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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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斉藤なつみ詩集『返事』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
斉藤なつみ

──新・読書ノート──

       斉藤なつみ詩集『返事』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                       ・・・・・・本多企画2013/08/20刊・・・・・・・

未知の人から詩集が贈られてきた。
この詩集は彼女の第二詩集にあたるらしい。
1950年 富山県生まれという。現在、岐阜県可児市在住。
本が出たばかりで、ネット上でも、まだ批評や紹介の記事は出ていない。

ネット上で検索していると、→ ruri/blogという前詩集『私のいた場所』(砂子屋書房2008年刊)についての記事が見つかった。 ↓
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2008年12月07日

斉藤なつみ詩集「私のいた場所」から

最近出会った好きな詩集です。
それは斉藤なつみさんの「私のいた場所」という詩集です。そこから2篇を載せさせていただきます。


            馬               斉藤なつみ

       土壁造りの馬小屋の
       四角くくりぬいた窓から
       馬は いつも顔を出していた

       窓の奥は暗く
       そこから深い闇が始まるようで
       うっそうと木々の繁る道からは
       何も見えなかった

       焚き付けの杉葉を拾いに
       父と山へ歩いていった日にも
       馬は窓から顔を出していた

       その家で主の葬儀のあった日にも
       馬は顔を出していた
       顔を出して
       弔いに集まった人びとの頭上遠くの
       空を眺めやっていた

       馬には顔しかないのだった
       田を耕し
       重い荷を負った体は
       馬小屋の闇にとけて
       きっと もうないのだった

       空にはいつも 
       碧い風が吹いていたから
       顔だけが
       忘れてしまった風景や
       まだ来ない風景に
       まなざしを
       遠く
       投げているのだった


            時          斉藤なつみ

       
       いつか 家路をたどるわたしの前にきれいな夕
       焼けの空が広がっていた
       けれども あれは本当に夕焼けだったのだろ
       うか
       赤々と林の向こうに沈んでいく夕日の色も
       刻々と闇にのまれていく林の木々も 本当は
       風のように吹きすぎていくだけの時間だった
       のではないか
       眩しい朱の色で 西の空に刷かれた時間
       もうここにはない


       ならば 遠いむかし 人と肩を並べて見上げ
       たトウカエデの木も 公園の片隅で枝をのば
       し 木漏れ日を揺らしていた時間だったに違
       いない
       貧しくみすぼらしい夢しか持たない私たちの
       頭上にも 果てしなく広がる空のあることを
       指し示し しずかに葉をそよがせていた
       けれども そのそよぎあう葉も 光も そし
       て 手にふれた幹の温かさも 過ぎていく時
       間のことだったのだ
       〈木〉と名付けられ 樹木のかたちをして
       私たちの一日に届けられた


       なつかしいふるさとの町の夜道を照らしてい
       た古い街路灯も 時間のことだったのだ
       スズランの白い花のかたちに 小さく灯をと
       もしていた 私にはそう見えた
       けれども 足元をやさしく照らしていたその
       あかりも 路上に映った母の影も 幼い私の
       影も 遠くへ過ぎていく時間のことだったの
       だ
       耳にのこる母の下駄の音さえも 辺りをつつ
       む夜気の匂いさえも


       いくつもの美しいかたちを私に現しながら
       遥かへと 流れ去っていった時間
       永劫再びめぐり逅うことも叶わない
       そして…
       過ぎた日の思い出を さびしくなぞっている
       この私もまた 過ぎて戻らない時間のことな
       のだろう


       つかのまの人のかたちに見えて 滔々と宇宙
       の闇に流れつづける時のなかへと 還ってい
       くだけの
     ””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
存在とは何か?…時間や空間のかなたから、形にならないある本質的なイメージを、形象化して伝えてくれる…そんな詩法に触れて、存在のもつ深い時間そのものをかいま見ることができた…そんないい詩集でした。
「馬」という作品では(馬には顔しかないのだった…)ではじまる5連目がこの詩作品全体を照らす光のように啓示的でしたし、「時」という作品の比喩も思いがけない新鮮さで心を打ちました。斉藤さん、いい詩集を有難う!という気持ちで読ませていただきました。
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この記事には、下記のようなコメントが投稿されている。

コメント
<最初の作品は、馬の顔だけしか見えないことが、かえって、存在を濃く表していたと思います。その存在と時間とのつながりを、しみじみ考えさせたのが、次の作品「時」でした。必ず過ぎ去り、二度と戻らない時間の本質は、わたしたちには、過酷であり、また、救いでもあるのですが、さびしいことは確かです。最後の3行には、深く共鳴しました。>  投稿者 青リンゴ : 2008年12月15日
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今度の詩集『返事』も、前詩集と同じような趣の詩である。 二、三篇引いてみる。
先ず初めに、この詩集の題名に採られている詩。

        返事        斉藤なつみ

   もう一度 尋ねてください

   地面に落ちた白い柿の花を
   てのひらに集めながら
   ひなたぼつこをするように遊んでいた日

   俯いたまま
   幼いこころに吞みこんでしまったことば
   そのことばが
   どこへもいけず
   胸の底にのこっているから

   もう一度尋ねてください

   身を屈め 私に問いかけた人が誰であったのか
   問われたことが何であったのか
   虱がとうに消し去ってしまったけれど

   遠い日のひざしのなかに
   今も 幼い女の子がひとり
   返事を一つ 大切に胸に抱いて立っています

   仮初めの夢のような この現し世で
   果てもなく広がる草原の
   一本の草をかき分けるようにも
   小さな名まえを呼びかけて
   尋ねられたことには
   一つのこらず答えていきたいのです

   白い花の咲いている柿の木の傍です
   おかっぱ頭の小さな女の子です
   降りやまないひざしです

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        赤トンボ       斉藤なつみ

   にび色に
   寒々と流れていく川のほとりで
   おまえに出会った
   枯れ芒のあいだを低く縫うように飛んでいる
   小さな翅はボロボ口に破れていた

   大空に耀う光のように
   おまえを赤々と燦めかせた秋の陽は
   すでにここにはない
   とうにどこかへいってしまった

   川原を吹くかすかな風にも
   くずれていきそうなトンボのすがたを
   ようやく保ちながら
   芒の原に佇む私のまわりを行ったり来たり

   迷子のように惑い
   己れの行き先を問うているのか
   私にも知ることのできない
   誰も告げてやることのできない行き先を
   おまえは
   無量の<時>の流れのなかから
   汲み上げられ
   この広い空に放たれた一滴の寂寥
   そして
   遠い日に私のこころを通りぬけていった
   底知れない淋しさ

   そのおまえに 今
   川のほとりで再び出会ったのだと
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             あとがきにかえて

   夕暮れて
   家に帰る子らを待っていよう
   黒々と日の沈んだあとの丘に立つ
   一本の木のように

   日の暮れて帰りつくところは
   ここ と
   どんなときにも
   帰るところは
   ここ と

   秋の木枯らしのなかでも
   冬の凍りつく空にも
   せいいっばい高く
   枝をひろげて
   黒々と日の沈んだ丘に立つ
   一本の木のように

   母はいつでも
   待っていよう

   日の暮れて
   帰ってくる子らを待っていよう
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1950年生まれ、というから作者は、すでに六十代半ばになっているが、これらの詩の中の「母」が待っている、のは何だろうか。
「返事」の詩の中の「おかっぱ頭」の少女は、誰なのか、私には判らない。

この記事をご覧になった作者のコメントによると、この「母」も「少女」も、作者自身あるいは、すべての母のつもりだという。
この雰囲気は、斉藤なつみだけの詩世界として、ひっそりと屹立しているようである。
不完全ながら、鑑賞と紹介を終わりたい。 ご恵贈有難うございました。

(お断り)
詩の部分はスキャナで取り込んだので、どうしても多くの「文字化け」が生じる。子細に修正したが、まだあれば言って下さい。すぐに直します。よろしく。


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