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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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菜の花や月は東に日は西に・・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村
040207nanohana01菜の花

     菜の花や月は東に日は西に・・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

日本は春夏秋冬の四季が、はっきり分かれていて、季節の推移が日本人の心に大きく投影している、と思う。
ここに採りあげた蕪村の句は、よく知られた句である。
菜の花の季節は、ちょうど今ころと言えるだろう。
日本列島は南北に長いから、九州では、もう過ぎたかも知れないし、北国では、まだ雪も深い。
ここに書く感覚は、あくまでも京都に住む私の感覚とお許し願いたい。

「菜の花や」と季語と切れ字を冒頭に置いて、見渡す限りの一面の菜の花の姿を読者に想像させる。
そして「月は東に日は西に」である。
ちょうど夕暮れどきで、西に落ち行く日と、東に上る月が、同時に見られる、という場面設定である。
こういうのは、いつも見られるわけではない。
調べてみたわけではないが、興味のある方は、日没と月の出の時刻を調べて頂くと有難い。おそらく、この季節の中で二、三日もあれば、よい方であろう。


現代の我々は、物質文明に毒されて、自然を、ゆっくり見つめるということがない。
田舎に住む私としても、微妙な季節の移り変わりを、自然の風物や風のそよぎに身を任せて感じるという機会が少ない。
どうしても、頭の中で何事も処理し勝ちである。
この句を読むと、春の夕暮れの、のんどりとした田舎の景を目の辺りに、するようではないか。

蕪村は摂津国東成郡毛馬村(現・大阪市)の生れだが、毛馬の閘門と言われる堰のある辺りの生れである。
絵にも才能を持っていて、いわゆる俳画の面でも優れた作品を残している。
故郷の毛馬の辺りを詠った「春風馬堤曲」という連作もあるが、この題名自体が、そのことを、よく物語っている。
蕪村とて裕福な生活をしていたわけではなく、常に「旦那」という「贔屓筋」が必要だった。
私の住むところから数キロ行った宇治田原にも、商家の旦那衆がいたらしく、蕪村筆の作品があるらしい。
蕪村の年譜を覗いてみると、1783年(天明3年)8月風雨のなかを「太祇十三回忌追善俳諧」に出席し、晩秋、宇治奥田原の門人毛条に招かれてキノコ狩りにゆき、初冬から病に倒れた。

 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり・・・・・・・・・・・与謝蕪村

が最後の句と言われている。

池西言水という俳人に、

<菜の花や淀も桂も忘れ水>

という句があるが、「淀」というのは宇治川沿いの京都の南はずれ。現在、京都競馬場のあるところ。
「桂」というのは、どなたもご存知だろう。
京都の西郊外を流れて来た桂川と木津川と宇治川が三川合流して淀川となるが、その合流寸前の地が淀である。
豊臣秀吉の側室「淀君」の居城・淀城があったところである。

 菜の花の黄のひろごるにまかせけり・・・・・・・・・・・久保田万太郎

という句も、菜の花の咲く田園の様子を、よく観察して佳い句になっている。
私は久保田万太郎の句が好きである。
京都、滋賀の名産に「菜の花漬」というのがあり、菜の花を蕾のうちに摘み取り、浅い塩漬けにしたもの。
黄色の花の色と緑の葉や茎の配色が鮮やかで、見た目にも食欲をそそる。
季語では5音になるので「花菜漬」と詠まれることが多い。

 人の世をやさしと思ふ花菜漬・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

という句もある。この漬物など、日本人の細やかな感性の賜物であろう。


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