K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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私信と『無冠の馬』歌抄出・・・・・・・・・・・・伝田幸子
mukannouma (2)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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      私信と『無冠の馬』歌抄出・・・・・・・・・・・・伝田幸子(「潮音」会員)

(前略)
歌集名の『無冠の馬』からは作者の思いの寓意性が感じられました。
帯文の自選五首はさすが素晴らしい作品だと思いました。と申しますのも、一冊を拝
見させて頂き、私が付箋を付けました作品の中に全て網羅されておりました。
従って、それ以外に感動いたしました作品を抄出させていただきます。

   沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

   鬱と咲き鬱と落ちたる椿なれ一輪の朱に重さありにけり

   夜の藤ひとりでゐたき時もあり月も光を放たずにゐよ

   盆栽に水遣り拒みし少年の我にバケツの水をぶつかけし父

   妻に効く抗癌剤なしのご託宣、異郷の空に夕光(ゆふかげ)赤く

   桜ちる頃に死にたる母と妻、お供にと母が連れたまひけむ

   助からぬ病と知りてゐたれども死なれてみればわれは孤(ひと)りよ

   〈朝立ち〉を告ぐれば「それはおめでたう」何がおめでたいだ 今は虚しく

   けふ一と日誰とも言葉交はさざりき初夏のゆふべを小綏鶏の鳴く

   哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル

   さまざまの過去を抱きて来し人ら菜の花の黄に鈴鳴らしゆく

   睦みあひもだえしのちは寂しくも泥のごとくに眠れるわれら

これらのどの作品からも一歌人、一男性の寂寥感、哀感が窺えて、生きているとい
うことの切なさが伝わってまいりました。一方、また、生きているからこその素晴ら
しさも伝わってまいりました。

   沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

この作品のように、前向きに生きていくことが、亡き人を安心させることなのだと、
今回改めて思いました。
(中略)
木村様が、母上と奥様をほぼ同じ時に亡くされたことを思いますと、その虚無感、
切なさはいかばかりかと、改めて思わずにはおれませんでした。
今回の『無冠の馬』の作品は、人間の本質に触れており、私性が濃くうかがえる作
品群でございます。
すなわち、作品の背後に作者の顔がはっきりと見えてまいります。
久しぶりに感激した歌集に巡り合わせていただき深く心に響きました。   (後略)
 平成二十七年六月十四日           伝田幸子
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長野市にお住まいの伝田幸子さんから、ご懇篤なお手紙をいただいた。
手紙の終りに
<長野市の善光寺御開帳が終わりまして、街の中がもとの静かさにもどりました>
とお書きになっていて、記念切手をご恵贈いただいた。 大切にして手紙の差出しに使いたい。
伝田さんには、もう十数年前になるが、「未来山脈」の会合のときにお目にかかったことがあるが、
お綺麗な方である。 ここに記して厚く御礼申し上げる。



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