K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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岡井隆歌集『暮れてゆくバッハ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 最新刊の歌集『暮れてゆくバッハ』
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 ↑ 2010/07/25 思潮社刊─「注解詩」という新たな領域を切り拓いたとされる

──新・読書ノート──

       岡井隆歌集『暮れてゆくバッハ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・書肆侃侃房2015/07/31刊・・・・・・・・・

この本が出てから、もう数か月経つが、短歌だけではなく「詩」もあり、また「花と葉と実の絵に添へて」という18ページに及ぶ挿絵と歌のコラボしたページもあるという特色のあるもの。
この本の「帯」裏に

 < この本は、一見すると、きはめて形而下的な契機によつて成立したやうに見える。
   しかし、詩歌といふのは、さういふ形而下的な動機を超えて動くものだ。
   作者は、それまで長く続けて来たいくつかの仕事を辞めた。
   そのためもあつて、詩や歌をつくる悦びを覚えるやうになった。 
   どうやらその流れが、この本の底のところで、ささやかな響きを立ててゐるやうに作者は思つてゐるのだが、錯覚であらうか。  >

という「あとがき」の一文が載っている。
これは、この本の性格を端的に表現しているようだ。

はじめに「岡井隆は短歌を革新しつづける」というコメントを引いておく。  ↓
投稿者
谷内修三
投稿日 2015/8/10
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
 岡井隆『暮れてゆくバッハ』は歌集。私はいいかげんな人間なので、最初から最後まで順を追って歌集を読むわけではない。テキトウにぱっと開いて、そのとき目に飛び込んできたのが、

     ケータイの在りかをぼくので呼びあてる、弁証法の正と反だね

 あ、おもしろい。
 おもしろいと思ったのは「ケータイ(電話)」が歌に詠み込まれていること。もう「ケータイ」は古くて、いまは「スマホ」なのかもしれないが、そういう「新しいもの」を岡井の年代の人が歌に詠み込むことがうれしい。
 というのも、この春、「西日本詩人セミナー(だったかな?)」で若手(中堅?)の歌人と話す機会があったのだが、そのとき彼らは「イメージの共有」ということを言った。「葡萄の種」と「梅干しの種」を例にひいて、「葡萄の種」は歌になるが「梅干しの種」はだめだ、と。「葡萄(の種)」には歌として詠まれてきたひとつのイメージがあり、それを共有することが歌の「核心」である、ということらしい。このときの「共有」を「継承」と言い直すと、それは「伝統」につながる。また「結社」というものにもつながる。「結社」とは、ある「イメージ」の共有(継承)の仕方を学び、育てる仕組みである。
 まあ、それはそれでわかるけれど、何とも古くさいというか……。
 で、そのとき若手の歌が何首か紹介されたのだが、この岡井の歌に比べると、とても古くさい印象がある。「葡萄の種」にひきずられている。どんなに新しいことを詠んでみても、詠み方のなかに「定型」がある。「抒情の定型」がある。
 岡井のこの一種には「抒情の定型」がない。「定型」を突き破っている。「抒情の定型」がないとしたら、では何があるのか。
 行動(アクション)がある。「動詞」がある。「行動/動詞」というのは「人間」を貫き、「人間」を「ひとつ」にしてしまう。誰の「行動/動詞」であれ、それを他人が「反復(反芻)」するとき、その「行動/動詞」はやすやすと「共有/継承」されてしまう。
 具体的に言い直そう。
 ケータイをどこに置いたかわからない。ケータイが見当たらない。さて、どうする? 電話を鳴らしてみる。岡井はここでは、誰かが見失った電話を「それじゃあ、ぼくので呼んでみる(鳴らしてみる)」と言って電話をかけている。それに応答してどこかから着信音が聞こえる。見つかった。こういう一連の動き(行動/動詞)を「呼びあてる」ということばで結晶させている。
 こういうことは、だれもが一度はしたことがあると思う。これは、さらに言い直せば、岡井のしていること(行動/動詞)を読者の「肉体」がおぼえているということである。岡井のことばによって、読者の「肉体」がおぼえていることが、読者の「肉体」のなかに甦ってきて、あ、「わかる」という感じが生まれる。岡井が「わかる」のではなく、読者が「わかる」。読者はその瞬間、岡井を忘れて、自分の経験を思い出している。
 「行動/運動」が、岡井と読者(複数)によって共有される。共有されるけれど、それを実際に味わうのはあくまで「ひとり」。「動詞」は、そんなふうにして、離れて存在している人間の「肉体」をつなぐ力を持っている。
 このあと、岡井は、どきっとさせる。

      < 弁証法の正と反だね >

 うーん、弁証法か。弁証法については、私は個人的にいろいろ思うことがある。弁証法では世界は把握できないと思っているのだが、そういうことはわきにおいておいて。
 岡井はここでは弁証法を正と反の対立を止揚ととらえている。岡井のケータイが正なのか、探しているケータイが反なのか、どっちでもいいが、呼び出すことで失われたものの在りかを探し当てる(止揚、結論に達する)ときのふたつのケータイの関係が弁証法の正と反のような形で運動している。
 ここにも書かれてはいないけれど、「止揚する」という「動詞」が存在する。「弁証法」ということばのなかに「運動/動詞」がある。
 これがおもしろい。

 岡井は、すでに継承されている存在のイメージを利用して歌を書いているのではない。ひとりの個人に帰って(つまり、伝統に属している自分を深く掘り下げて「私」という肉体に帰って)、そこから動きはじめる。その動きは誰にでも共有できる「動詞」である。「動詞」を生き直しているともいえる。
 ここに、岡井のことばの力がある。
 失われたケータイを手元にあるケータイで探し当てる。そういうことを「弁証法」のなかにある正と反の対立、さらに対立を止揚するという「動詞の比喩」で言い直す。それがおもしろい。
 「比喩」はもっぱら「名詞」と「名詞」の言い換えが多い。「君はバラのように美しい」では「君」と「バラ」が言い換えられている。これは歌人たちがいう「イメージ」の共有(継承)につながるのだけれど、岡井は「比喩」は「動詞」においても成り立つということを実践している。
 「呼びあてる」は「さがす」という「動詞」の「比喩」なのだ。「言い直し」なのだ。「言い直す」ことで、見えなかったことを明らかにする。「さがす」は「あてる」(どこにあるか、あてる)でもある。

 その直前の歌。

      幾つかの袋のどれかに横たはつてゐる筈なのだ可愛い耳して

 これは前後するが探しているケータイのことを詠んでいる。そこにあるどれかの袋(バッグ)のなかにケータイはあるはずである。そのケータイを「可愛い耳」と呼んでいる。比喩である。この比喩が、文字通り可愛い。
 いや、そのケータイの持ち主が誰であるか私は知らないが(もしかすると、妻のケータイなのかもしれないが)、何となく、岡井の若い愛人というものを想像してみる。いいなあ、若い愛人がいて、「今夜、どう?」なんて電話を待っている。その耳のかわいらしさ。誘いをひたすら待っている無言の耳。自分からは催促しない無言の耳。ね、可愛いでしょ?
 というのは、私の欲望なのだが……。
 歌なんて、というか、文学なんて、作者の「主張/感情」なんか、どうでもいい。自分の「主張/感情」にかってにすりかえて読めばいい。つまり、自分の「欲望(本能)」を発見するためにある。自分の欲望(本能)なのに、あ、岡井もそうなんだと勝手に解釈して、「同士」になったつもり。
 「同士」と書こうとしたら「動詞」という変換が先にあらわれて、その瞬間に思ったのだけれど、そうか「同士」というのは「動詞」を共有する人間のことか、と思いなおした。いっしょに行動してこそ「同士」。
 「欲望(本能)」というのも、「動詞」だね。動いてはじめて、何かが実現する。
 あ、脱線したかな?
 でも、脱線したおかげで、「可愛い耳」という比喩にも、どこかで「動詞(欲望/本能)」が潜んでいるということが、偶然発見できた。

 若者の歌よりも、さらに先を行っている若々しさ。それは次の歌にも。

     真面目に弾くピアニスト。でも真面目には聞いていないぼくがわかる、悲しい

 ここでも「わかる」という「動詞」が歌の中心である。「わかる」は、このとき「理解する」ではなく、「発見する」である。「新しい」がそこに隠れている。真面目に聞かないというのは別に新しいことではないけれど、ピアニストの真面目がわかった瞬間に、「ぼく」の真面目ではないがわかる。「わかる」というひとつの「動詞」が「真面目」を中心にして大きく動いている。
 「動詞」のなかにこそ、「歌」の本質がある。
 この大きな変化を、岡井は「悲しい」ということばでしめくくっている。「悲しい」は「抒情的」なニュアンスが強いが、この「悲しい」のつかい方も、私は新鮮に感じた。
 「悲しい」は形容詞。形容詞は「用言」、つまり「動詞」のように「動く」。「悲しい」はひとつの状態にとどまっているのではなく、動くのだ。ピアニストの真面目が「わかり」、自分がまじめでないのが「わかる」。その「わかる」のなかの変化が「悲しい」というものを生み出す。生まれてきた「悲しい」。そのときだけの、一回性の感情の「動き」なのである。どんどん動いている「悲しい」。
 「わかる」は単に「頭」で「わかる」のではない。「わかる」瞬間、「頭」以外のものも動いている。「感情」とひとは言うかもしれないが、私は「肉体」が動いているのだと思う。ことばで、どこそこと指定(指摘)はできないけれど、「肉体」が全体としてもやもやとして動き、そのことばにならないもやもやから「悲しい」が動きはじめる。

 こういう短歌の「革新」を、若い歌人の歌ではなく、岡井の歌で知るというのは、少し残念な感じもする。短歌は岡井の力を必要としているんだなあ、と改めて感じる一冊だ。
 途中にスケッチと手書きの歌(手書きの文字)が何ページかあり、岡井は絵も描くのかと思った。どの絵も「線(輪郭)」が明瞭で、姿が歌に似ているとも思った。
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31dusCpS3iL__SX298_BO1,204,203,200_岡井隆「告白」

『わが告白』という本が2011年に出されたが、この本に関する書評を引いておく。  ↓
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著者岡井は歌人にして宮内庁御用掛。内科医として国立豊橋病院内科医長でもあった。
生まれは1928年、この一月に87歳になった。
1957年、アララギ派の歌人Aと結婚して以来、
翌58年Bと同棲。12年後の70年九州に逃避行する形で、Cと同棲、結婚。
そして1989年、NHK学園海外旅行に講師として加わった時、同学園絵画センターの講師として参加していた新見恵理子に出会い、同棲、98年に正式に結婚、入籍した。

恵理子と出会った時は隆が61歳、恵理子は32歳年下の29歳であった。
「愛の焔は老いず」と表現した所以である。
子はかすがい、と言うが、A、Bとはそれぞれ女子ひとり、Cとは男二人女子ひとり、三人の子をなした。
文中、子の結婚で救われたような思いを吐露しているが、心中、子供に対する苦衷はあったらしい。
Aとの結婚に関して、
「なにかすべてが終わってしまったあとで、今までの7年のつき合いの責をとる形でAと結婚した。私はまちがっていた。」
「Aの歌は目立たなかった。その点妥協してつき合っていたのは私の間違いである。一緒になるなら、相手に対し敬意を持てる人をえらぶべきなのだ。」
と深い悔悟の念を述べているが、これがB、Cとの結婚に生かされた形跡はない。むしろ最初の失敗を引きずる形で、「こんな筈ではなかった、、」という思いがあったに違いない。
従って先の悔悟は、いまの恵理子に向けた言、といってよいだろう。

いま「恵理子に向けた言」と述べたが、この「告白」全体も恵理子に向けたものであろう。
その意味では、「告白」は未完であり、これから変わり得るものでもあろう。

三度の出会いと別離について、歌人として、つまり表現者としての自己とのかかわりを、
「わたしは、昭和33年アララギ系の素朴リアリストだったAからのがれて、Bと棲んだ。あの時も、筆を捨てて、そのあと、表現の実験に行った。歌集『土地よ痛みを負え』、は、そこで使われた歌のレトリックそのものが、失踪の記録だったかもしれない。」

「同じような比喩で言えば歌集『天河庭園集』の世界を捨てて沈黙した昭和四十五年の九州行はCと共に、家出したのであった。」

と述べている。
しかしこれは、自己正当化というか、ある種の「甘え」の匂いが強くする。
もっと「自己に誠実であるか」を自問自答すべきであろう。

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念のためにWikipedia から記事を引いておく。   ↓

岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。

経歴
愛知県名古屋市出身。父も「アララギ」の歌人である傍ら、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)の技術者で、後に専務取締役も務めた。旧制愛知一中(現愛知県立旭丘高等学校)、旧制第八高等学校、慶應義塾大学医学部卒。医学博士。内科医師として、国立豊橋病院内科医長などを歴任した。

17歳のときに作歌を始め、1946年「アララギ」に参加、土屋文明の選歌を受ける。1951年、近藤芳美を中心とした「未来」創刊に参加。アララギ派の影響が濃い浪漫的な生活詠から出発したが、1955年に塚本邦雄との交流が始まり、寺山修司とも知り合い、青年歌人会議、東京歌人会などの活動に参加。現代詩の暗喩技法を取り入れながら、ナショナリズムなど先鋭的な主題を表現することで現代短歌に思想性を導入し、前衛短歌運動の旗手の一人となった。1957年より吉本隆明と「定型論争」を繰り広げ、前衛短歌の理論的基礎を構築した。北里研究所付属病院の医師として勤務していたが、1970年の夏に辞職して20歳ほど年下の愛人女性と九州に隠遁、あらゆる文学活動を停止した。その5年後に歌集『鵞卵亭』を発表して歌壇に復帰。1985年以降は、W・H・オーデンらの影響からライト・ヴァースを提唱し、口語と文語を融和した柔らかい作風に転換していく。1989年より1998年まで深作光貞の誘いにより京都精華大学人文学部教授。この時同僚だった上野千鶴子と交友を持ち始める。中日新聞・東京新聞に『けさのことば』を長年にわたって連載中。2014年まで日本経済新聞歌壇選者。

1993年から歌会始選者となり宮廷歌人となったが、そのことに対して歌壇では批判と論争が巻き起こった。2007年から宮内庁御用掛。

評論では、斎藤茂吉論が多い。詩集でも高見順賞を受賞するなど、詩人としても高い評価を得ている。

門下に小嵐九八郎、池田はるみ、山田富士郎、加藤治郎、大辻隆弘、江田浩司、田中槐、紀野恵、大滝和子、東直子、高島裕、嵯峨直樹、笹公人、岡崎裕美子、中沢直人らがいる。

受賞歴
1983年、『禁忌と好色』で迢空賞
1990年、『親和力』で斎藤茂吉短歌文学賞
1995年、『岡井隆コレクション』で現代短歌大賞
1999年、『ウランと白鳥』で詩歌文学館賞
1996年、紫綬褒章
2004年、旭日小綬章
2005年、『馴鹿時代今か来向かふ』で読売文学賞詩歌俳句賞
2007年、『岡井隆全歌集』で藤村記念歴程賞
2009年、『ネフスキイ』で小野市詩歌文学賞
2009年、日本芸術院会員
2010年、『注解する者』で高見順賞
2011年、『X-述懐スル私』で短歌新聞社賞

著作

単著
斉唱 白玉書房 1956
土地よ、痛みを負え 白玉書房 1961
海への手紙 歌論集 白玉書房 1962
朝狩 白玉書房 1964
眼底紀行 思潮社 1967
現代短歌入門 危機歌学の試み 大和書房 1969 のち講談社学術文庫
戦後アララギ 短歌新聞社 1970
岡井隆歌集 思潮社 1972
茂吉の歌 夢あるいはつゆじも抄 創樹社 1973
辺境よりの註釈 塚本邦雄ノート 人文書院 1973
鵞卵亭 六法出版社 1975
慰藉論 吉本隆明から斎藤茂吉 思潮社 1975
韻律とモチーフ 大和書房 1977
岡井隆歌集 国文社(現代歌人文庫 2) 1977 
歳月の贈物 国文社 1978
天河庭園集 国文社 1978
遥かなる斎藤茂吉 私流「茂吉の読み方」思潮社 1979
時の峡間に 現代短歌の現在 岡井隆評論集 雁書館 1979
ロマネスクの詩人たち 萩原朔太郎から村上一郎まで 国文社 1980
前衛短歌の問題 現代職人歌から古代歌謡まで 短歌研究社 1980
メトロポオルの燈が見える 砂子屋書房 1981
近藤芳美と戦後世界 蒼土舎 1981
人生の視える場所 思潮社 1982
歌のかけ橋 六法出版社 1983
花を視る人 砂子屋書房 1983
古代詩遠望 続・前衛短歌の問題 短歌研究社 1983
斎藤茂吉 人と作品 砂子屋書房 1984
岡井隆の短歌塾 入門編 六法出版社 1984
茂吉の万葉 現代詩歌への架橋 短歌研究社 1985
αの星 短歌新聞社 1985
岡井隆の短歌塾 鑑賞編 六法出版社 1986
岡井隆全歌集 1-2 思潮社 1987
犀の独言 砂子屋書房 1987
今はじめる人のための短歌入門 角川選書 1988
人麿からの手紙 茂吉の読み方 短歌研究社 1988
けさのことば 2 砂子屋書房 1988
鵞卵亭談論 六法出版社 1989
岡井隆の短歌塾 鑑賞編・古代歌謡 六法出版社 1989-90
親和力 砂子屋書房 1989
文語詩人宮沢賢治 筑摩書房 1990
宮殿 沖積舎 1991
太郎の庭 砂子屋書房 1991
愛の茂吉 リビドウの連鎖 評論集 短歌研究社 1993
斎藤茂吉と中野重治 砂子屋書房 1993
岡井隆コレクション 1-8 思潮社 1994-96
禁忌と好色 短歌新聞社 1994
茂吉の短歌を読む 岩波セミナーブックス 1995
短歌の世界 岩波新書 1995
茂吉と現代 リアリズムの超克 短歌研究社 1996
前衛歌人と呼ばれるまで 一歌人の回想 ながらみ書房 1996
夢と同じもの 短歌研究社 1996
歌を創るこころ 日本放送出版協会(NHK短歌入門) 1996 
けさのことば 3 砂子屋書房 1996
月の光 詩集 砂子屋書房 1997
大洪水の前の晴天 砂子屋書房 1998
ウランと白鳥 短歌研究社 1998
前衛短歌運動の渦中で 一歌人の回想 ながらみ書房 1998
ヴォツェック/海と陸 声と記憶のためのエスキス ながらみ書房 1999
詩歌の近代 岩波書店 1999 (日本の50年日本の200年)
ことばの朝風 中日新聞社 2000
挫折と再生の季節 一歌人の回想 ながらみ書房 2000
臓器 砂子屋書房 2000
E/T 書肆山田 2001
短歌-この騒がしき詩型 「第二芸術論」への最終駁論 短歌研究社 2002
吉本隆明をよむ日 思潮社 2002
〈テロリズム〉以後の感想/草の雨 砂子屋書房 2002
旅のあとさき、詩歌のあれこれ 朝日新聞社 2003
伊太利亜 書肆山田 2004
馴鹿時代今か来向かふ 砂子屋書房 2004
『赤光』の生誕 書肆山田 2005
岡井隆全歌集 全4巻 思潮社 2005-06
ぼくの交遊録 ながらみ書房 2005 ISBN 4861100445
二〇〇六年水無月のころ 角川書店 2006 ISBN 4046217200
岡井隆の現代詩入門 短歌の読み方、詩の読み方 思潮社 2006 ISBN 4783717125
わかりやすい現代短歌読解法 ながらみ書房 2007 ISBN 4860234308
家常茶飯 砂子屋書房 2007 ISBN 4790410072
初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後 歌集 短歌新聞社 2007 ISBN 4803913498
歌集『ともしび』とその背景―後期斎藤茂吉の出発 短歌新聞社 2007 ISBN 4803913633
鴎外・茂吉・杢太郎 「テエベス百門」の夕映え 書肆山田 2008
ネフスキイ 書肆山田 2008
瞬間を永遠とするこころざし 日本経済新聞出版社 2009 日本経済新聞「私の履歴書」をまとめたもの
私の戦後短歌史 小高賢聞き手 角川書店 2009
注解する者 詩集 思潮社 2009
詩歌の岸辺で―新しい詩を読むために 思潮社 2010 ISBN 4783716668
X-述懐スル私 歌集 短歌新聞社 2010 ISBN 4803914974
静かな生活-短歌日記2010 歌集 ふらんす堂 2011 ISBN 4781403387
今はじめる人のための短歌入門(角川ソフィア文庫) 角川学芸出版 2011 ISBN 4044054029
わが告白 コンフェシオン 新潮社 2011 ISBN 4103317116
森鴎外の『うた日記』 書肆山田 2012 ISBN 4879958387
今から読む斎藤茂吉 砂子屋書房 2012 ISBN 4790413837
角川短歌ライブラリー岡井隆の短歌塾 入門編 角川学芸出版 2012 ISBN 4046526114
岡井隆歌集 現代詩文庫 思潮社 2013 ISBN 4783709785
岡井隆詩集 現代詩文庫 思潮社 2013 ISBN 4783709777
ヘイ龍カム・ヒアといふ声がする(まつ暗だぜつていふ声が添ふ)―岡井隆詩歌集2009‐2012 思潮社 2013 ISBN 4783733686
新輯けさのことば 4 砂子屋書房 2013 ISBN 4790414787
木下杢太郎を読む日 幻戯書房 2013 ISBN 4864880409
銀色の馬の鬣 砂子屋書房 2014 ISBN 9784790415398
暮れてゆくバッハ 書肆侃侃房 2015 ISBN 9784863851924
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転載の記事が多くて申し訳ないが、2005年に『馴鹿時代今か来向かふ』で「読売文学賞」を受賞したときの記事を引いておく。↓
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 戦後の短歌史と重なるといってもいい歌歴は、華々しくも起伏に富む。

 「アララギ」の歌人である両親のもとで10代から作歌し、1951年の「未来」創刊に参加。やがて始まった塚本邦雄氏とこの人との交流が前衛短歌運動を推し進め、吉本隆明氏との「定型論争」など、活発な評論活動を繰り広げた。

 だが、70年に突然、家庭も医師としての職場も捨てて九州に出奔し、5年間短歌から遠ざかった。92年には宮中歌会始選者への就任が論議も呼んだ。

 長い歌歴の中で、作風も変化を重ねた。受賞作にはそれが反映して、幅の広い多彩な作品が並ぶ。選考委員は「成熟した歌集。熟練と危うさが拮抗(きっこう)している」「自らのキャリアや立場に対する意識が薄まり、自由さを得た」と評した。

 「去年あたりから背負っているものが軽くなった気はしています。若い人に仕事がまかせられるようになったし、私生活では子供たちが自立してきた」

 <ゆつたりと廂に到(いた)る大いなる反(そ)りこそ見ゆれ雨絶えまなく>
といった韻律の美しい格調高い作の一方に、実験的な時事詠や口語体の作品がある。朗読のための連作、ことば書きや注の多用も特徴的だ。

 若い歌人とも積極的にかかわってきた。ライトバースの文体をいち早く評価したり、10年ほど前から、東京を始め関西や名古屋で若手中心の研究歌会を指導したり。だが、与えるばかりではない。若者の言葉遣いや発想の新しさを吸収して、より高度な形で自作に取り入れてしまう。
<窓際まで行かない、枯れ木の撓むのを見ない今日こそ〈始まる〉のかも>
実にやさしい笑顔を見せるのに、「岡井さんはこわい」とささやかれてしまうゆえんだ。

 数年前、30歳以上年の離れた妻と結婚した。
<よこになつて休めといふから寝てゐると側(そば)に来て傘(かさ)見せ寝かさないえり子>。
2人の関係を詠んだ歌は多い。「短歌は作者の背景を下敷きにして読まれるということも大切ですから」。あとがきに自らの履歴を織り込んでみたのも一つの試みである。

 一風変わった標題は
<かつてまだ定義されたることのない馴鹿時代今か来向(きむ)かふ>の一首による。

 「馴鹿はシカでもカモシカでもなく、家畜かと思えば野性味もあるとらえどころのない動物。現代という“世代”が失われ、家族が揺らぎ、個人と個人が裸で対しているような、定義しがたい奇妙な時代に、その名を付けてみたんです」

 時代を、社会を、自分自身を、鋭敏に感じ取り、先端を走り続けてきた歌人は、自在さを増してさらに旺盛に詠み続けるのだろう。(小屋敷 晶子記者)

『馴鹿時代今か来向かふ』
岡井隆
出版社:砂子屋書房
発行:2004年10月
ISBN:4790408167
価格:¥5250 (本体¥5000+税)
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彼も年齢を重ねて、今年は87歳になる。またいくつか病気をして今に至っているので、新聞連載の仕事なんかもいくつか辞めたらしい。
アクの強い人ではあるが年齢には勝てない。 執筆は今でもやっているが年齢相応のものとならざるを得まい。
ただし、今回の本に見る通り、長年のキャリアがあるから発想は自在であり、軽やかである。
今後の動向がみものである。 他人の引用ばかりでは気が引けるので、この本のタイトルになっている項目の一連を引いて終わる。

    暮れてゆくバッハ・・・・・・・・・岡井隆

  ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ

  ものの見事に裏切られてはかくし持つ刃を握るとぞ薔薇は陰険

  つひに此処まで来たのだとは思はねど限られて来た遁辞の甘さ

  後ろから道を迫つて来るバスにおびえてしまふ 紅梅の花

  意地の悪い夕日がひどくまぶしくて熊笹原のふちへ踏み込む

  いろいろに考へてみてその果てにとつた行為は納まりがいい

  聖イグナチオ教会の昼の鐘が鳴るむろんわたしを慰めるために




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