K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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アゼトウナ黄色輝くひとひらをいつくしむ二人ともに老いつつ・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子
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       アゼトウナ黄色輝くひとひらを
             いつくしむ二人ともに老いつつ・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


アゼトウナ Crepidiastrum keiskeanum (キク科 アゼトウナ属)
アゼトウナは本州の伊豆半島から紀伊半島、四国、九州(宮崎県、大分県)の太平洋岸に分布する。
海岸の岩場に生え、高さは10センチほど。
主幹は葉をつけるだけで、株そのものは数年間生育した後、側枝を出して花をつけて果実ができるとふつう枯死する。
側枝は主幹の葉腋から出て10センチほど地を這った後上向して密散房状の花序をつける。
花期は夏の終わりから冬の初めまでで、頭花は黄色。画像は徳島県海部郡日和佐町で撮影した。
澄んだ青い海に面した崖地には、本種やシオギクの黄色い花が彩りを添えていた。
(文は森定伸氏による。写真は別のもの)

四国遍路で辿る山道の側には、四季それぞれに、さまざまの野草が咲いているが、多くは私の名も知らぬものである。
このアゼトウナの花は、たまたま名前が判ったもので、記事にしてみる気になった。

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写真②が花を拡大したものだが、写真の様子からして野生のものではなく、栽培されているものらしい。
アゼトウナは漢字で書くと「畔唐菜、畔冬菜」となるように暖地ならば冬でも花をつけるので、この名がついたと思われる。
アゼトウナの花言葉は「変わらぬ愛」という。鳥海さんの歌は、この花言葉を巧みに取り込んで秀逸である。
ネット上に載る読売新聞の記事を引いておく。 ↓
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海上の道の要衝に初冬の輝き
 淡路島の南に浮かぶ周囲10キロの沼島(ぬしま)。国生み神話の「おのころ島」ともされる島は、源氏方の水軍の拠点になるなど時代を通して海上の道の要衝だった。
タブやシイなどの照葉樹に包まれた海沿いの道は、ツワブキやアゼトウナなど初冬の花で黄金色に彩られていた。

 対岸の土生(はぶ)から船で10分、港が近づくと八幡神社の背後の木々に覆われた小山が迫ってくる。上陸するとすぐに石段を上がり社の右手から森に入った。
草やツルをかきわけて進むと、スダジイやタブなど照葉常緑樹の大木が現れる。
その中に根元近くから五つの幹に分かれ、それぞれが高く広く伸びるホルトノキがあった。
大人が手をつないで11人分の根回りを持ち「八又」と呼ばれている巨木に違いない。
大きさに圧倒されていると、暗い森に真紅のヤブツバキの花が一つ二つと咲き始めていた。

 沼島小学校の校長でもある宮司の沼津知明さんは「樹齢800年の木もあるとみられ、神体山として人の手が入っておらず、島の元々の自然が残されています」。
タブやホルトノキのまとまった林は淡路本島では見られないという。沼島では自然の条件に加えて、原初の島の神域の森を守ろうとする気持ちが強かったのだろう。

 厚い森を突っ切るのは無理なので、港に戻って海を見下ろしながら島を一周できる道をたどった。
島の西側から山道を登ってイザナギ、イザナミの二神をまつるおのころ神社に参り島の東側に出た。
南西に四国、東には紀伊半島の対岸を遠望しながら快適に歩くと、切り立った崖の上の斜面にツワブキの群落が広がっている。
深い黄色の花と、つややかな丸い大きな葉は空と海の青さによく映える。

 林の中にはヤツデの丸い白い花もよく目に付く。
ツワブキもヤツデも庭にひっそりした感じで植えられていることが多いが、海岸近くで見ると鮮やかな表情で花を開いている。

 変化の続く崖や岩礁の間から上立神岩(かみたてがみいわ)が見えてきた。海の中から垂直に突き出した岩は遠くからでも目をひき、神秘的だ。
道沿いに岩場が続き、その岩壁をはうようにして黄金色のアゼトウナの花が広がっている。
ツワブキと同じキクの仲間だが、他の植物が育たない岩のすきまに根を伸ばして密集する様はたくましい。
南淡町教委の藤平明さんらの調査では、この花が見られるのは兵庫県でも淡路島の南側海岸と沼島に限られるという。

 もう一度登り道をとって「山の神」と呼ばれる山ノ大神社に上がる。朱色の小さな鳥居が参道に沿って続き、「海上安全」「四季豊漁」など漁業者が祈願している。
この社の宮司でもある沼津さんによると、かつてここで灯明がたかれて舟の目印にしたそうで、「山の神」が魚業者の信仰を集めていたこともうなづける。
山といっても標高100m少しだが、島の東端のここまで来ると紀州の陸地も随分近くに見える。

 常緑樹の緑の中にハゼの紅葉が混じる山道を下り、沼島の歴史にくわしい神宮寺住職の中川宜昭さん(67)を訪ねた。
「古事記や日本書紀に書かれたおのころ島がどこを指すかは淡路島でもいくつか説がありますが、海洋民族が島伝いに移動する時、まず小島に拠点を築くとされています。鉄器を携えた海人族が淡路島より前にまず沼島に渡り、その原風景を語り伝えて記紀に留めたのではないでしょうか」というのが中川さんの考えだ。

 おのころ島の場所は別にして、深い照葉樹林や印象的な海岸地形を見ると、この島には一小島にはない特別なものが詰まっている気はする。

 長く中学教師を務めた中川さんには一つの思い出がある。
中学生の時荒れていた教え子が大人になって沼島に来て「先生、ここで釣り糸を垂れていると自分を見つめ直すことができるな」と話したことだ。
「それまでのしがらみを捨てて渡り、再生して帰ることができる場所に沼島がなるのでは…」と中川さんは感じている。

(小泉 清)
(2004年12月06日 読売新聞)
 よみがえる梶原景時と沼島水軍
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歳時記に当ってみたが、「アゼトウナ」の花は載っていなかったので句を引くことが出来ない。
ご了承を。


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