
春浅き耳洗ふとき音聴こゆ・・・・・・・・・・・・・・・林 桂
「春浅き耳」を「洗う」という言葉の捉え方が何とも独特で、快い。
私の歌に
さらさらとまたさらさらと崩れゆく砂の粒粒春をふふめり・・・・・・・・・・木村草弥
というのがある。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「風二月」という言葉があるように、二月も半ばを越すと季節は確実に春に向かって進んでゆく。
二十四節気に「雨水」というのがあり、先日二月十九日がそうだった。
「雨水」とは、これからは一雨ごとに春に向かってゆくという意味の節気である。
私は子供の頃から内向的な性格で、砂や虫をじっと見ているというようなことが多かった。
もっと季節が進んで暖かくなると、家の縁側の下の砂地に、すり鉢形の「蟻地獄」があったりした。
これは「ウスバカゲロウ」の幼虫が、このすり鉢形の砂の斜面に蟻などの虫が差し掛かると、下から砂をさらさらと掻いて、すり鉢の底に引きずり込んでパクリと頂戴するという仕掛けである。
そんなのを、何するというのでもなく、また昆虫少年というのでもなく、ただ、じっと見つめていたものである。
ただ、今の季節では、そういう光景には早く、さらさらと崩れてゆく砂の粒粒に春の足音を私は、見たのであった。
「ふふむ」というのは「含む」の動詞の古い形である。
この歌のつづきに
如月に幽(かす)かに水を欲るらむか祖(おや)ねむる地に雪うすらつむ・・・・・・・・・木村草弥
という歌が載っているが、この歌のように二月には雪の降る日もあるが相対的に雨は少ない時期であり、
先祖の眠る墓地に、うっすらと雪が積もる様が、祖先が水を欲しがっているかのようである、という歌である。
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掲出した写真は鳥取砂丘の砂浜のもの。かすかに「風紋」が見える。
寒さの中にも「春」が動いている様子を表す句を引いてみたい。
春立ちてまだ九日の野山かな・・・・・・・・・・松尾芭蕉
われら一夜大いに飲めば寒明けぬ・・・・・・・・・・石田波郷
ブローニュに怒涛のごとく春来たる・・・・・・・・・・本井英
渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・高島征夫
立春の樹幹の水を聴きにゆく・・・・・・・・・・山本千舟
立春へ笛吹きケトルのファンファーレ・・・・・・・・・・北川逸子
白き皿に絵の具を溶けば春浅し・・・・・・・・・・夏目漱石
空も星もさみどり月夜春めきぬ・・・・・・・・・・渡辺水巴
春めくと百済観音すくと立ち・・・・・・・・・・和田悟朗
バラ窓の真中に聖母春きざす・・・・・・・・・・福谷俊子
春めくや波は光を巻きこみて・・・・・・・・・・飯尾婦美代
兵馬俑軍団無言春寒し・・・・・・・・・・磯直道
蓋開けて電池直列春寒し・・・・・・・・・・奥坂まや
春めくや足の裏なる歩き神・・・・・・・・・・泉紫像
うりずんのたてがみ青くあおく梳く・・・・・・・・・・岸本マチ子
うりずん南風がじゆまる太き根を垂るる・・・・・・・・・・三原清暁
美しき奈良の菓子より春兆す・・・・・・・・・・殿村莵絲子
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