
咲き急ぐことなどはなし睡蓮の
葉あひにひとつ莟(つぼみ)のまろき・・・・・・・・・・・・・・・女屋かづ子
この歌は睡蓮を詠っている。今さかりの時期を迎えている花である。
この作者については何も判らない。『角川現代短歌集成』③巻 から引いた。
掲出した写真の一番目、二番目のものは、いずれも「睡蓮」であり、素朴な可憐な蓮である。フランス人画家・モネの絵も、この蓮である。

蓮には多くの種類があり、花を観賞するだけでなく、食用の「蓮根」として地下茎の部分を極端に太らせる品種改良したものなど、さまざまである。
鑑賞用の蓮にも古代の蓮「大賀蓮」のように古代の古墳から出た蓮の種から発芽させたものなど色々ある。
私の住む辺りは昔から地下水が豊富に「自噴」する地域として、その水を利用した「花卉」(かき)栽培が盛んで、海芋(かいう)──カラーや、花菖蒲などが栽培されるが、これからのお盆のシーズンの花として「花蓮」が水田で栽培され、夏の強い日差しの中にピンクの鮮やかな花を咲かせる。


もちろん商品として出荷するものは「つぼみ」のうちに切り取り、葉っぱも添えて花市場に出荷される。摘採は太陽のあがる前の早朝の作業である。
月遅れ盆の8月上旬が出荷のピークであり、この時期には臨時に多くの人を雇って、早朝から作業する。
私の歌にも睡蓮、蓮を詠んだものがあるので下記に引いておく。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。
唐招提寺の一連の歌は「夢寐むび」と題して詠んでいる。
「夢寐」は、漢和辞典にも載るれっきとした熟語で「寐」=「寝」の字に同じである。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
夢寐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ
くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池
結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり
<蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
*丸山海道
くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ
睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる
西湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
<睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
*堀古蝶
睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ
睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面
声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり
てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく
湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ
手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ
戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。
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