K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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死後は火をくぐるべき我が躯にあれば副葬の鏡に映れ冥府の秋・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    死後は火をくぐるべき我が躯(み)にあれば
          副葬の鏡に映れ冥府(よみ)の秋・・・・・・・・・・・・・木村草弥


余り明るい、楽しい歌でなくて申訳ないが、この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので自選歌のなかにも収録しているのでWebのHPでもご覧いただける。
一般受けする歌ではないが、心ある人たちからは好評であった。私自身も好きな歌である。

写真①には私の住む近くの木津川市の椿井大塚山古墳出土の「三角縁神獣鏡」を掲げてみた。
我々が死ぬと日本では通常「火葬」いわゆる「荼毘」(だび)に付される。
これはインド伝来の死体の処理方法であるが、ここで「火」というものの「神聖さ」が表れているように思う。

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写真②は「那智の火祭り」であるが、これは神事に関係する「火」の浄らかさの表現である。
これに対する火葬の「火」もまた、人間の肉体処理についての「浄化」の思想の表現である、と言われている。
インドへ行ったことのある人なら、ガンジス川の畔での火葬の光景を目にしたことがあろう。
ここでは「火葬」を巡っても身分差別、貧富による死体の扱い、火の入れ方の違いに直面することになるが、今は、それは置いておこう。
シンボル、イメージの世界では、「骨」は死後も滅びないので復活の象徴とされている。
ローマ・カトリック教会(バチカン)が今なお火葬に反対しているのは、一つにはこのためであり、また原始的な社会の殆どでは、骨に同様な象徴的な意味を認めている。

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写真③はインドのクシーナガルの釈迦の入滅の地の「荼毘塚」と呼ばれるラマバル塔である。
写真④の説明を先にしておくと、ここでは線香、花など参拝のあとがうかがえる。

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お釈迦さまの最期だが、クシーナガルに着いた釈迦は、アーナンダに、こう言う。

さあ、アーナンダよ。私のために、2本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい。

いわゆる「北枕」で横たわるのだが、中村元先生が、インドの或る知識人から聞いたところ、頭を北にして寝るというのは、インドでは今日でも教養ある人の間では行なわれているという。
北枕で右脇を下にして西に向かって臥すというのは、インドでも最上の寝方とされるようである。
釈迦の最期の言葉は

<さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう。「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ」

この言葉には「万物流転」という真理が簡潔に表現されている。仏教のあまたの教義は、この単純な言葉に集約されている、と言っても過言ではないと思う。

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「荼毘」に関連するものとして写真⑤に大阪市浪速区元町1丁目にある「鉄眼禅師荼毘処地」の石碑を掲げておく。
鉄眼は寛永7年(1630年)肥後の生まれ。13歳で出家。明の僧「隠元」の来日に遇い、明暦元年(1655年)その門に入り黄檗宗の熱心な布教者となった。
また「一切経」の完全な開版を志し、喜捨を求めて全国を歴訪し、10年余の苦心の末、延宝6年(1678年)に版木6万枚の完成をみるが、その間、延宝2年の大坂の洪水、天和2年の全国的な飢饉の時など、折角の喜捨を全て、その救済にあてた。天和2年過労のために53歳で没した。
なお「一切経」の版木は本山の宇治の万福寺に収蔵されている。偉い人がいるものだ。

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