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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ジョン・バンヴィル『いにしえの光』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      ジョン・バンヴィル/村松潔訳『いにしえの光』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・新潮社クレストブック2013/11/29刊・・・・・・・

   撮影現場から姿を消した人気女優と、あとを追うベテラン俳優。よみがえる禁断の恋の記憶――。

     最愛の娘を失った老俳優と、今をときめく人気女優の、奇妙な逃避行。
     その途上で彼の脳裏によみがえるのは、友人の母親との禁断の恋の記憶だった。
     二人きりで過ごした短い時間があんなにも光に満ちていたのは、なぜだったのか? 
     数十年の後、その手がかりが不意に明らかになる――。
     ブッカー賞、カフカ賞受賞作家による最新長篇。

ジョン・バンヴィル/Banville,John
1945年、アイルランド・ウェクスフォード生まれ。12歳よリ小説を書き始める。1970年、短篇集Long Lankinでデビュー。アイルランド紙で文芸記者として働きながら執筆を続け、『コペルニクス博士』(1976)でジェイムズ・テイト・ブラック記念賞、『ケプラーの憂鬱』(1981)でガーディアン賞、『海に帰る日』(2005)でブッカー賞受賞。2011年、フランツ・カフカ賞受賞。現代アイルランドを代表する作家であり、The New York Review of Booksなどで批評家としても活躍している。ダブリン在住。

「書評」としては出たばかりなので日本のものは少ないので海外のものなど引いておく。

▼Kawamoto Saburo 川本三郎

『海に帰る日』で遠い夏の日の少女を描いたアイルランドの作家ジョン・バンヴィルが再び、少年の日の失なわれた恋に戻ってゆく。初老の俳優が、五十年も前の初恋を思い出す。十五歳の少年は、友達の母親に惹かれた。そして年上の彼女に恋の手ほどきを受けた。記憶のなかの女性がいま、鮮やかによみがえる。二人は町の人々から隠れるようにして林のなかの廃家で密会を重ねた。隠れた恋だった。秘密だった。だからこそ五十年もたったいまも輝いている。バンヴィルは現代文学にとって、思い出が大きな主題になっていることを知っている。
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▼The Independent インディペンデント紙

光を放つ、息を呑むような作品だ。青年期の精神を、性体験に焦がれる肉体を、理性を失うほどの官能と情動を、バンヴィルは完璧に捉えている。
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▼The Observer オブザーバー紙

知の立った文章で、どの言葉も額面どおりには受け取れないのではないかと思わせられる。しかし、作中人物たちの生き生きとした心の動きや、彼らの生きる世界に向ける細心の注意も、バンヴィルはひとときも怠ってはいない。
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▼The Wall Street Journal ウォール・ストリート・ジャーナル紙

ツルゲーネフの名作「初恋」に比肩する、青年期の恋の物語。滑らかで、深遠である。心をかき乱す、美しい作品だ。
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▼The New Yorker ニューヨーカー誌

この本においてもっとも衝撃的なのは、その言語である。一行一行が詩的効果に満ち満ちている。
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▼London Evening Standard イブニング・スタンダード

ラブストーリーに必要なすべてがここにある。セクシーで、説得力があり、不可解で、滑稽で、悲しく、忘れがたい。
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この作家の本はいくつか今までにも翻訳されている。
新潮社から出た本のことを少し紹介する。

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新潮社の読書誌「波」 2010年11月号より

   ジョン・バンヴィル/村松潔訳『無限』 2010年新潮社クレストブック刊

      神のなせる業!    イッセー尾形

 アイルランドというはるか遠い国から運ばれてきた物語。さらに語り手がギリシア神話に出てくるヘルメスだという(うんとうんと遠くなった!)。もうこれは、思いがけない贈り物をもらったような気分でページを開こう。
 脳卒中の発作を起こして今は昏睡中の父親と家族や隣人を巡る話ですけど、この語り手である神様たちには「愛」と「死」というものがないらしい(こっちだって「愛」にも「死」にもそれほど詳しいわけじゃないんだけど)。でも「死」がないのなら意識不明の父親だって生きている!
 神は《早まって埋葬されるのを恐れている》と父親の心を代弁し、ケーキの粉に落とした母の涙、ゴンドラで娼館を訪れたベネチア、北欧の会議で逢った内股気味の女性などを次々、即興劇のように思い出させます。なんと気分転換に階下にいる長男の嫁に触角をするすると伸ばしたりすると、これはもう神のなせる業なのか人間の業なのか区別できません。
 長男は寝ている父親を見下ろして、子供のころ妹を砂浜に埋めた記憶を蘇らせます。その情景をすみずみまで見渡そうと考えこんだり。また妹の彼氏を迎えに行った帰りは、川と河口の境界はどこにあるのだろうかと果てしなく自問します。とどまることを知らない思考! 神様はなにものも束縛しない。これがこの物語の全容です。
 妹も世の中の病名を全てノートに網羅するという課題にとりくみつつ、聖なる井戸のそばで世界の存在について語る父親を思い出しながら、彼氏の思惑、さらには牛飼いの男へと思いは飛翔しつづけていきます。若き妻は、横たわる夫の爪を切った次には、彼の娘になったような気がしたことを思い出し、それがヒゲを剃ったときの夫のグロテスクさの記憶に繋がり、さらに修道院に入ろうかしらと思った若き日々に飛び火し、大瀑布での夫との出会いへと回想はなだれ込んでいきます。十九歳、初めて飲んだジン!
 人物たちの思考はいちいち「誰それの」と断りもなくいつの間にか始められますから、読み手もうかうかしていられません。また物語の冒頭近くでは、ヘルメスの父親ゼウスは長男に成り代わって妻を喜ばせますし、ヘルメス当人も牛飼いの体に忍び込んで年増女をその気にさせたりしますから、登場人物たちだってうかうかしていられないのです。神様たちはただただ空からおとなしく見下ろしているわけではないんです。そうかと思うと《わたしが見張りを怠っている隙に、おそらく庭でなにかがあったにちがいない》と、肝心な場面を見逃したりするところは人間っぽくもあります。リストカットを繰り返す娘にはえこひいきしている感があるし、優しい眼差しはずっと最後まで続いています。「愛」を知らないからこそ強く憧れているのです、きっと。だから眼差しというより、もっと力の入った「目を凝らす」に近いんですけど。
 どこかのページを読んでいてふと、ロスコの絵画を思い出しました。あの大きなキャンバスに二つか三つの色が四角い雲のように塗られていて、その色が向かってくるのか奥に退いていくのか、大きくなるのか小さくなるのか、色と色は浸透しあうのか、ひょっとして明日になれば全然違う色になって溶けあっているのか……いつまでもいつまでも育っていく想像。今までちんぷんかんぷんな絵だったけれど急に親近感が湧きました。
 著者の前作『海に帰る日』では、妻を亡くした男が思い出す少年時代の記憶がとめどもなく全編を覆い、自分が自分から溢れ出す経験に胸を打たれたものですが、今回は誰もかれもが溢れかえって百花繚乱。「死」がすぐ近くにあるのに、むせかえるような「生」の質量が圧倒します。やはり「贈り物」という直感は当たっていたようです。
《なぜ鉄道線路はいつも台所のガスの臭いがするのだろう》大好きな一文です。   (いっせー・おがた 俳優)


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