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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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藤原光顕の歌「ローマの猫は」10首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
光顕

──藤原光顕の歌──(13)

     藤原光顕の歌「ローマの猫は」10首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・「芸術と自由」NO.291所載・・・・・・・・

        ローマの猫は・・・・・・・・・藤原光顕

  ヘリコプターの音が軽くなったと見上げる空がふいに 秋である

  生涯をこの世に振り当てられたこと今さら言ってみたりして 秋

  あれが岐路だったのか 振り返る遠い木に秋の陽が降っている

  スーパーの自転車置き場に秋がきて ローマの猫は塀の上にいた

  相哀れむ思いどこかにあったかと乗り換え駅の陽ざし見ている

  三日ほど前たしかにここは森だった 新しい切り株に陽が鮮らしい

  あの人のあの家はまだあるだろうか 土手の芒に風は通うか

  駅を出てもう疲れてくる まごつくたびに余所者の顔をしたりして

  七十余年の選択の果てとふと思いむらさき色の夕暮れにいる

  懲りもせずまた来て悔いる敬老会 お弁当食べて「ふるさと」唄う

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いつもながらの光顕ぶし であるが、藤原さんの歌には「詩」がある。
当今の「新」短歌と称する作品は、多くが事実をズラズラと羅列するだけのものが多く、「詩」が感じられない。
そんなものは「詩」ではない。
「詩」とは「非日常」である。それが詠われなければ詩ではない。
光顕作品は「ローマの猫は」という題名からして、読者の意表を突く。
私は「新」短歌も「短詩」として把握している。

光顕作品の末尾に「敬老会」を詠んだものがあるが、年寄りだからと「お仕着せ」の観が強い。
私は老人会には出ない。
体のどこそこが痛い、だの、誰それが死んだ、なの、そんな「後ろ向き」の人生はイヤである。
歳はとっても新しいもの、若いものを求めて、新たな日々を生きたい。
そんなことどもを考えさせてくれる光顕作品だった。
この雑誌はもっと前にいただいたのだが、ベトナム旅行前とて、日延べさせてもらった。
有難うございました。 ご健詠を。


コメント
コメント
若さとは精進
   Sohyaさま

 先生が仰います
「歳はとっても新しいもの、若いものを求めて、新たな日々を生きたい」
全くご同感です。

 その若々しい感性を、僕たちは本ブログで体験し、
同じように新しい明日を目指して行こうと思います。
有難う御座いました!
2013/11/26(火) 10:50:25 | URL | 硯水亭歳時記 #xxIaUQbE [ 編集 ]
コメント有難うございます
■松本さま。
コメント有難うございます。
居直ったようで恐縮です。
あなたはお若いし、可愛い次女もお生まれになって
益々頑張っていただかなくてはなりません。
では、また。
2013/11/27(水) 06:00:45 | URL | sohya #- [ 編集 ]
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