
花火果て闇の豪奢や人の上・・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋睦郎
夏の風物詩と言えば、何といっても「花火」だろう。花火は何となく「はかない」。それは華やかにパッと咲いては消えてゆくからである。
この句は、挙がる花火そのものを詠むのではなく、花火の終った後を詠んで「闇の豪奢」と言っている。味わい深い。
高橋睦郎については、リンクにしたWikipediaの記事に詳しい。
花火という季語は元来は秋のものであったというが、やはり夏がふさわしく、今では夏の季語として定着している。
花火大会というと昔から東京の隅田川の両国の花火大会が有名でカギヤ、タマヤという花火師がいたらしく、花火が揚がるたびにタマヤ、カギヤの掛け声がかかったという。

関西では、PL花火大会、琵琶湖花火大会、7月25日の天神祭の後、8月はじめに大川で挙行される花火大会などが有名である。
花火は火薬を使用するので花火師に危険は、つきものである。
今ではテレビなどの映像で知るだけでも、みんな会社組織になっている。国際的に活躍している人たちも多い。
日本の花火は一つ一つが芸術的に出来ているが、外国のものは数にまかせて一度にたくさん打上るものが多い。
日本の二尺玉、三尺玉などの単発の芸術作品もいいが、外国の数で押す手法と混合するのも、よいのではないか。

ここに掲げた写真は、いずれもWeb上から拝借したものだが、これだけ鮮明に花火を撮るのは難しい。これらの写真は、よく撮れている。

四番目の写真には「尺玉打上筒」の説明がある。私は初めてお目にかかるもので、その大きさに改めてびっくりする。
今では打上げはコンピュータ制御で操作するらしいが、その制御に至る準備が大変だろう。
昔は打上げの際の爆発事故で目や手足を損傷した花火師もいた。今でも花火工場の爆発事故などもある。
打上げの際の華やかさに比べて、花火の製造や準備は地味なもので、ご苦労が偲ばれる。
であるから、花火を見る際には、それらのご苦労に対して、一瞬でも心を致したい。
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以下、花火を詠んだ句を古今を通じて引いてみたい。
小屋涼し花火の筒の割るる音・・・・・・・・・・・・宝井其角
物焚いて花火に遠きかかり舟・・・・・・・・・・・・与謝蕪村
宵々の花火になれて音をのみ・・・・・・・・・・・・高浜虚子
空に月のこして花火了りけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
子がねむる重さ花火の夜がつづく・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
ねむりても旅の花火の胸にひらく・・・・・・・・・・・・大野林火
花火あがるどこか何かに応へゐて・・・・・・・・・・・・細見綾子
半生のわがこと了へぬ遠花火・・・・・・・・・・・・三橋鷹女
童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・及川貞
黒き蔵王全し花火一瞬に・・・・・・・・・・・・杉本寛
犬の舌したたかに濡れ揚花火・・・・・・・・・・・・荒谷利夫
死にし人別れし人や遠花火・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女
陣痛の牛ゐて花火音ばかり・・・・・・・・・・・・今井聖
花火の夜兄へもすこし粧へり・・・・・・・・・・・・正木ゆう子
大空のうつろに割れし花火かな・・・・・・・・・・・・前田野生子
大花火沖の暗さを見せにけり・・・・・・・・・・・・平松荻雨
海峡に色をこぼして揚花火・・・・・・・・・・・・岩崎慶子
とめどなく空剥がれ落つ大花火・・・・・・・・・・・・田山康子
亡き妻に花火を見せる窓あけて・・・・・・・・・・・・野本思愁
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六番目の大野林火の句だが、私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)の中で、「辞世」①というコラージュ風の作品として
「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ・・・・・・・・木村草弥
*大野林火
という歌を作ったことがある。こういうコラージュの手法は絵画の世界では市民権を得ているが、歌の世界では、なかなか理解を得られず苦労した。
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