句集『月の書架』所収の「いつかカランと骨になる日よ風の秋」という句が示しているように、どこか乾いた思い切りのよさがある。

 最後に言わずもがなのことを一言述べてみたい。見て来たように照屋の歌はいずれもしらべの美しい歌なのだが、例えば加藤治郎の次のような歌を見てどう思うだろうか。

 いま俺は汚い歌が欲しいのだ硝子の屑のかなたの牛舎 『マイ・ロマンサー』

 「定型の波打ち際」に身を浸して、常に短歌形式の拡大を目指してきた加藤が欲する汚い歌というのは、文字通り汚いという意味ではなく、古典和歌から近代短歌の革新を経由しても大きく変わることのなかった短歌的韻律と短歌的抒情からはみ出そうとする歌というほどの意味であろう。定型という形式との格闘は歌人の宿命である。照屋が完成させた自分の韻律豊かな定型短歌を、今後どのように展開してゆくのか、興味のあるところである。

2004年1月17日
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さて、贈呈された第三歌集『恋』のことである。

  追憶の彼方の恋や夕暮れの
             空へ振るため人は手を持つ・・・・・・・・・照屋眞理子


この歌は作者にとって拘りのある歌なのであろう。 「帯」に引かれている。
1951年生まれというから、彼女はもう還暦を過ぎて、若くはない。
「恋」というものも、追憶の彼方にあるというのである。

「帯」の裏表紙には、こんな歌が抽出されている。

  美しい夢であつたよ中空ゆ振り返るときこの世といふは

  もうかたち持たずともよきさきはひを告げきて秋の光の中

  たましひを戴くごとく桃に刃をあてをり外はかがやく真昼

  ぢりぢりとかの日の夏に灼けながらふいになつかしあらざりしこと

  ある午後のいとも小さき悦びとして風光るとふ言葉はありぬ

  夕菅の花も灯のぬ物語閉ぢてこころを迎へに行かむ

  人は人の記憶に生きるため生きて日毎を交はす淡き挨拶


これらの歌が作者本人の選になるのか角川書店の編集者の選になるのか知らないが、この歌集一巻を代表するものと言ってもよかろう。
私は彼女の第二歌集『抽象の薔薇』を私の目では読んでいないが、上に引いた東郷雄二の批評文で見る限りは、この第二歌集が絶頂のように思える。
総体に、日本人というのは加齢とともに「枯れる」。風景や事象を見る目も「枯れて」ゆく。
きらきらした「比喩」も輝きを薄くする。
ということは、彼女の俳句も歌も、以前のものに比べて、風景と一体化する傾向を強めてきた、ということである。
言葉を替えれば、前衛的ではなくなった、ということである。

第二歌集所載の次のような歌(再掲)と比べてみてもらえば、よく判ることである。

 天頂をいま羽ばたきに星鳴らす白鳥座かも耳盲ひて聴く     第二歌集『抽象の薔薇』から五首

 鳥になぞへ空に放ちてその後を知らざれば今日も風中のこころ

 野に得たる青きことばは野に返し人語の街に帰り行くかな

 閉づるまぶたのうちに覚めつつ眼球のはや知れる今朝天体の秋

 ふとも背に目の気配在りまたたかぬ大き片目よ空虚(むなしぞら)とふ

それは悪いことではないが、彼女もやはり日本人なのだなぁ、という感じを私は受ける。しかし、これは私も含めて日本人なのだから仕方のないことだろう。
私が、かく言う証左の一例として、下記に歌を引くが「あはれ」という言葉が出てくるところなどに表われている。
この「あはれ」という言葉に象徴されるのは日本人が昔から引きずってきた「もののあわれ」のことであるが、そこに安住するのか、背くのか、ということである。


私は、これらの歌に加えて、私の好きな歌のいくばくかを引いて鑑賞を終わる。ご恵贈に感謝する。

   帰り来るはた帰り来ぬ人を待ち夜毎を灯すあはれ家いへ   

   冬ごもり春の地上にみなひとつ持ちて寂しゑいのちとふもの
   
   もの言はずもの言ふものの声満ちてあはれ日頃を親しき什器

   夏の終はり秋の初めをさやさやと風立ち人に恋はあやなし

   照屋眞理子といふが何処かに歌紡ぎをるとふわれは逢ふこともなし




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