
みちのくの町はいぶせき氷柱(つらら)かな・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨
もうすぐ「大寒」であり、一年中で一番寒い時期である。
京都も連日、日中の最高気温も4度、5度という冷たさで、冷蔵庫、冷凍庫の中にいるような日がつづく。
今日は、そんな寒さに因んで、「氷」「氷柱つらら」「氷湖」などについて書きたい。
掲出句については、少し解説が必要だろう。
青邨の句には「いぶせき」という、あまりなじみのない表現がある。
古語辞典を引くと「いぶせし」という「ク活用の形容詞」は
①気が晴れない。うっとうしい。②様子がわからず気がかりだ。気が休まらない。③不快である。の意味だと書かれている。
言葉の意味は、①②③のように挙げられているが、一番元の意味は①であり、番号が増える順に派生した用法ということになる。
この句の場合の「いぶせき」というのは、「いぶせし」の連体形ということだが、意味としては、②の「気が休まらない」辺りがぴったり来るだろうか。
われわれ暖地に住むものは、雪が何メートルも積もる映像を見ては、「こんなところに住んでみたい」などと簡単に言うが、
そんな豪雪地帯に毎日居住する人にとっては、雪との格闘の毎日であり、深刻な「気が休まらない」「鬱陶しい」ことなのである。
話は飛ぶが、台湾の人は亜熱帯であるから、平生に雪は知らないわけで、台湾からの観光客には北海道の冬は人気があるらしい。
というのは、先に私が書いたことと同じ心理状態ということになる。地元の悩みも知らずに、珍しいもの見たさ、ということである。
櫓の声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙・・・・・・・・松尾芭蕉
氷上や雲茜して暮れまどふ・・・・・・・・原石鼎
蝶墜ちて大音響の結氷期・・・・・・・・富沢赤黄男
これらの句は「凍てる」風物を単に写生するのではなく、鋭く「心象」に迫るものがある。
三番目の赤黄男の句は「前衛」俳句と呼ばれるものである。
以下、「つらら」を詠んだ句を引いて終る。
遠き家の氷柱落ちたる光かな・・・・・・・・高浜年尾
一塊の軒の雪より長つらら・・・・・・・・高野素十
楯をなす大き氷柱も飛騨山家・・・・・・・・鈴鹿野風呂
絶壁につららは淵の色をなす・・・・・・・・松本たかし
夕焼けてなほそだつなる氷柱かな・・・・・・・・中村汀女
月光のつらら折り持ち生き延びる・・・・・・・・西東三鬼
胃が痛むきりきり垂れて崖の氷柱・・・・・・・・秋元不死男
嫁ぐ日来て涙もろきは母氷柱・・・・・・・・・中尾寿美子
ロシア見ゆ洋酒につらら折り入れて・・・・・・・・平井さち子
みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ・・・・・・・・鷹羽狩行
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