
後夜に仏法僧の鳥を聞く・・・・・・・・・・・・空海
閑林に独り座す草堂の暁
三宝の声一鳥に聞こゆ
一鳥声有り 人心有り
声心雲水倶に了了
この詩は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)の詩文集『性霊集』巻十の漢詩・七言絶句「後夜に仏法僧の鳥を聞く」である。
(原文は漢字ばかりの詩、訓み下しにして漢字かなまじりにした)
「後夜(ごや)」つまり未明=夜半から朝にかけて、の勤行中ブッポウソウと鳴く鳥声を聞いたのである。
ブッポウソウは仏と法と僧、いわゆる「三宝」を言う。
ブッポウソウと鳴く仏法僧という鳥がいると考えられていたが、姿を見た人がなく、長く、そう信じられて来た。
しかし近代になってブッポウソウと鳴くのは、実はコノハズクというフクロウ科の鳥であることが判った。
しかし、その鳴き声に三宝(仏・法・僧)を聞き取って尊ばれた。
空海が独り座して夜を徹して勤行する山中の夜明け、仏法僧の声に心は澄みわたる。
鳥声と人心、雲と水(大自然)は一体となり、一点の曇りもなく(了了)心眼に映る、と。
「倶」は「共に」の意味である。
空海は中国から「密教」を日本に伝え、天台宗の開祖・最澄とともに、南都仏教の政治介入を排したくて平安京を開いた桓武天皇を宗教の面から強力に支えた思想家・宗教者であった。
彼が書き残した文章も、いずれも特異なものに満ちている。
たとえば
三界の狂人は狂せることを知らず。
四世の盲者は盲なることを識らず。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに冥し。────空海
この詩について詩人の富岡和秀氏は、次のように解説している。
<この詩は、コスモロジーへの契機となる消滅の途方もない暗さを暗示しているように聞こえる。
自らを含めて、あらゆる存在が消滅に向かっているとするならば、空恐ろしさも、また無限に近いと言えるだろう>
後の空海の漢詩は、極めて哲学的で、かつ宗教的であって難しいが、じっくりと熟読、玩味するならば、われわれに多くの示唆を与えてくれていると思うのである。
面白おかしく、この世を生きるばかりが人生ではない。時に、人生に頭を打ち、ふかく自他を見つめ直すことも必要である。
なぜなら、生あるものは必ず滅ぶことを知るのが、人というものであるからだ。
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俳句では「仏法僧」「三宝鳥」「木葉木莵」などで詠まれている。ブッポウソウと鳴くのはコノハズクだと判ったのは、昭和10年のことだと言われている。
愛知県の鳳来寺山でのNHKの録音がきっかけだという。三宝鳥の鳴き声は、ギャー、ゲアであるという。写真はコノハズク。
杉くらし仏法僧を目のあたり・・・・・・・・・・杉田久女
仏法僧鳴くべき月の明るさよ・・・・・・・・・・中川宋淵
仏法僧こだまかへして杉聳てり・・・・・・・・・・大野林火
木葉木莵月かげ山をふかくせる・・・・・・・・・・山谷春潮
仏法僧青雲杉に湧き湧ける・・・・・・・・・・水原秋桜子
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