
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女
もう二月も終わりに近づいてきたので「二月」「如月」「余寒」「冴え返る」などの季語に因む記事を急いで書くことにする。
二月とか如月とかを映像で示すのは、どうしてよいか判らない。
そこで写真には「冬の渚─砂浜に残る人の足跡」を掲出することにした。
掲出した三橋鷹女の句は、季語として二月という言葉はあるけれども、極めて観念的な句で、そこがまた、類句を超えていると思って出してみた。
「詩に痩せて」というところなど、今の私のことを言っているのではないか、とドキリとした。
うすじろくのべたる小田の二月雪・・・・・・・・松村蒼石
竹林の月の奥より二月来る・・・・・・・・飯田龍太
雪原の靄に日が溶け二月尽・・・・・・・・相馬遷子
枯れ伏せるもののひかりの二月かな・・・・・・・・遠藤悠紀
山彦にも毀れるひかり二月の樹・・・・・・・・速水直子
二月果つ虚空に鳩の銀の渦・・・・・・・・塚原岬
「二月」という季語を使った句を挙げてみた。
「如月」というのは陰暦の二月のことであるから、陽暦では二月末から三月に入るだろう。
「衣更着」の字を宛てるのは、寒さが戻って衣を更に着るからで、「きぬさらぎ」を誤って「きさらぎ」と使ったのだという。
したがって、この言葉は「余寒」のあることを念頭に置いて使うべきだという。
きさらぎのふりつむ雪をまのあたり・・・・・・・・久保田万太郎
如月や十字の墓も倶会一処(くゑいつしよ)・・・・・・・・川端茅舎
きさらぎの水のほとりを時流れ・・・・・・・・・野見山朱鳥
きさらぎやうしほのごとき街の音・・・・・・・・青木建
きさらぎは薄闇を去る眼のごとし・・・・・・・・飯田龍太
二十四節気あるいは季語の上では「立春」以後は「春」である。
だから、立春以後、まだ残る寒さを「余寒」という。「冴え返る」という季語も、そういう時に使う。
「春寒」という季語と違うのは、力点が残る寒さの方にあるのである。
鎌倉を驚かしたる余寒あり・・・・・・・・高浜虚子
鯉こくや夜はまだ寒千曲川・・・・・・・・森澄雄
余寒晴卵を割つて濁りなし・・・・・・・・青柳菁々
二月の終わりを「二月尽」という。この「尽」というのは毎月の終わりの日に使える。
もうすぐ三月だという季節感が盛られている季語である。
ちらちらと空を梅ちり二月尽・・・・・・・・原石鼎
束の間のかげろふ立てば二月尽・・・・・・・・森澄雄
風邪の眼に雪嶺ゆらぐ二月尽・・・・・・・・相馬遷子
よべの雨に家々ぬれて二月尽・・・・・・・・内田百閒
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