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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山田兼士詩集『羽曳野』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
山田

──山田兼士の詩と詩論──(9)

     山田兼士詩集『羽曳野』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・澪標2013/07/04刊・・・・・・・・

この本は、山田兼士先生の第三詩集にあたる。
『微光と煙』(思潮社2009年刊)、『家族の昭和』(澪標2012年刊) につづくものである。
先に『高階杞一論─詩の未来へ』を、ここで採り上げたことがある他、個々の詩を扱ったことがあり、第一詩集から鑑賞している。
詳しくは「山田兼士の詩と詩論」にまとめてあるので見てもらいたい。

先ずこの表紙写真について、先生のブログに記事を書かれたので引いておく。

<まず撮影場所は我が家の近所、峰塚公園の一画です。かなり前に考古学的発見があって話題になった峰が塚古墳が敷地内にあります。
右遠方に見えるの が二上山、左前方が白鳥陵。撮影したのは、一昨年、転居間もない頃でした。
あまりに見晴らしがいいので思わず写メールしようとしたら、突然幼稚園ぐらいの女の子が走って来て、偶然写り込んだのでした。
まったくの偶然。この光景から「古代以来居た子」という回文を作ったのでした。
セピア色の写真なのでかなり古いものと思われる方もあるようで、この女の子は娘さん?という質問lもありました。
娘はとうの昔に(?)成人してい ます。ちなみにまだ孫はいません。
写真のセピアについてはぼく自身のアイディアですが、素人がするといったんモノクロにしてからセピア色をつけるのですが、そこはプロの装幀家、
うまく一部の色を残しながらセピア化してくれました。自然退色に近いかたちですね。特に、女の子の帽子のピンクが自分では気に 入っています。
この写真を元に詩「白鳥陵」を書いたのでした。>

改めて、掲出した詩集の画像を見てみれば、この先生のコメントが納得できる。

さて、一読した私の感想を一言で言えば、これは山田兼士の「自伝的詩集」ということになる。
この傾向は、第一詩集以来、一貫しているとも言える。
予め言っておくが、ここに書くことは批評ではなく、「鑑賞」と本の「紹介」ということである。
以下、二、三詩を引きながら書いてみよう。
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    羽曳野・・・・・・・・・・・・・・・山田兼士
                 そのままよ月もたのまじ伊吹山(芭蕉)

  のかみヤマトタケルが白鳥になって飛来したとされる

  はらを見下ろす高台 畿内西方の町 遠望する二上山

  るで神話時代そのままの眺望タケルの故郷は山の向う

  るで風景の裏側のように左雄峰に右雌峰その彼方から

  うやく越えてきたのだ傷ついた翼で だが飛び過ぎた


  いに故郷に還ること能わずさらに羽を曵き野の上空に

  えた魂の残像よ 恨んではいけない伊吹山の神の力を

  うすぐ還暦を迎える僕が故郷から遠望した岩山は今も

  まに木枯をもたらし時には雪も運んでくるがそれでも

  はらに涼風を運ぶ夏もあり折々に冬籠りを勧める事も

  つお芭蕉を魅了した山容は八幡神宮鳥居前からの姿と

  つは最近知った故郷の芭蕉記念館を訪れてその場所は


  まは観光用に整備された廃港 昭和の初め頃は小舟が

  つかり合うほどにぎっしり並んでその舟伝いに大川を

  しからきしへ渡って学校に通ったものだと亡父の昔話

  んだ右半身をかばいながら左手で一升瓶から酒を注ぐ

  もなく還暦その残像が羽を曵く野は伊吹にも二上にも
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      伊吹・・・・・・・・・・山田兼士

                   折々に伊吹を見てや冬籠 (芭蕉)

   れまがった坂道を画家のアトリエから十分ほど登ると
   っぱな岩山が遠望できたエクス一九八四年八月十九日
   おしい姿を背景に子供たちが遊んでいる そのなかの
   はつそうな女の子に山を指差して名前をたずねてみた
   こり笑って「サントヴィクトワール」セザンヌの山だ

   ぶきおろしにハンドルを取られながら自転車を必死に
   っとばしていた高校への道 一九六九年十二月十九日
   になるのは朝整えてきた天パの長髮 左前方からの風
   うけ髮はぐしャぐしゃ 田圃の中の一本道をひた走る
   ぎから分けたことを後悔しながら走るも突風に煽られ
   一旦停車 北西の方角に遠望したのは雪を頂いた岩山
   まとたけるをも打ち負かした神の山だ はるか遠方に

   ゆこもりでもしたいと願いながら岩山を遠望した一瞬
   ったり風に吹かれながら遠く岩山を見ていた夏の一瞬
   の二つの稜線が一つになるのにながい時間がかかった
   う見ることのないだろう異郷の山とこれからも折り折
   見るだろう故郷の山に見守られ僕は還暦にダイブする。

これら二つの詩は、先に記事にしたときに書いたように、日本の古来からの「頭韻」の形式─「冠かむり」という手法を踏襲しているのである。
詳しくは、当該記事に書いてあるので参照されたい。
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      白鳥陵・・・・・・・・・・・山田兼士

     住宅街の路地を抜け
    土の道に入る
    「マムシ注意」の立札を横目に
    五十歩ほど歩くと視界が開け
    小山の上であることに気づく
    ここも古墳だ

     展望台から眺める
     近つ飛鳥は
     右遠景に二上山
    左近景に白鳥陵
    ああ 
    古代の風景だ

    ビルや家々を
    脳内のCGから消すと
     見えるのは田 畑 森 野
    少女が走り去る
    むかしの子だ
    (こだいいらいいたこ)

     あの巨大古墳を造るのに
     何人が 何時間 何日間 
     何年間 働いたのか 
    その生活に思いを馳せる
    役人に強いられた
    苦役の日々だったのか

    それとも 
     楽しく 和やかで
     豊かな 労働だったのか
    そうあってほしい
    古墳の町で 
    そう願う

    濠に浮かぶ 喜びの島
     白鳥陵
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ここに引いた三篇は巻頭の  Ⅰ 羽曳野  に載るものであり、作者の住む羽曳野や出身地・大垣などに通うものである。
すぐ後につづく詩「阿倍野橋」には、
   歌人である令夫人が六年間通った四十年前の女子高時代、
   三十五年前には二人で歩いた、
   二十五年前には幼子二人の手を引いて、
   十五年前には手術後の検診に、
この界隈を歩いた、という。 その手術というのも胃癌で三分の二を切除というものだったこと、などが詠われる。
この界隈について、ついでに書いておけば、JR関西線(いまは愛称として大和路線と呼ぶ)で奈良から大阪に向かうとき、天王寺駅のすぐ手前、
左側に「大阪女子高校」という建物が見えるが、これが詩に詠まれる女子高なのであろうか。
また、天王寺駅、近鉄・阿倍野橋駅の近くには大阪市立大学医学部付属病院、大阪鉄道病院などが集中しているが、それらのどこかで胃の手術を受けられたものと推測される。
近鉄阿倍野橋駅と言えば、最近大きな話題になっているビルとしては日本一の三百メートルの高さを誇る「アベノハルカス」が辺りに威容を誇っているところである。
天王寺駅からは「架空」の通路が出来て、下の道路を横切る必要もなく、この「ハルカス」に入ることが出来るようになった。

そして、この項目の末尾には、この家族が持つ山荘のことが「志摩」という詩になって締め括られる。
また  Ⅱ 安乗の遅刻 の章にある「キリン」という詩には手術したときには作者が四十四歳だったことも描かれる。
これらを見る限り、この詩集は極めて「私的な」自伝的詩集という所以である。

そして、  Ⅲ 萩原朔太郎の詩碑 の章では、朔太郎とフランス詩との関連、朔太郎の甥っこ・萩原隆氏の思い出などが綴られる。
これは先生が現在、実行委員をしておられ、三井葉子さん肝煎りの八尾市主催「萩原朔太郎記念とをるもう賞」へと繋がるのであった。

現代詩も現代短歌も、「前衛」と呼ばれる時代を経て、「私性」を「消す」ことに終始してきたが、それらは「消し」尽せるものではなく、しぶとく今も生きている。

この詩集を読みながら、そんな事どもが頭の片隅を、しきりによぎるのであった。

極めて不完全ながら、この辺で鑑賞を終わりたい。
いただいたのは、もう少し前だが、今日が刊行日なので日付に合わせてアップする次第である。


 
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