
──エッセイ──
今どきの若者の短歌・「短歌年鑑26年版」を読んで・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
年末になって、一年を回顧するような企画が雑誌に載っている。
たとえば、掲出した角川書店「短歌」別冊の「短歌年鑑26年版」などである。
画像でも読み取れると思うが、今どきの若い歌人を囲む企画などである。
たとえば「永井祐」という人などが居る。永井祐は一九八一年生まれ。早稲田大学短歌会に参加した後、現在は無所属で歌を作り続けている。
他にも京都大学の理系で歌人賞を得たりする、すごく才能のある人が居たりするが、「アンケート」なども、そういう人たちを取材している。
これらの企画に共通することは、現代の歌壇の状況を反映しているのである。
歌壇は一般的に作者が「老齢化」してきており、一方で才能ある若い新人は、既成の枠にはまらない作歌法を採っているからである。
先に挙げた永井祐の作品を少し見てみよう。 こんな風である。
日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる
テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区
パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円
あと五十年は生きてくぼくのため赤で横断歩道をわたる
ゆるくスウィングしながら犬がこっちくる かみつかないでほしいと思う
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい
ゴミ袋から肉がはみ出ているけれどぼくの望みは駅に着くこと
新日曜美術館 美の巨人たち とりためたビデオを貸してくれる
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね
ふつうよりおいしかったしおしゃべりも上手くいったしコンクリを撮る
アスファルトの感じがよくて撮っている もう一度 つま先を入れてみる
ぼくの人生はおもしろい 18時半から1時間のお花見
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』より抄出
---------------------------------------------------------------------------
ネット上では時評「永井祐ロングインタビュー」田中拓也というPDF形式による記事なども見られるので参照されたい。
永井祐の歌は、題名からも分かるように、一見「無感動」のような日常の些末なことを歌にしている。
このような「歌作り」が若い歌人の一方に現に存在するということである。
何のために歌を作るのか、といったこととは無関係である。
これらを見ると、彼は一応サラリーマンだが、「契約社員」であり、私などから見ると、好きなことをやって生きている若者だが、短歌をやる必然性とかとは無縁であり、
今後いつまでも「短歌」の世界で表現を続けて行くのか、甚だギモンに思える。
先に挙げた「インタビュー」を読めば、彼の生き方も自ずと知れるので、私の意見は、敢えて、書かない。
一方、京大短歌会なんかに拠る秀才の歌人たちも、極めて優れた歌を作るが、これからも「歌を作り続けるか」はギモンである。
後者の人たちは「学者」としても十分に食って行ける才能を持っているので、「歌人」として自立してゆく道を選択するかが見ものである。
もちろん現役でバリバリやっている永田和宏や坂井修一のような学者兼歌人という人も居るが、私から見ると、この二人なども「学者」としては影が薄い。
つまり最先端の学者というわけではない。
肩書きは元・京都大学教授であったり、現・東京大学教授だったりするが、その筋の最先端の教授という枠からは外れる、と思うからである。
「二兎を追う者」は何とやら諺は、やはり生きている。
近代短歌史上の大人である斎藤茂吉なんかも歌人としては偉大だったが、医学者としては二流、三流だったというのと同じである。
| ホーム |