
↑ サンチアゴ遍路の標識
順礼は心がすべて 歩きつつ
自(し)が何者か見出さむため・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

↑ 遍路道標識
この歌の一連は、以下のようなものである。
順 礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
──PILGRIM TEMPUS VERNUM──
春くれば辿り来し道 順礼の朝(あした)の色に明けてゆく道
銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程
順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る
わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
雨のなき一日(ひとひ)を恋ふる心根に春は音なく来る気配する
日と月と星と大地と火と水と時だげが知る「道」はいづこへ
サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
北、南、東に西に順礼が帰りゆく道 交はる道と道
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↑ サンチァゴ帆立貝の巡礼者
この歌をつくるきっかけの旅は2008/05/10~05/22に行ったものだが、詳しくは こちらの紀行文を読んでもらいたい。
この旅ならびに、この歌に込めた私の「想い」なども、この紀行文には詳しく書いてあるので、ぜひご覧いただきたい。
私は妻が死んだ後に「四国八十八か所」遍路も経験したが、「なぜ人は洋の東西を問わず遍路の旅を歩くのだろうか」という問いがなされる。
それは前にも書いたことがあるが、要は、掲出した私の歌のように「自分が何者かを一度みつめるための旅」と言っていいかと思う。
その「きっかけ」は何でもいいのである。 私の場合は直接的には、妻の死であったが、同行した後の二人の人の思いが、どうであったか、は詳しくは聞いていない。
私の場合は、この紀行文のはじめのところにも書いておいたが、亡・親友のフランス文学者・田辺保から「遍路道」の本を貰ったりして予備知識があった。
なお、私の歌の一連の「副題」として掲げた<PILGRIM TEMPUS VERNUM>というラテン語の意味だが、「春の季節の巡礼」とでも訳せるところである。
写真の説明をしておくと、三番目のリュックにつけられた「ホタテ貝」は、サンチアゴ巡礼者が身につける「標識」なのである。
かの地では、これを付けている人は巡礼者として敬意を持って遇されるということである。
四国遍路が「杖」と「白衣」を纏うのと同じ扱いである。
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