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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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京響574回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響

──京都市交響楽団を聴く──(1)

      京響574回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥

演目  ■ショスタコーヴィチ:祝典序曲op.96(6分)
     ■ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番op.126(35分)
          チェロ:エンリコ・ディンド

     ■シューマン:交響曲第2番ハ長調op.61(36分)

であった。  
ディンドの演奏は素晴らしく、拍手が鳴りやまなかった。 アンコールとしてバッハの曲をディンドが弾いた。
このショスタコーヴィチの曲は難しいらしく、陽気な広上にとっても真剣な表情だった。
この第二番が演奏されるのは珍しいようだ。
プログラムには、その成立の詳しいいきさつも書かれている。
どちらかというと「現代音楽風」の作品で、メロディアスではないので、後に演奏されたシューマンの曲とは違いが際立った。
シューマンの曲に対するアンコールには「椿姫」から小曲が演奏された。

広上の指揮は初めて見たが、指揮の仕方は指揮法に忠実だった。
ぞんざいな指揮をする人が居るが、広上は、指の一本一本から指示が的確で、演奏するパートに顔の表情まで使って指示を出す。
小柄な体をしなやかに使って見事な指揮をする。
そんなところが、彼の人気をもたらす要因なのかと思った。

広上淳一

東京に生まれ、東京音大指揮科に学んだ広上淳一が「第1回キリル•コン
ドラシン国際青年指揮者コンクール」に優勝したのは1984年9月、 26歳の時
であった。その審査員の1人だったアシュケナージは広上を特に高く評価し、
翌年ピアニストとしてNHK交響楽団と協演した際には彼を指揮者に指名
(広上のN響初協演)したほどである。
1986年以降、広上の世界への快進撃が始まり、フランス国立管弦楽団やべ
ルリン放送交響楽団、コンセル卜へボウ管弦楽団、モントリオール交響楽団、
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ウィーン交響
楽団などメジャーなオーケストラへの客演が展開されていった。1991~95年
にはノールショビング交響楽団(スウェーデン)の、1998〜2000年にリンブ
ルク交響楽団(オランダ)の各首席指揮者を、1997〜2001年ロイヤル・リ
ヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者を歴任、このうち
ノールショピング響とは1994年に「来日」公演を実現している。この間、
1988年に日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でマーラーの《交響曲第
6番》を指揮し成功を収め、1991~2000年にはその正指揮者をつとめて、
1996年の欧州演奏旅行を指揮したほか、R・シュトラウスの《英雄の生涯》
やハイドンの交響曲など、多くの瑞々しく壮大な快演を残した。
近年では、ヴアンク一ヴァー響、ミラノ・ジュゼッぺ-ヴエルディ響、サ
ンクトペテルブルク・フィル、ボルティモア響、シンシナティ響、力ルガ
リー・フィル、スタヴアンゲル響、ライプツィヒ・ゲヴアントハウス管、
ポーランド放送響、、スロヴェニア・フィル、サン・バウ口響等へ客演。
2006~2008年米国コロンバス交響楽団の音楽監督を務め、ヨー・ヨー・マ、
ミドリをはじめ素晴らしいソリストたちとの数々の名演とともにDenon
レーベルにはチャイコフスキーの録音を残し、その実力を内外に知らしめた。
2007年夏にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本に招聘され、ハイド
ンとラフマニノフのプログラムを指揮、2008年5月には小澤征爾の代役で急
遽、水戸室内管弦楽団定期演奏会を指揮、モーツァルト、ベートーヴェンほ
かのプログラムで聴衆、批評家からともに絶賛された。
才ペラ指揮の分野でも1989、 1990年のシドニ一歌劇場におけるヴェルディ
の《仮面舞踏会》や《リゴレッ》が高く評価されたのをはじめ、最近では
新国立劇場《椿姫》、日生劇場《フィガ口の結婚》が記憶に新しい。
また、多忙な指揮活動と並行して、母校東京音楽大学教授としても後進の
育成に情熱を注いでいる。京都市立芸術大学客員教授。2013年1月「第32回
藤堂音楽賞」受賞。
2008年4 月から京都市交響楽団第12代常任指揮者、2014年4月からは第12
代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザ一に就任。

エンリコ・ディンゴ

エンリコ・ディンドは、6歳でチェロを始め、アントニオ・ヤニグロに師
事。1997年、パリのロストロポ一ヴィチ・コンクールで優勝、この偉大なる
マエストロはディンドについて「稀有の才能を持ったチェリストだ。イタリ
ア人の伸びやかな声のように流れる並外れた音を持つ、完全な芸術家であり
完成した音楽家だ」と絶賛、世界に知られることとなった。
以来、彼はソリストとしてのキャリアをスタートし、BBCフィル、口ッ
テルダム・フィル、フランス国立管、トウ一ルーズ・キヤピトル国立管、ス
カラ・フィル、RAI国立響、ローマ・サンタチェチーリア管、ライブツイ
ヒ•ゲヴァントハウス管、hrフランクフルト放送響、サンクトぺテルブル
ク・フィル,サン・バウ口響、NHK響、トロント響、ピッツバーグ響、シ
カゴ響など数々の名門オーケストラに招かれている。また、リッカルド・
シャイ一、アルド・チェッカート、ジャナンドレア・ノセダ、チョン・ミュ
ンフン、 ィヴァン・フィッシャー、ダニェレ・ガッティ、パーヴォ•ヤル
ヴィ・ ワレリー・ゲルギエフ、リッカルド・ムーティ、そしてムステイスラ
フ・ロストロボーヴイチ等、権威ある指揮者たちと共演。またーロンドン
(バ一ビカン)、パリ、ウイーン、エヴィアン、モンペリエ、サンティアゴ・
デ・コンポステーラ、ブタペストの春、ストレーザの音楽週間、サンクトぺ
テルブルクの白夜祭、ドブロヴニク、口ッケンハウスなどの音楽祭、コン
サ—トホールにたびたび招聘されている。これまでジュリオ-カスタニョ一
リ、 カルロ・ボッカドーロ、カルロ・ガランテ・ロベルト・モリネッリ等の
数々の作曲家がディンドに作品を献呈している。
エンリコ.ディンドは名門デッ力から2011年にバッハの無伴奏チェロ組曲、
2012年にヴィヴァルディの協奏曲をリリース。またシャンドスからは、デン
マーク国立響とジャナンドレア・ノセダとの共演で,ショスタコーヴィチの
チェロ協奏曲をリリースしている。

使用楽器は,プロ・力ナーレ財団貸与の1717年製ピエトロ •ジヤコモ・口
ジェーリ(ex-Piatti)。
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久しぶりに「京響」の演奏を聴く機会が続いている。
ご存じのように「京響」は、自治体の経営する管弦楽団としては初めて設立されたが、発足当初は楽団員も寄せ集めで、例えば、私の知っている人は消防音楽隊から移った。
その人の悪口をいうつもりはないが、やはり正式の音楽過程の教育を受けた人が最低限必要である。
楽団員も京都市の職員だった。
昔は京都市職という労働組合も強くて、経営は大変だったらしい。芸術性との両立というのも必要だからである。
その後、有名な指揮者の招聘などのこともあり、京都コンサートホールという音響効果の素晴らしい建物も出来、質と量の両面が充実してきた。
ただ聴衆動員という面では苦労がつづき、今では独立法人として独立採算の方式が採られるともに、特に、今の広上さんになってから、
聴衆とのコミュニケーションに努め、練習風景を見せるとか、演奏前に「会話」を入れるなどが成功し、2013年度の「友の会」は満員。
今回の演奏会の券は完売したという。
それにつれて楽団員にも素質のある人の応募があり、質的にも有名楽団として数えられる域に達したと言えよう。
今後、「京響」を聴く機会も増えると思うので「カテゴリ」に「京都市交響楽団を聴く」を設けることにした。
定期演奏会は昼間に開催されるので、田舎暮らしで、かつ老人の私には、こういう「マチネー」は有難い。

私の三女は、曲りなりにも音楽過程を専門に学んだので音楽家のはしくれだと思うが、もうずっと以前になるが、フォーレの「レクイエム」合唱つき、で
臨時に編成された合唱団に入って、京響と、このホールに出演して歌ったことがある。
このときは亡妻も元気なときで、私たちの娘たち一家そろって聴いたものである。
彼らと幕間に「ホワイエ」で呑んだワインの旨さが今でも思い浮かぶのである。
そんなことで、このコンサートホールと「京響」には多少の縁(えにし)があることを記しておきたい。

上に書いたように最近は「京響」も満席がつづき、聴衆が多いので、幕間になっても、ホワイエが満員でワインなども、碌に呑めない始末である。

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