
七月や雨脚を見て門司にあり・・・・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
一読して何のあいまいさもなく納得される句である。
しかし、句の背景をなす情緒の中身については、読者の側で、さまざまに空想できるふくらみがある。
たとえば、作者名を消し、人物を女性だとしたら、急な夕立の雨脚を見ている情感には別な映像が結びつくだろう。
出会い、別れ、若い人、老いた人、あるいは、ごく日常的なすれ違いなど、さまざまな人生模様が想像できそうである。
短詩型では、常に「何を詠むか」と同時に「何を詠まないか」の選択が決め手となる。
この句は明瞭な事実だけを詠んで、あとは読者の想像に任せている。思い切りよく「捨てて」広がりを採ったのである。
昭和51年刊『狩人』所載。
掲出画像は「門司港夜景」である。七月の雨脚の写真を出したかったが、いい写真がない。
いまや七月半ばである。陰暦の七月は文月で秋に入るが、陽暦の七月は、最も夏らしい月である。
七月を詠んだ句を少し引いてみる。
七月のつめたきスウプ澄み透り・・・・・・・・・・日野草城
七月の鶏の筒ごゑ朝の杉・・・・・・・・・・森澄雄
夕月に七月の蝶のぼりけり・・・・・・・・・・原石鼎
七月の夕闇ちちもははもなし・・・・・・・・・・平井照敏
七月の蝌蚪が居りけり山の池・・・・・・・・・・高浜虚子
七月の青嶺まぢかく溶鉱炉・・・・・・・・・・山口誓子
七月や銀のキリスト石の壁・・・・・・・・・・大野林火
少年のつばさなす耳七月へ・・・・・・・・・・林邦彦
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藤田湘子の今の季節の句を引いて、終わりにする。
柿若葉多忙を口実となすな
口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か
蝿叩此処になければ何処にもなし
干蒲団男の子がなくてふくらめり
わが裸草木虫魚幽くあり
真青な中より実梅落ちにけり
朝顔の双葉に甲も乙もなし
水草生ふ後朝(きぬぎぬ)のうた昔より
巣立鳥明眸すでに岳を得つ
山国のけぢめの色の青葡萄
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