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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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言語学者・堀井令以知が死んだ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
堀井
 ↑ グラフ社2008/08/06刊
堀井②
↑ 雄山閣2011/11/25刊
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 ↑ 京都新聞出版センター2009/05刊
46堀井令以知
 ↑ 晩年の堀井令以知

──エッセイ──

     言語学者・堀井令以知が死んだ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

京都新聞2013/05/07夕刊を見ていたら、「追想」欄に下記のような記事が出ていた。再録する。 ↓

   言語学者・堀井令以知さん 3月10日死去、87歳
   
言葉は面白い、この面白さを広く伝えたい─言語学者として京ことばからフランス言語学まで広く、深く追究し続けた生涯だった。
京都市伏見区淀出身。旧制桃山中(現•桃山高) 1年の時、河原町丸太町上ルへ。実家は戦前には珍しい欧文専門印刷所。
関西日仏学館が得意先だった。
フランス人館長から「オリイさん」と呼ばれ、「なぜ『h』を発音できないのか」と疑問を持ち、
敗戦を告げる玉音放送には「難解だ。どれほどの人が理解できるのか」と感じた。
激動の時代でも、常に言葉に関心を持ち続けた。
大阪外国語学校(後の大阪外国語大)フランス語専攻を経て戦後、京都大へ。
寺院や花街、隠れキリシタンの里で調査を重ねた。関西外国語大学教授の傍ら、他大学でも言語学を教えた。
約30年前に1年間、筆者も受講した。教壇から身を乗り出して言語学者ソシュ—ルを解説し、教科書の誤訳を指摘。
時に「ようござんすか」と問いかけた。長女の谷口利恵子さん(49)によると、あらたまった時の口癖だったという。
2008年4月から1年間、本紙朝刊1面で「折々の京ことば」を連載し、NHK大河ドラマ「龍馬伝」「篤姫」など幕末
劇のせりふを監修するなど、研究成果の発信にも尽力した。
「広辞苑」編集で知られる新村出博士の孫弟子だけに、同辞書第6版の編さんに携わった時は、さぞうれしかったのではないか。
序文には博士への敬愛の情を率直に表し、「ことばは絶えず変化し、揺れている」「辞書を楽しくおもしろく
使える人が増えることを期待したい」と結ぶ。
晩年も自宅で研究一筋で気分転換は野球、相撲のテレビ観戦。妻和子さんを一昨年暮れに失って気落ちしたというが、
近くミネルヴァ書房から刊行される自伝のゲラ点検は終えていた。研究に区切りはついていたのだろうか。(内田孝)
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記事には同氏の写真が配され、その写真下に
<堀井令以知さんは、晩年も月に1、2回は大阪府枚方市の自宅から、ゆかりの新村出記念財団(京都市北区)に通っていたという>
というキャプションが付けられている。

今調べてみたらWikipediaに彼の項目が出ている。 → 堀井令以知

なお、同紙の死亡記事は下記の通り。 ↓

堀井令以知氏死去 言語学者、「折々の京ことば」執筆

 京言葉を中心に幅広い言語比較、語源研究を行った言語学者で関西外国語大名誉教授の堀井令以知(ほりい・れいいち)氏が10日、肺炎のため大阪府枚方市内の病院で死去した。87歳。京都市出身。自宅は公表していない。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男知彦(はるひこ)氏。

 京都大でフランス言語地理学を学び、後に対馬方言調査への参加をきっかけに日本の方言学に研究を移した。1978年から2009年まで関西外国語大教授、03年から新村出記念財団理事長を務めた。編著書に「ことばの由来」「京都語辞典」(共編)など多数。映画やNHK大河ドラマ「篤姫」「風林火山」などで京言葉、御所言葉の指導も手がけた。08~09年に本紙朝刊1面「折々の京ことば」を執筆した。

【2013年03月11日 23時20分】
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長々と新聞記事などを引いたが、彼は、私の住む青谷の「中村」という在所の出身なのである。
私の母方の親族が、ここにあり、彼の本家というのが母方の親族で、葬儀や、その後の「なおらい」の宴席などで本家の人から彼の話を聞いた。
私の母も「中村」の出身だが、旧姓は「堀井」であり、この地域は「堀井」と「新井」姓が全体の8~9割を占めるという特異なところ。
同姓同名という現象も発生し、郵便物の誤配など混乱が生じたりする。そんな際に変に改名したりすると改名した人が「負けて」早死にしたりするのだった。
これは明治になって百姓、町人も苗字を名乗るようになった際に、同じ株などの親族が一緒の姓を付けたのに由来するが、出身地特定などに便利である。
そういうのを研究する学問分野もある始末である。 因みに「加藤」「横井」などの姓は愛知県に多い。 など。

彼・堀井令以知の死去を知って、友人の玉村文郎君に手紙を書いたら手紙と電話をいただいた。
上の記事にも書かれているが、彼は新村出記念財団理事長だったが、彼の後任の現・理事長が玉村君である。
彼・堀井令以知の父親の代に「中村」を出ているようで、昔は地主以外はみな貧しく、また子だくさんだったから、早くから徒弟奉公に出たもので、
彼の父親も印刷の技を身につけたものであろう。
上の記事にもある通り、横文字専門の印刷所というのは特異なものであり、玉村君の手紙によると父親は「エスペランティスト」だったという。
ご承知の通りエスペラント語は全くの人工語であり、共通言語を作ろうという考えで発生したが、戦前までの現象で、この運動は戦後は進展しなかった。
第一次世界大戦後には、国際連盟の公用語として採用してはどうか、という働きかけもあったらしいが実現しなかった。
言語というのは、食習慣がなかなか改まらないのと同様に、極めて保守的な性格を持っているからである。
第二次大戦後は、戦勝国として世界に君臨したのはアメリカであり今や、その言語・英語(米語)が世界の共通語となったからである。
戦後しばらくまでは、大学生の周辺でも「エスペラント語」云々という言葉が聞かれたものだが、今回の訃報を機に、そんなことが思いだされる。
先に紹介したが、Wikipediaの彼の項目を見ると、「著書」のところの一番初めに
「古い校舎 綴方と漫画 堀井欧文印刷所 1938」
とある。これは父親が彼・令以知の作文と絵を冊子にしたものであろう。 自宅が印刷所だから出来ることである。
1938年と言えば、彼が13歳のことである。 微笑ましい限りである。印刷所の名前が「 堀井欧文印刷所 」というのだったのも判然とする。

彼・堀井令以知は「桃山中学校」出身とある。 私も旧制・桃山中学校出身であり、大阪外語出身ということも縁があるのである。
今はまだ明るみに出来ないが、私の次詩集の編集に際して、彼・堀井令以知の著書などを参照したので、これも縁があると言える。
だから今日は、いささか私的ではあるが、彼・堀井令以知を採り上げた次第である。
玉村君については、このブログでもお世話になったことがある。 → ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は?

近くミネルヴァ書房から刊行される自伝なるものは、ぜひ買って読んでみたいと思う。



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