おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ
妻の夕化粧いまだ終らず・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「オシロイバナ」は熱帯アメリカ原産で、元禄の頃日本に入ってきたという。
この花は英語では four-o'clock と呼ばれるようで、これは夕方の午後4時ころに咲き出し、朝まで咲くからだという。
色は赤、白、黄、斑とさまざまなものがあるようだ。
種の中に、白粉質の胚乳があるので「オシロイバナ」というらしい。
この草は今では野生化して、路傍のあちこちに群れ咲いている、ありふれた花である。
後で、いろいろの色をお見せする。
この歌は、まだ妻が元気であった頃の歌である。
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、妻も念入りにお化粧をする気分的なゆとりがあったのである。
私の歌集には「妻」を詠ったものが多い、と、よく言われる。そう言われて子細に見てみると、なるほどたくさんある。
妻のことは一切詠わないという男性歌人も多いから(逆に夫のことを、滅多に詠わない女性歌人も)私はむしろ妻を詠むことが多いのかも知れない。
私は恐妻家でもないし、特別に愛妻家でもないと思うが、他人から見ると愛妻家に見えるのだろうか。
私の作歌信条は、先に書いたと思うが宮柊二が「コスモス」創刊の際に高らかに謳いあげた「歌によって生の証明をしたい」というのであり、
従って私のことであれ、妻のことであれ、その時々の出来事を歌にして残したい、ということに尽きる。
だから、今の時点を大切にしたいと考えている。
私も他人様から歌集の贈呈を受けることが多いが、もう何冊も歌集を出している人で、出版時点での掲載される歌が10年とか15年とか前の時点で締め切られているのがある。
なるほど、それは一つの考え方であって、年数を経ても歌が生きている、というか、年月を越えての普遍性を持っている場合、を執着したものらしい。
しかし今どき変化の激しい時代に、そんな時代性を超越したような歌など、存在し得るのであろうか。
つい最近も或る中堅級の才能ある歌人から歌集をもらって、この人も某有名企業を退職してもう10年になるが、
今回の歌集の収録年は、まだ在職中、が最終ということで私は苦言を呈しておいた。
今の某氏を知る人は、もう10数年も前のことを詠んだ歌群を前に、どのような反応を示せばよいというのか。
昔のトップ歌人と言われる人には、たしかに、そういう歌集編集の好みがあったが、現代の歌人はトップと言えども、
現時点を詠って、すぐに出版にこぎつけている。それが本当ではないのか。
以下、オシロイバナを詠んだ句を少し引いて終りにする。
おしろいの花の紅白はねちがひ・・・・・・・・富安風生
おしろいが咲いて子供が育つ露路・・・・・・・・菖蒲あや
おしろいは父帰る刻咲き揃ふ・・・・・・・・菅野春虹
白粉花吾子は淋しい子かも知れず・・・・・・・・波多野爽波
白粉草の花の夕闇躓けり・・・・・・・・渡辺桂子
わが法衣おしろい花に触れにけり・・・・・・・・武田無涯子
白粉花やあづかりし子に夜が来る・・・・・・・・堀内春子
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