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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「京響」第590回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響①
京響②
京響③
京響④

──京都市交響楽団を聴く──(2)

       「京響」第590回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・・・2015/05/10 京都コンサートホール・・・・・・・

京響も最近は楽団員も技術が良くなって、しかも常任指揮者・アドヴァイザーの広上淳一などの努力もあって、満席札止めの好況がつづき、なかなか良い席が取れない。
座席は「友の会」優先で発売されるので、固定客が良い席から取ってゆくので困っていた。
2015年度から日曜日開演の枠が広がって、「日曜日マチネー」の一階前列の席が、年間を通じて確保できた。
私の席はS席で、「一階7列22番」というところ。通路側なので、人にお尻を向けて出入りすることもない。
齢をとると、夜間にわざわざ京都の北まで出向いて、というのが億劫で、夏はいいが、冬になって寒くなり、しかも終わってから帰宅するのが遅くなって困っていた。
今年から「マチネー」が取れたので幸運だった。

プログラムなどは図版で読み取っていただけると思うが、
今回の演奏は前半が、いかにもクラシックというベートーヴェンのもので、後半が、がらり変わって「現代音楽」の、けたたましい、荒々しい、という対極の構成だった。
この両者を貫くのが「チェロ」の役割で、前者の演奏では、ミッシャ・マイスキーが演奏した。
おまけにソリストとして、ピアノを娘のリリー・マイスキーが、ヴァイオリンを弟のサーシャ・マイスキーが演奏した。
この親子三人で三重奏団を組んで演奏旅行をしているらしい。
人物紹介によると、ミッシャはラトヴィア生まれということで、運命にもてあそばれたバルト三国の中でも最貧国の国だから、さぞ苦労をしたことだろう。
経歴などは図版で見られるだろう。
以下、配布されたパンフレットから引いておく。  ↓
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Program Notes 柴辻純子(音楽学)

   *ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲ハ長調op.56

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770~1827)の《ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲》は、交響曲第3番「英雄」(1803年)、ピアノ協奏曲第3番(1796~1803年)、ピアノ・ソナタ第21番「ヴァルトシユタイン」(1803~04年)はじめ、彼の創作において重要な作品が集中する時期に作曲された。
同時期の他の作品に比べて地味な存在であるが、すでに「エロイカ•スケッチ帳」にこの協奏曲のスケッチが登場することから、《英雄交響曲》とほぽ同じ頃から構想が練られたと考えられ、1804年末もしくは翌年に完成した。
ベートーヴェンは曲を完成させる前から楽譜出版の交渉や初演に向けた準備を行っていたが、どちらもなかなか思うように進まず、初演は、1808年のウイーンのアウガルテン•コンサートまで待たなければならなかった。
作品は、ベートーヴェンのパトロンのひとり、フランツ・ヨ一ゼフ・フォン・ロブコヴイッツ侯爵に献呈された。
3つの独奏楽器をもつ三重協奏曲が、一体どのような経緯で作曲されるに至ったのかは明らかではない。
18世紀後半には、複数の独奏楽器をもつ曲が「サンフォニー・コンセルタンテ(協奏交響曲)」の名称でパリを中心に流行していたが、この作品のようにピアノが、独奏楽器として入るのは珍しく、ひと昔前のパリの流行を意識したわけでも、名人芸を誇るソリストが身近にいて、その演奏のために書かれたわけでもない。完成はしなかったけれども同じ編成による「二長調」の協奏曲のスケッチも残されており、この編成にベートーヴェンがこだわりをもっていたことはうかがえる。
ベートーヴェンの伝記作者アントン・シンドラーによれば、ピアノはベートーヴェンの重要なパトロンであり、作曲の生徒でもあったルドルフ大公、ヴァイオリンはカール・アウグスト・ザイドラー、チェロはエステルハ一ジ侯爵やロブコヴィッツ侯爵の楽団に在籍した著名なアントン・クラフトのために書かれたとされる。
しかし今日の研究ではルドルフ大公のためという説は否定され、ベートーヴェン自身が演奏するためと推察する研究者もいる。
いずれにしてもベートーヴェンの協奏曲の中では異色の作品で、3つの独奏楽器は、オーケストラと協奏するだけでなく、
独奏楽器相互の関係が密接で、オーケストラ伴奏付きのピアノ三重奏曲のような性格をもっている。他のふたつの独奏パー卜に比べて、チェ口のパートが難しく書かれ、各楽章とも独奏楽器は、チェロから登場するのも特徴である。
まさに本日演奏するマイスキー•フアミリーにぴったりの曲目で、父ミッシャのチェ口の華麗な技巧と彼の主導で進められる三重奏は楽しみである。

第1楽章(アレグロ、ハ長調、4/4拍子)ソナタ形式。チェ口とコントラバスで静かに始まる付点が弾むのびやかな第1主題、明朗なト長調の第2主題はヴァィオリンで歌われる。しばらくすると独奏楽器がチェロ、ヴァイオリン、ピアノの順番で現れ、3つの楽器が華やかに活躍しながら展開する。

第2楽章(ラルゴ、変イ長調、3/8拍子)わずか53小節の緩徐楽章。弦楽合奏が弱音で開始されると独奏チェ口が叙情的な美しい主題を奏でる。やがて独奏ピアノの分散和音にのって、木管楽器の柔らかな音色とともに、2つの独奏楽器がたっぶりと表情豊かに歌い、対話を繰り返す。

第3楽章(ロンド•アラ・ポラッカ、ハ長調、3/4拍子)口ンド形式。「ボラッ力」とはポロネーズのことである。第2楽章の独奏チェロが、トレモロからそのまま続いて、ロンド主題を提示する。この生き生きとした主題が独奏ヴァイオリンに受け渡されると、すぐに独奏ピアノも加わる。3つの独奏楽器の掛け合いが絶妙で、音楽は大きく盛り上がる。

1808年の初演後、この作品はなかなか再演の機会に恵まれなかったが、終楽章だけはすぐにピアノ連弾用に編曲された。その後も様々な作曲家によって多くの編曲版が作られ、専ら室内楽作品として親しまれた。このようなかたちで作品の人気が高まるのも、ベートーヴェンの他の協奏曲とは違うところである。

  *コリリアーノ :交響曲第1番

往年のニューヨーク•フィルの名コンサートマスターを父にもつジョン・'コリリアーノは、1938年生まれのアメリカの作曲家である。コロンビア大学とマンハッタン音楽院で作曲を学び、音楽番組の制作やポピュラー音楽の分野で活躍しながら、舞合のための音楽や《「ハーメルンの笛吹き」幻想曲(フルート協奏曲)》(1982)や《クラリネット協奏曲》(1977)などの作品を書いてきた。さらに90年代に入ってから、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のためのオペラ《ヴェルサイユの幽霊》(1991)や映画「レツド・ヴァイオリン」 (1999)の音楽でアカデミー賞音楽賞受賞などで、彼の名前は世界的に知られるようになった。
交響曲は、現在まで3曲完成している。第1番(1990)はオーケストラ、第2番は弦楽合奏(2000)、第3番(2004)は吹奏楽のための作品で、《交響曲第1番》は、シカゴ交響楽団創立100周年の記念作品として委嘱され、1990年3月にダニエル・バレンボイムの指揮で初演された。日本では1993年に岩城宏之指揮、日本フィルによって初演され、2006年には本日の指撢者、下野竜也の指揮で読売日響が演奏している。
この交響曲は初演当初からアメリカで広く注目を集めたが、それは当時まだ原因不明とされた死の病に対する恐怖心や感染者に対しての社会的な偏見から大きな社会間題になっていたエイズ(後天性免疫不全症候群)を作曲の直接の動機としていたからであろう。コリリアーノは、この問題に向かい合うなかで、エイズの犠牲者の衣類をメモリアル•キルトとして繋ぎ合わせていく活動を知り、その発想を音楽で試してみることにした。「失った友人を音楽の中に記憶としてとどめるために、最初の3つの楽章にそれぞれ3人の友人の思い出を刻んだ」と記しているように、4楽章のうち終楽章を除く 3つの楽章は、コリリアーノの友人たちに捧げられ、第3楽章では「さらに他の友人たちもキルトのように旋律を編み合わせた」。厳しい現実に直面しながら作曲された作品であるが、 90年代後半にはブロードウェイ•ミュージカル『レント』(1996)がロングラン上演を続けたように、当時のアメリ力では誰もが避けては通れない問題になっていたことが改めて確認されるだろう。
多彩な打楽器を含む大編成のオーケストラから繰り広げられるコリリアーノの音楽は、圧倒的な音響で息をもつかせず、聴き手に強い衝擎をもたらす。なおこの作品で、コリリアーノは、アメリカの権威ある作曲賞・グロマイヤー賞を受賞した。以下、作曲者の言葉をもとに、この交響曲の各楽章を紹介したい。

第1楽章「アポローグ:憤怒と回想による」ピアニストの友人の死を嘆く楽章。
アポローグとは、教訓を含んだ寓話のことである。ABAの形式で、友人を失った怒りと彼の回想が対置される。Aの部分は、打楽器の一撃と怒り=angerを示すA音(イ音)で始まる。「凶暴に」の発想標語のとおり、打楽器の激しいリズムと鋭く攻撃的な金管楽器が交錯して厳しい音響が高まる。Bの部分では、弦楽器の透明な響きの背後から、舞台袖のピアノで演奏されるスペインの作曲家アルべニス(ゴドフスキ編曲)の《タンゴ》が聴こえてくる。このタンゴは、友人のお気に入りの曲で、彼の思い出を懐かしむかのように音楽は広がる。やがて冒頭の怒りの音楽が再現され、最後は途切れ途切れのタンゴが現れ、ピアノの音とともに静かに消えていく。

第2楽章「タランテラ」音楽業界のエリートで、アマチュアのピアニストだった友人の思い出のための楽章。コリリアーノは、かってピアノ 4手用のピアノ小品集(1971)の終楽章「タランテラ」を彼に献呈した。この楽章では、「音楽業界では伝説的なまでの機知と英知の持ち主だった友人が、エイズによる精神異常に陥ってしまった」と記しているように、タランテラの主題を用いて狂気へと向かう残酷な歩みを描いている。錯乱とまどろみのなかから、ゆっくりと明るく楽しげな主題がクラリネットに現れる。この主題はオーボエやフルートをはじめ様々な管楽器に現れるが、次第に歪み、バランスを失い、混乱していく。最後は、全楽器による溢れる大音響が続くなか、突然断ち切られて終わる。

第3楽章「シャコンヌ:ジュリオの歌」大学時代の友人で、アマチュアのチェリストだったジュリオのために書かれた。以前、コリリアーノと一緒に即興演奏したときの録音が残っていて、それをもとに作られた主題を、独奏チェロがピッチを変えながら反復する。静かで穏やかな音楽で、さらにもう1本、独奏チェ口が加わって(ジュリオの師であるチェリストもエイズで亡くなった)、2本のチェロが対話する。さらにこの主題に対する新しい旋律(楽譜には亡くなった友人たちの名前と職業が記されている)が、管楽器に現れる。彼らを回想しながら、それらの旋律を前述のキルトのようにつなぎ、音楽のなかに刻んでいく。再びA音が長く引き延ばされると音楽は一転して、第1楽章の怒りの音楽が戻ってきて、最後は独奏チェロのA音に集約されて収まる。

第4楽章「エピローグ」前楽章からそのまま切れ目なく始まる「アダージョ」の終楽章は、ささやくような音楽で、これまでの3つの楽章の主題の断片が現れる。
まずは舞台袖からピアノの《タンゴ》がかすかに聴かれ、クラリネットのおどけた楽しい主題も遠慮がちに、2本のチェロも静かに現れる。友人たちへ思いをめぐらせながら長い静寂で全曲は結ばれる。
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チェロ   ミッシャ・マイスキー   Violoncello:MischaMAISKY
ラトヴィア共和国生まれ。ロストロポーヴィチとヴィアティゴルスキ両巨匠に師事した世界で唯一のチエリスト。ロンドン、パリ、ベルリンなど世界の主要ホールに出演、熱狂的な支持を受け続けている。ドイツ•グラモフオンの専属アーティストやエコー•ドイツ・シャルプラッテン、バリのディスク・グランプリなど受賞多数。その輝かしいキヤリアのなかでも特にバッハの演奏では高い評価を得ており、2000年にはパッハ・プログラムで100以上の公演を行い、無伴奏チェロ組曲の3度目のレコーディングもリリースされた。
これまでにバーンスタイン、メータ、ムーティ、レヴァイン、シノーポリ、バレンボイムら名指揮者たち、さらにァルゲリッチ、ルプー、キーシン、P. ゼルキン,クレー メル、パシュメット、ヴェンゲーロフほか世界のトツプ・アーティストらと共演している。

ヴァイオリン  サ一シャ•マイスキー   Violin : Sascha MAISKY
1989年生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、レオニード.力ーベル、レオン・スルゾン、ィ一ゴリ・オイストラフらに学ぶ。1997年熱帯森林保護団体のガラ・コンサートで力ーネギーホールにデビュー、ヴェンゲーロフ、ムロ ーヴァ、アルゲリッチらと共にサン=サ一ンスの「動物の謝肉祭」を演奏する。12歳で口ンドンのパーセル音楽学校に入学、マチェイ・ラコウスキおよびエフゲ二一・グラッハに師事する。
これまでにクイーン・エリザベス・ホール、ウィグモア・ホール、バッキンガム宫殿、ブリュッセル音楽院、プラハ城そしてパリの英国大使館などでソロ及び室内楽を演奏。また、父のミッシャ、姉のリリーとはトリオを組んで既に何度も舞台に立っている。このメンバーでは、ペートーヴェンの「三重協奏曲」も演奏している。これまでにラクリン、ヴェンゲー口フ、F.アンドリエフスキ、I.ラシュコフスキ—、V.グルツマン、E.グラッハ、N.Y.キム、シトコヴェツキーらの薰陶を受ける。パーセル音楽学校を優等で卒業後、現在はウィーンでポリス・クシュニーに師事。

ピアノ   リリー•マイスキ―   Piano:LilyMAISKV
パリに生まれ、ブリュッセルで育つ。4歳よりリル・ティエンポについてピアノを始めハギト・力ーベル、オルガ・モギレフスキー、イラナ・デイヴィッズ、アラン•ヴァイスらにも師事。2001年から2004年までのパーセル音楽学校在学中には、クラシックのほかジャズ・ピアノも学ぶ。アルゲリッチ、バシキーロフ、力リクシュタインらの指導を受ける。カーネギーホールの熱帯森林保護団体チャリティ・ガラ・コンサ一トでデビュー。ドイツ・グラモフォンで父ミッシャの録音に参加、またEMIからは「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」のライヴ録音をリリ―ス。ソロ、室内楽双方で活躍し、ヴュルビエ音楽祭、フィレンツェ五月祭、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭等に参加。またロイヤル・フェスティヴァル・ホ一ル、ウイーン・コンツェルトハウス、モスクワ昔楽院等各国主要ホールに出演。
ヨーロッパおよびアジア各国のラジオおよびテレビにも度々登場。室内楽では父ミッシャのほか、ラクリン、ヤンセン、カブソン、アンゲリッシュらと共演している。
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下野竜也 (常任客演指揮者)

1969年鹿児島生まれ。鹿児島大学教育学部音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で学ぶ。
1996年にはイタリア・シェナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得。1997年大阪フィル初代指揮研究
員として、(故)朝比奈隆氏をはじめ数多くの巨匠の下で研鑽を積む。1999年文化庁派遣芸術家在外研修員に選ばれ、ウィーン国立演劇音楽大学に留学、2001年6月まで在籍。
2000年第12回東京国際音楽コンクール< 指揮 >優勝と齋藤秀雄賞の受賞、2001年第47回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝で、一躍脚光を浴びる。
以降、国内外の主要オーケストラに客演。2009年には、ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団、チェコ•フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会にデビューを果たし成功を収め、その後も2010年3月にシュツットガルト放送響にデビュー、10月にカンヌPACA管への再客演、2011年4月には南西ドイツフィル、2013年6月にはアメリカのシリコンバレー交響楽団にデビューを飾るなど、急速に国際的な活躍の場を拡げている。
国内では、2006年、読売日本交礬楽団の「正指揮者」に就任。2013年4月からは「首席客演指揮者」として,同楽団との意欲的な活動を継続している。
さらに、2014年4月からは京都市交響楽団の常任客演指揮者に就任している。近年はオペラの分野での活躍も目覚ましく、新国立劇場「沈黙」、二期会「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「メリー・ウイドー」「メデア」「リア」、日生劇場「ヘンゼルとグレーテル」「夕鶴」、首都オペラ「運命の力」などを指揮。吹奏楽にも熱心に取り組んでおり、2011年1月からは、広島ウィンドオーケストラの音楽監督を務めている。
アフイニス音楽祭、霧島国際音楽祭、宮崎国際音楽祭、別府アルゲリッチ音楽祭、サイトウ・キネン・フェスティバル松本など、各地の音楽祭にも招かれている。サイトウ・キネン・オーケストラとは、ニューヨーク・カーネギーホール公演にも同行、アメリカデビューを飾った。学校コンサート、親子コンサートなどの教育プログラム、ジュニアオーケストラの指揮、指揮マスタークラス等、後進の指導、育成にも熱意を注ぎ、その活動は多岐にわたる。
2007年4月より上野学園大学音楽学部教授。
2002年出光音楽賞、渡邊曉雄音楽基金音楽賞、2006年第17会新日鉄音楽賞・フレッシュアーティスト賞,2007年第6回齋藤秀雄メモリアル基金賞,2012年第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞、第32回音楽クリティック・クラブ賞、平成24年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣賞、2014年度第44回東燃ゼネラル音楽賞奨励賞などを受賞。
鹿児島市ふるさと大使。

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