
──高階杞一の詩──(6)
高階杞一詩集『千鶴さんの脚』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・澪標2014/03/31刊・・・・・・・・
この詩集は、季刊詩誌「びーぐる」創刊号(2008年10月)~21号(2013年10月)に、四元康祐さんの写真に「詩」を付けるという趣向で始まった。
因みに、この「びーぐる」誌は四人の同人・山田兼士、細見和之、四元康祐、高階杞一を編集同人として発足したものであり、今日では全国的な詩誌として不動の地位を固めるに至ったのである。
前にも採り上げたことがあるが、四元康祐さんはドイツに在住であり、余り頻繁には日本に来られない中でのコラボであった。
私は「びーぐる」誌は定期購読しているので、毎号読んでいるが、その苦労について、高階さんが後記で、こう書いている。
< 毎回、氏から写真が提示されることになりました。これによって適度の緊張関係が生まれたように思えます。
・・・・・こちらに送られてくる写真がいつも一枚の挑戦状のように思えました。
こんな写真で詩が書けるかい? とそれは挑発しているようでした。・・・・・
このような共同作業であったからこそ、普段とは違う作品が生み出されたように思えます。・・・・・
自分では自分の詩の世界を少し広げることができたのではないかと思っています。 >
四元さんの写真は、極めて「構成的」で「前衛的」だから、それを元に詩を付けるのは大変だったろうと思われる。
しかし、高階さんは見事に、毎回、「フォト・ポエム」に仕上げられた。
その中から、この詩集の題名になった詩を先ず引いてみる。
千鶴さんの脚 高階杞一
千鶴さんと歩いてゐます
砂漠の中を
二人並んで歩いてゐます
千鶴さんは和服です
涼しげな藤色の小紋がよく似合つてゐます
きれいな人だからなほさら
と思ひながら
僕は歩いてゐます
あれからどうなさつてゐらしたの
とふいに
千鶴さんが尋ねてきます
あわてゝ目を逸らし
はあ まあ なんとか
と答へます
さう
と千鶴さんはわらひます
僕は千鶴さんのことはよく知りません
あれからとは
どれからのことなんだらう
脚が
ぼんやり浮かんできます
千鶴さんの脚が
目の前にあつたやうな気がします
暑い
とそのとき確か
消えさうな声で千鶴さんは言つたやうな・・・・・・
無花果の実のことも覚えてゐます
ふたつに裂かれ
テーブルの白いお皿の上にのつてゐました
僕はあれを食べたのでせうか
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お見事なものである。
和服からの連想ということだろうか。かなづかいが旧カナで書かれていて一種の古めかしい雰囲気を出している。
おしまいのところで「無花果の実」が出てくるが、これは西洋の神話でアダムとイヴが蛇にそそのかされて、禁断の実を食べる故事に拠っているが面白い。
<千鶴さんの脚が/目の前にあつたやうな気がします>とあって、淡くエロティックである。
詩は「比喩」がすべてだから <僕はあれを食べたのでせうか> というところなど、さりげなく、後につづく情事を連想させて秀逸である。
もう、一つ二つ引いてみよう。
果実 高階杞一
女ばかりの星に着く
一年の半分が雨で
もう半分が夜
喰っても喰っても
なくならない果実
女たちはみな
いい香りがして
ことがすむと
大きな果樹の根もとへ行って
産卵する
そしてまた
女がふえる
わたしは永遠に死なないという
次の男がまた
あやまって
ここへ
不時着するまでは
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朝の食事 高階杞一
生まれたときから死への旅が始まる
それは如何なる刑罰だろう
──ペーター・ベルンハルト 詩人
1865年2月4日没
黄色い蝶が
石から離れ
木洩れ日の中を飛んでいく
ロベルト・ボルフ 貿易商 1902年5月16日没
ヨハン・クリスチャン・ヘルダー 司祭 1732年7月20日没
フランツ・アルトナー 陸軍中尉 1943年1月23日没
ひとつひとつの石に
挨拶しながら蝶は
また供えられたばかりの花に止まる
すぐ前の乳母車では
赤児がミルクを飲んでいる
蝶は蜜を吸い
羽を広げ
また飛び立っていく
いくつもの石の間を縫って
やがて
大きな石の影へと消える
ジークムント・ヨーゼフ・フリードリッヒ・フォン・シュタイン 男爵
1652年10月 落馬により没
碑文には水垢がこびりつき
ところどころ消えかかっている
オイシイ?
赤児は飲むのをやめて
目の前の
石を見つめる
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初めは詩人の箴言を冒頭に据えながら、あとは、どこからか見つけてきた西洋の死人の名前と忌日を、うまく散りばめて一篇の詩に仕立てた。
題名を「朝の食事」と付けたところが、なんとも憎い。
ヨーロッパへ行くと、墓地に立ち寄ると面白い。ラテン圏の──つまりカトリックの墓地は派手で、墓碑銘などを見て歩くのも趣がある。
墓地で、と顰蹙を買うかもしれないが、高階さんだったら、そんな散歩をするのではないか、などと空想する。
このフォト・ポエムの写真が、モノクロ一色なのも、いい。
フォト・ポエムなので「詩」に対応する「写真」を取り込みたいと思ったが、写真は、みな見開き2ページにまたがっていて取り込みにくいので省略するがお許しを。
佳いフォト・ポエムを見せていただいて有難く、ここに紹介して、御礼申し上げる次第である。
写真を撮った四元康祐については ← ここを参照されたい。
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