
──村島典子の歌──(23)
村島典子の歌「春のくぢら」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・「晶」90号2015/06所載・・・・・・・・
春のくぢら 村島典子
雲海の只中およぐごとくゆく春のくぢらにわれはなりたし
東北に星屎(ほしくそ)のあり沖縄に印部石(しるびいし)あり春のにつぼん
はたはたと琉球の地図風に鳴るしるびいしとふ石のありけり
しるびいし置かれてのちに琉球の古地図は成りき十八世紀
清国を経て琉球に伝ひ来しフランス三角点測量法は
国の位置は王の位置たりルイ十四世も乾隆帝も尚敬王も
行きしことなけれど今もアラゴーの北指す国の子午線の石
*
神宮の社にかるたの声ひびき木霊かへれるきさらぎの湖
寒の雨みづをもぬらす君はまたはらからひとり見送りたりし
むかしより姉はかなしき掟もつと見送る坂に氷雨ふり来る
大津皇子を送りし姉のかなしみに近江湖北の雪を見にきつ
二月九日、湖西から湖北、湖東へとJRを乗り継ぎて、琵琶湖をー周す。
胎内をくぐりゆくごとトンネルをいでて列車は雪原に生る
われらいま比良雪嶺の裾をゆく雪けむりあげ対向車すぐ
歌はねばまぼろしとなる雪原を列車すぎたり雪けむりあげ
近江なる今津、塩津のみづうみの消えてしまひぬ霏々と雪ふる
雪照りの近江塩津の時間待ちホIムの雪に君は触れにゆく
安曇川は雪原のなか黒々と一筋のみづ墨ひくごとし
天恵の雪とおもへり高月の観音さまの御堂のうへに
ふぶきたる雪に伊吹の山みえず余呉湖もみえず非在のごとし
ささなみの志賀のみづうみ廻る日のたふとき時間きらきらとせり
とほき日の歌誌ひらきたり夕ぐれのひかりの中に歌零れたり
「流星の尾が打ち降ろす一瞬を人は壊るるために生れにし」
小林幸子「O」Ⅳ号「河づくし」より
こんなとき汀子さんなら何とせむ黙して君の背をさするほか
二子橋のてすりの柱かぞへつつ母に会ひたき姉とおとうと
おとうとは多摩川わたりかの岸へかの日のごとく母に逢ひしや
斯くありてあなたの中を旅します「晶」創刊号から八十八号
「アフリカの詩」より太鼓が鳴りはじむいのち森く大地の歌よ
振りかへる隙にあなたは階段を妖精のやうに駆け上りたり
天上に一番星ののぞくとき渋谷松涛町春のゆふやみ
春はまためぐり来たれど君まさず地上あはあは花につつまる
むざむざと死なせし人にあらなくに夕べさくらはわれを泣かしむ
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今号は「晶」の創刊同人であった原田汀子さんの追悼号である。 94歳だった。 八冊の歌集を上梓されているようだ。
ここに引いた村島さんの歌の後半は、原田汀子さんの追憶が詠まれている。
第三者には判らない経緯が歌にされているが、情趣ふかい内容になっている。
他の人の追悼文などによると、「ヤママユ」創刊者の前登志夫の薫陶も受けて来られたようで、「晶」として、ここに集まる人々との繋がりが、ようやく判った。
現責任者の小林幸子さんも村島さんも前登志夫の高弟でいらっしゃる。 勿論、「ヤママユ」以外の系譜の方も、いらっしゃる。
村島さんの懇切な追悼文もあるが省略させてもらう。
今号の「あとがき」に、以下のような村島さんの文章があるので、引いて筆を置く。 ↓
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あとがき
★三月の半ば、那覇まで映画を見に行った。
1泊二日の旅。半世紀の後に封印を解かれた
「イザイホウ」という1966年の久高島の
神事の記録作品である。12年に一度午年の
旧暦十一月十五日に行われるイザイホーは、
久高島の成巫儀礼の祭事。 1978年を最後
に消滅する。島で生まれ育った、三十歲から
四十一 歳までの女性(両親も夫も島人)の神
女となる儀式である。1942年にはほぼ完
全な秘祭であったが、12年ごとに学者、見
学者、マスコミに少しずつタブーが犯されて
いく。その上、ノロの高齢化、過疎化で肝心
の該当者が激減する。
モノクロの映像、小さな劇場に息を張り詰
める。「えーふぁい」「えーふぁい」という掛
け声が、夕闇のなかでいっそう遠く連呼され
る。一日目の「夕神遊び」は裸足に洗い髮で
「七つ橋わたり」を繰り返す。その場面を注
視していたのに、度々わたしは睡魔に引き込
まれた。「見てはならぬ」と命じられたように。
1967年の島での試写でこの秘祭は上映
を封印されたのだった。往復の機上は、春の
雲海の上。ふしぎな旅だった。 (村島)
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